並行世界の俺、全員最強。──でもこの世界の俺だけ最弱。

結城凱

第1話 始まりのリンク

──風が止んでいた。


焼け焦げた大地に、血の匂いが重く沈む。

戦場の残滓が散らばり、倒れた仲間たちの息遣いすら薄れていく。


その中心に、ひとりだけ立っている者がいた。


リオ=アルセリア。


白い上着は裂け、腕には無数の傷。

手にした剣の切っ先が、かすかに震えている。


それでも――その目だけは折れていなかった。


周囲を囲む魔族たちが、低く唸りながら武器を構える。

数は……もう数えきれない。


リオはゆっくりと息を吸い込み、剣を握り直した。


「……まだ終わっていない。」


声は静かだった。

恐怖も焦りも押し殺した、覚悟の声。


魔族の一体が前に踏み出す。


リオは地面を軽く蹴り、わずかによろめきながらも前へ進む。


「来るなら来い。最後まで戦う。」


その一歩は、限界を超えた身を動かすにはあまりにも重かった。

だが止まる気配はない。


魔族の影が揺れ、牙のような刃がリオに向かって振り上げられた――



――その瞬間。


胸の奥を、鋭い痛みが貫いた。

息が止まる。


「……え?」


視線を落とすと、衣を突き破って

黒い刃が、自分の体を貫いていた。


肺の奥が焼けるように痛み、

口の中に鉄の味が広がる。


「……っ、が……は……!」


赤い血が、喉の奥から逆流し、口端を伝って滴り落ちた。

自分の呼吸の音さえ、濁って聞こえる。



振り返ると“黒いローブの影”が立っていた。


フードの奥、闇の隙間からほんの一瞬、顔が覗く。


――ニヤッ。



(……誰だ……こいつ……)


痛みで視界が揺れる。

なのに――どこかで、見たことがある気がした。


喉が震え、声にならない声を押し出す。


「……なんで……こんな……ことを……?」


「あなたは、この世界の“理(ことわり)”を壊す可能性がある。」


その言葉が落ちた瞬間、リオの身体が崩れ落ちた。


そして、世界が──暗転した。




ドクン。

ドクン……。


 


ふと、視界の端に光が差した。

──朝日。


「……っ!?」


息を呑み、ハルトはベッドの上で飛び起きた。

額から冷たい汗が伝う。

胸が痛い。

まるで、夢の中で本当に刺されたようだった。


「……また、あの夢……」


最近はずっとおかしい。

あの夢を、毎晩のように見る。


俺の名前は如月ハルト。

どこにでもいる普通の高校生だ。


勉強も運動もそこそこ。

特別な才能なんてない。


ただ毎日、平凡に生きてる。


喉が乾いている。

机の上のペットボトルの水をひと口飲み、息を整えた。


窓の外では、いつも通りの朝。

通学路に学生の声。

見慣れた景色。

けれど、何かが違う気がした。


部屋にある鏡を見る。

そこに映るのは、黒髪で黒い瞳の少年。


「……夢の中の俺は、髪も……目の色も違うんだよな。」


あの荒野。

血だらけの戦場。

そして、あの声。


「あなたは、この世界の“理”を壊す可能性がある。」


誰だったのか。

どうして毎晩、あの夢を見るのか。


考えても答えは出ない。

ため息をついて制服に袖を通し、部屋の扉を開けた。



* * *


キッチンから母の声がした。


「ハルト、パン焼けてるよ。食べていきなさい」


母が、少し眠そうな目で笑った。

夜勤明けで疲れているのが見てわかる。


「……ありがとう。」


トーストをかじりながら、

ハルトは母の動きを横目で見た。


「母さん、あんまり無理すんなよ。

 俺もバイトしてるんだし……少しは休んで」


母は笑った。


「ふふ、心配性なんだから。平気よ。

 あんたが元気でいてくれるだけで、私は十分」


「……そっか。――って、やべ、もうこんな時間!」


急いで鞄を掴む。


「行ってきます!」


「いってらっしゃい。気をつけてね」



(……今日の朝は、いつもより……世界が静かな気がする。)




* * *


小鳥の声。

信号の音。

すべてが遠くで鳴っているように感じた。


通学路を歩く。

人の気配はあるのに、誰もこちらを見ない。

まるで“自分だけが浮いている”ような感覚。


「うわっ!?」


突然、肩を叩かれ、ハルトは跳ねるように振り向いた。

「……っ、黒野かよ……心臓止まるかと思った」


「……おい、また寝不足か?」


不意に声をかけられ、ハルトは顔を上げた。

クラスメイトで――子どもの頃、車にひかれそうになった俺を助けてくれた命の恩人。

そして今では、一番の親友でもある黒野 悠。


「……ああ、まあそんなとこ」

「また夢か?」

「……なんでわかるんだよ」

「顔が死んでる」


淡々とした口調。

けれど、その言葉にはどこか心配の色があった。


「夢ってさ、毎晩見るのか?」

「うん。決まって、同じ夢」

「同じ?」

「知らない場所で、誰かが死ぬ夢。俺に、似てる誰かが」


悠は短く息をついた。

「……お前、ほんと変なやつだな」

「自分でも思う」


二人は並んで校門をくぐる。

校舎の壁が朝日に照らされ、どこか白すぎて現実味がなかった。


教室に着くと、ハルトはいつもの席に座る。


チャイムが鳴った――はずだった。

でも、音が届かない。


一瞬、時間が抜け落ちる。

隣の席の悠の動きが、まるで止まって見えた。


ハルトは息を呑む。


音が消えた。

空気の流れも、誰かの呼吸も、すべてが止まっている。


「……なんだ、今の……」


瞬きをすると、

教室はいつも通りに戻っていた。


「ハルト? どうした?」

「……いや、なんでもない」


心臓が早鐘のように打っている。

けれど、誰も気づかない。

この“違和感”を感じているのは、俺だけだった。


(……この奇妙な感覚、子どものころから何度かあった。でも今のは……“異常”だ)



* * *


放課後。

チャイムが鳴り、教室が一気に騒がしくなる。


部活に向かう生徒たちの笑い声。

廊下を駆け抜ける足音。

教室に残ったのは、ハルトひとりだけだった。


「……さて、バイト行くか」


鞄を肩にかけ、静まり返った校舎を出る。

空はすでにオレンジ色に染まり、街全体が夕陽に包まれていた。


学校の最寄り駅まで歩き、電車に乗る。

窓の外を流れる景色が、だんだんとビルの光に変わっていく。



駅に降り立つと、すぐに人の波に飲み込まれた。

ビジョンの広告音。

行き交う人の声、スマホの通知音。

誰もが急いで、誰もが自分のことで精一杯。



(……バイト、間に合うよな)


信号が変わり、ハルトは横断歩道に足を踏み出した。

その瞬間、視界の端がゆらいだ。


足を一歩、出したまま固まる人々。

信号機の点滅が途中で止まり、

鳴っていたアナウンスが、ぷつりと途切れる。


(……なんだ、これは……)



ドクン、ドクン


胸がざわつく。

息が浅くなる。



ハルトは目を閉じた。

落ち着こうと、深く息を吸う。



……風の音。


目を開けた瞬間、ハルトは息を呑んだ。


そこは、見たこともない場所だった。



「……え? ここ……どこ……?」


バイトへ向かう途中の駅前の景色はなく、

目の前には――血と灰で染まった荒野。


理解が追いつかない。


(は? ちょっと待て……なんだこれ……?)


息が荒くなる。

胸がひどくざわつく。


そのとき、背後で――“ドスッ”と重い足音。


ハルトはゆっくり振り返った。


黒い皮膚、角、裂けた口、黄色い瞳。


見たことのない“化け物”が、

何体も、何体も、円を描くように自分を囲んでいた。


「……っ、は……? なに……あれ……?」


頭が真っ白になる。


“ゲームでも映画でもない”。

“人間の作り物じゃない”。

そんなこと、見た瞬間にわかった。


魔族たちが、一斉にこちらへ顔を向けた。


ぞわり、と背中を汗が伝う。



魔族たちが一斉にこちらを向いた瞬間――

地面が揺れるほどの足音が近づいてきた。


「…………え?」


次の瞬間、


「――っ!?」


「うわぁっ――!?」


横から殴り飛ばされた。

視界が一瞬で吹き飛び、身体が宙を舞う。



背中から地面に転がり、土と砂が散った。


「っ……いって……っ……!」


息はできる。

でも、身体の芯に響く衝撃が痛くてまともに起き上がれない。


(な……なんで……殴られた……?

 なにが……起こってんだよ……!)


息がうまく吸えない。

心臓が暴れて、手足が震えて止まらない。


視界がぐらぐら揺れる。


魔族たちがこちらを囲んでいる。

獲物を見つけた獣みたいに、楽しげに。


そして――笑い声が聞こえた。



「ヒャハハハッ! おい閃光のリオどうしたさっきまで勢いは!」



「見ろよコイツ! ビビってるじゃねぇか!!」


「“英雄”が泣きそうなツラしやがって……

 まるで別人みてぇだなァ?」


ハルトには、彼らの言葉はひとつも理解できない。

知らない音、知らない言語。

だけど、“嘲笑っている”ことだけは分かる。


(やだ……こわ……なんだよこれ……!

 なんで俺が……なんでこんな……!)


魔族たちがニヤニヤしながらじりじり近づく。


どす黒い殺意が伝わってくる。


武器が、ゆっくりと持ち上がる。


(……死ぬ……)


相手の武器が振り下ろされようとした、その瞬間――

視界が白く弾けた。



――《パラヴェル・リンク》、発動。


視界が白く弾け、足元の感覚が消えた。

ハルトの意識は、深い闇に引きずり込まれていった。

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