第3話
四月七日、一ヶ月前は蕾だった桜が咲き始め、街路樹だけではなく敦賀高校の敷地内に植えられた桜も満開になった。
中学まで徒歩で通学していた僕は自転車通学となり、家から一五分ほどかけて高校に到着した。中学の頃より多い自転車小屋のどこに置けばいいのかわからなかったが、一年生と表記された場所に一時的に止めておけばいいようだ。
少し大きめの新品の制服を引っ張り、アディダスのリュックの肩口をぎゅっと握る。校舎横のアスファルトで舗装された道を歩き、他の学生が友達と喋り合う中、僕は一人だった。すでに、置き去りにされている気分。
生徒玄関で先輩たちが胸に花飾りを付けてくれる。クラス表も手渡され、ずらりと並んだ下駄箱の中から自分の名前が書かれた場所を見つけ出す。
青色のスリッパをリュックから取り出して履く。トイレのスリッパみたいだけれど、圧迫感がなくて使い勝手がいい。スリッパだと廊下で走りにくいから、風紀にもいいのかな。
クラス表の裏に書かれた地図に従い、僕は一年一組に向かう。文理進学科、普通科、商業科、情報経理科の四つある中、僕は文理進学科、大学進学に力を入れた学科だ。
親は三代続く大工だけれど、父は気にする必要がないと言っている。むしろ、大学に入るよう強く言われた。
「お、おはようございます」
挨拶はしっかりこなした。だが、教室に入ると、びっくりするくらい知っている人がいない。クラス表を見ても、知っている者はゼロ。他県の高校に来たのかと疑ってしまうほどだ。
廊下側の一番後の机が僕の席だった。机の表面にワックスが塗られているからか、使い古されている鉄製の脚よりずっと綺麗に見える。この机と一年間一緒だと思うと、運命に近いものを感じた。
「おっはよう~、神村くんっ」
ラッパが暴発したような声が、隣の椅子に座っている女の子から発せられた。耳がキーンとして、フラッシュバンでも放たれたのかと錯覚するほど。
僕はクラス表を見て名前を知る。
「小日向(こひなた)さん……、おはようございます」
「もう、そんな呼びにくい苗字じゃなくて、香奈でいいって。あと、同級生なんだから、敬語もいらないよ」
小日向というか、大日向なのではと思うほど、にぱーっと光る笑顔が可愛い女の子だった。肩に当たらないほどの茶髪、ほんのり施された化粧によって透明感が増した白い肌やピンク色の唇、長いまつげに彩られた大きな瞳……。
眼鏡はかけておらず、背筋の伸びたいい姿勢。否応にも主張が激しい胸もとは、おそらく中学にいたクラスの女子の中なら、余裕で一番大きい。
――星野さんと名前が同じなのに、印象が全く違う。
小日向さんはすでにそのルックスと明るい雰囲気、大きな胸の影響か、クラスの男子たちからチラチラと視線を向けられていた。日の光を全身に浴びたひまわりのような印象の強さに、僕は言わずもがな圧倒された。
初めましてのはずなのに、ここまで明るく接してくれる人に会った覚えがない。でも、机の上に置かれたおしゃれな鞄に取り付けられた氣比神宮の縁結びのお守りを見ると、なんか良い人に思えてくる。
「神村くん、いつまでも立っていないで、椅子に座ったら?」
「あ、ああ、そうだね」
僕は中学の椅子より少し大きいような気がする椅子に腰かける。リュックは机の横についたフックに引っ掛け、筆記用具を取り出しておく。
時刻は午前八時二〇分。三〇分から入学式の説明があり、午前九時から体育館で入学式が行われる。
その間、クラスの者たちと会話し、仲を深められればいいのだけれど、そう簡単に行かないのが思春期の男女。
僕も初対面の人に簡単に話しかけられるほど気持ちが強くない。というか、話しかけてもいいのだろうかと思って、気が引いてしまう。
なのに、香奈さんはだれかれ構わず、周りの者や反対側にいる者にまでよく通る声で話しかけていた。凄いコミュニケーション能力……。初日からこんなに声が行き交うクラスは中々ないのではなかろうか。
教室に来た先生は、入学式の流れを説明してくれる。どうやら、まだ担任の先生というわけではないようだ。入学式で、各教室の先生が発表されるらしい。
「今後、体育館に集合するときは各自で移動してもらう。ちゃんと覚えておくように」
高校は義務教育ではない。だからこそ、学生の自主性が重んじられる。
「ワクワクするね……」
背後から耳元でささやかれ、僕は「はわっ」と女の子みたいな声が出た。
香奈さんは猫みたいな口でクスクスと笑う。
席順ではなく、番号順なので彼女はもう少し後ろのはずなのだが、並びは大して重要ではないらしく、場所の移動が起こっていた。今日以外、自分で移動することになるのだから問題ないのだろう。
彼女は案の定、先生に指導されており、笑ってごまかした。ちょっと話しかけられただけで声を上げてしまった僕も申し訳なく思う。
全校生徒が移動するため、放送で案内がかかり、一年生の移動が告げられると先生の背中について歩きだした。
旧と新の二つある体育館の内、新体育館に移動。体育館では内履きを脱がなければならず、靴下で移動。前方にならばされ、中学校よりも多い生徒の数に圧倒される。僕を十人並べても届かなそうな高い天井に張り巡らされた鉄骨、換気用のファンが勢いよく回り、風の流れを作り出していた。
この場で、話を聞くと高校生になったんだとやっと自覚する。もう、中学には二度と戻れない。
やり直したいことがあっても、不可能だ。生憎、やり残したことはない。だが、星野さんの名前はクラス表に乗っておらず、彼女は敦賀高校に進学していないとわかってしまった。告白した時に戻って、彼女の進学先を聞いておけばよかったと後悔している。
一年一組の担任は西山先生というガタイの大きな鬼みたいな男性教師だった。高校でも教科ごとに教師が変わるのに加え、給食もなくなる。担任の先生との繋がりは他の先生よりあれど、大分薄まっている。
高校生初のホームルームは当たり前のように自己紹介ばかりだった。
最初の一ヶ月は名前と顔を一致させるのに苦労するだろう。ただ、隣の席の香奈さんは一発で名前と顔を覚えてしまうほど印象が強かった。これくらい、印象が強い人が多ければいいのだけれど、そういう訳にもいかない。
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