3 - シェアハウス(上)

気怠さひねもす午後n時、それのみが続く、素朴な苦痛が依然リアリティの最終審級たる地位をほしいままに。視界の端で滲む往来をかわし、ガンガンガンガン痛む頭やら身体やらフラフラと抱えながら痛覚束ない足取りで階段。駆ける視界を総崩し、迎え酒のようなおれはいつも通り文字通りガンガンガンガン頭を叩き上げる。たぶんこれは良くないのだろ。たいていの場合おれはこうしている。何か分からなくなる。原因や時系列を半ば強引にこのように錯綜させる無為。俺の人生は半ばこういったことで構成されていて、そうまとめてしまって差し支えない。全てを叩いて有耶無耶にする。ぼやけてさらに悪化する。だから俺は手当たり次第破壊してまわる。

誰だって、ある程度こう生きていくほかないではないか?


コンドームが落ちている。

降りた先、倒れ込むようにして寝転がったから。どことも見えない床面積や温度などのその感覚を鈍く欠くように鼻腔を突くはセンシティブの申し子。彼奴等、片付けろと何度言ったら分かるんだ。そこまで思って、言って?下らなさで堪らなくなる。半笑い的時空、世界観?何であれそれが全面化。全域化。

ダルい精神肉体一絡げに鳴く、こう鳴く。「奴等って誰だ。」

同じ奴等なのか、人間かすら。原因なくここに生成されたものですら、あり得る?もうつまらない話だその辺り当たり障りない紋切り型の思考を打ち切り、何もかも後回しにしようと眼窩ごと不貞腐れようとしたところ、唐突にぴと、と。頬のあたりに冷たい感触。その瞬間の俺は頬であり頬がすべてであるように収縮する。その勢いに任せるように仰向け、ずっと曖昧な開き方、閉じ方だった目を掻っ捌く。

「ふふっ」

上裸の女がそこにいた。

こいつはいつも上裸だ。重力に従ってゆらゆらと乳輪がその軌道が残って見える。11という数字が見える。こいつの乳輪は光っているのか?そうでなきゃおかしい。それは無理だ。

「大丈夫?」

基本的には。

「チッ…………」

寝転んだまま手当たり次第手をワチャワチャワチャといっちょ上がりにそいつを視界から振りほどく。

「なに……人の顔見るなり……」

乳を豪快にビンタされ距離を置くそいつを横目、膝立ちになりそのままゆっくりと起き上がる。足元にポカリが映って立ってすぐ屈んで地面から取り上げる。基本的に俯いているからこうなる。

勿論のことこのザマでは乱雑に開けられる。キャップは手から滑り落ちて豪快に中身をこぼし手や足がベタベタベタベタコンドームにもかかる。これは元々ベタベタしていてサラサラに?ならば良き事?均衡?はは?

……どうでもいい。顔を真上に傾け、剣飲み込みパフォーマンスよろしく流し込む。息ができない。飲む時にこんなにも息ができないものかと思う。本当に?なんか苦しくて気持ちいい。これまでもそうなのか?こんなことすらよく覚えていない。俺はこれまで何かを飲んだ回数を覚えているのか。

飲み干して、たぶん飲み干してはいないそれを放り投げる。こいつはそれを黙って見ている。いつもそうだ。

「片付けろよ」

コンドームを指差し顎でも伝える。

「まず……私のじゃないよ、別にいいけど」

「いや、なら良い」

まあそうか、と思う。なら”片付けろよ”って言い方は言い過ぎだったかもしれない、けど何か無性にイライラしてどうでもいい。こうして少し他人の立場に立っては直ちに切り捨てられるぐらいには頭がはっきりしてきたようで、輪郭然としてくる。して来た後屈み、無感動にコンドームを拾い上げる。

それはたちまち鉄の塊になって、鉄錆色のヌメッとした液体を帯びる。なぜか匂いを嗅ぐ。匂いを嗅ぐ。おれにはこれが極めて直感的なことのように感じられなぜなのかは分からずじまいでそのままとにかく精液のような匂いがした。特有のめまいのような匂いから巡るように思考が、しかしどこからどう見てもこれはオイルだろうと伝えてくる。かつてコンドームであった先入観に囚われすぎてやしないか、そうも伝えてくる。

しかし、視覚以上の先入観などあり得るだろうか。


「じゃ」

視界の端に映らない男が玄関から声を掛ける。

こちらを向いたまま軽く手を上げ、軽く頭を下げる目の前のこいつ、流れるようにポカリを丁寧に開ける。


「 ……じゃ、また」

女は丁度ポカリを飲んでいたからか何の会釈もしない。

しばらくし、かくして部屋は閉じられる。


「おはよ」

「……ああ」


よく見ると全身裸だった。それも全く珍しいことではない。

肩にタオルだけをかけている。それも同様。

机の上を物色するこいつ。ここは共用部なのだが、何もかも共用と言わんばかりにここにあるものは全住人が自由に使うことになっている。無論明文でそうなっているわけではない。こいつと共同で作ったシェアハウス規則なるものを一瞬思い出し、その紙を電磁的記録もまったく同じやり方でクシャクシャにして捨てる。あまり想像力というものを舐めない方が良い。


コンソメポテチをつまんでいる。その色と掛かっているタオルの色が重なって擬態できそうだと思う。何に。どこで。


「同一性奪還連合は」


「……ほんと毎日聞くわね」


早々に飽きたのかポテチを机の端へと投げ置き、ソファに座り手いじりを始める。デスノのLみたいな座り方をする。


「別に、いつも通り」


「そうか」


頭がはっきりとしてくる。


いつしか、世界はおかしくなってしまった。

コンドームが鉄の塊になりオイルを帯びる。気味が悪いと放り投げ、落ちれば根を張り花咲かす。ここに残された脈略というのはほんのその程度、一握り。掴んだ瞬間指間から零れ、掬おうとしては覆われている。許すまじ、斉一性・ライフラインを搔っ攫っていったのは何者か?キリストの怒り、シュミレーション仮説、量子力学的云々と各々が好き勝手口伝論文SNSと至る所に考察を垂れ流してはとめどない。様々な解釈ごった煮溢れ、好悪構わず頭蓋に注いでいっちょ上がり、お好きな解釈一口どうぞ。情報力こそパワー。

ではではとならば仮にと、こんな生きていくことにかかる痰壷以下のスープを飲み干したとして、それでも尚おかしいだろうという向きはある。ではお前はなぜ今お前でいられるのか、この女はこの女でい続けているのか。このシェアハウスだって。そういう向きがあって当然だろう。それらに対する最も誠実な返答は何か。

「おかしいです」

何が維持されて、何が持続しないのか?不明。

強く認識されているものや強い思いを向けられているものは変化しないー最初期はそんな人間中心主義的インフルエンサー最強説的な世界観がまかり通っていたし不可解なことに確かにそれっぽい相関はある。あるのだ。恐らく一つの要素なのではあろう。がそこまで期待はできない。まさしく多くの人から認識され、期待を向けられ!情感たっぷりに全てを扇動、こんな世界の中でなおも民衆を希望へと導いていた活動家がある夜突然卵になったりする。すなわちー人型の炭酸カルシウムの容器の中に卵白と卵黄が入ったものーになり、あえなく愛人の寝返りでぐちゃり。ガキの風物詩卵かけベッドの完成!ああ!なんとも可哀想な愛人、うら若き娘よ!彼女はひび割れたダーリン?を見て悲涙に暮れながら卵白と卵黄に包まれ、最後の甘い一夜を過ごしたのだーんだとかなんとか。そういうことには枚挙にいとまがない。ひどくありふれたニュースで目にも留まらない。それでも初めの方は論争を巻き起こした。何故あいつが、なぜよりにもよってあいつが。繰り返すが最初期は意志の強さによって自己同一性を保てるからだそれが世界全体に言えるようになったんだ哲学最高フハハハハハハ状態だったのだが、当然そんな解釈に風穴が開く。また愚民どもは好き勝手様々な意見を節操なく垂れ流す。実はそういう先導的で扇動的で情感たっぷりに見える奴こそ実は大半が演技的人格者なんだとか、ああいう奴ほど実は裏での行動がエグくて実質的な求心力がなかったんだとか、実はその他の外的要因の方が支配的だとか、色々。そんなこんなで俺たちは「実は」というのは常に言える言葉であることを知った。無くなったものに対しては何とでも言えるということも。そういうことを比較的いろんな人が理解するようになって、これは幾分か旧世界よりマシになった点なのではないかと思う。

そう、マシな点も多い。念じたものが目の前に生成される相関すらある。体感0.01%ぐらい。それでも0との間には大きな隔たりがある。念じるという行為にかかる時間を極限まで短くすれば云々ということは昔考えた。しかし、その程度のことは大体のやつが思いついて、大前提になっていない。つまりはそういう事で、俺たちは皆呼吸を思いつき、全員で実践している。

そうそう、確かに次の瞬間俺が鉄パイプになって爆散するシナリオもあるにはあるのだが、人間が非人間に、死んだとすらいえないようなサムシングな状態となり端的に消えるような確率は、旧来の世界で突然死する確率と恐らく大差ない。恐らく。少なくとも俺の周りには見たことがない。無論そうなった後ではそうなり方によっては気づけないだけという向きもあって何も言えない。まったくもってその通りでございます。


「……生存者バイアスの話、好きね」


このように。

心が読めるときがある、という変化も唐突に訪れた。稀ではあるが。

哲学者はこの現象に対して、「この現象が成立するためには完全に内的と思われていた我々の思考に外的な共通項が存在する必要がある!」云々言い出して息巻いて盛大に騒ぎ立てた。長らく緩慢な自殺のような在り方をしていた哲学的コミュニティはとても元気に。ああ私たち哲学者の考えていた形而上的なことが実用的な思考になるレベルの世界変化が起きたのだとかなんとかそんな勢いで、一時期哲人政治は一大ムーブメントを起こした。これがプラトンの理想とどれほど近いのかはともかく、しかしやはり大体の一般人からしたら素朴に言語で考えているんだから共通する部分もあるのは普通じゃねみたいな感じで何がすごいのか分からない。統合失調症患者が初発で直感する程度の飛躍であるし、なぜだか人間にとって直感的な不可能事らしい。いや不可能じゃないんだが。

哲学者は「そういうことではない」と色々ゴチャゴチャ言ってまくし立ててくるが何がそういうことでないのかやはり一般人にはさっぱり分からない。さまざまなメディアにまで出て「そういうことではない」を繰り返す。腹が膨れるわけでも気持ちいいわけでもない話を延々と続ける哲学者に対する民衆の心象。良いものなわけがなかった。

そして暫くして科学者が「そんな強いものを仮定しなくてもこの現象に説明をつけることはできる」と様々な論文を提出し始めるころになると、さらに哲学者の地位は失墜した。やはり哲学者は理系的な分野に知識もないまま越境してきては適当なことを言うと脳科学者は語る。哲学者は「そういうことではない」とさらに語気を強めてゴチャゴチャ言うのだが、それがどういう事なのか取り合われることは無く、結局一般人にも専門家にも相手にされない哲学者たちは身内内だけでジャーゴン・象牙の塔を築き上げるに至った。

このあたりは、特に旧世界と何ら変わりないと言える。


そんなこんなで、変わり映えしかないこと変わり映えしない室内を眺める。旧世界の時だってミクロなスケールではそうだったのではないか。よく分からない。ふと目に映る女は爪を噛んでいる。見かねて俺もイライラしてすかさず爪を噛む。すぐに思う言っておくが俺の方が爪を噛む。言葉より態度で示そうよ!ほら俺は深爪を食い散らかす。そんなあのな共用部だけで爪を噛むな白い部分のある爪なんて爪じゃない。お前それ人に見せる用の爪噛みだろそれ。”見せ噛み”?お前だけみたいなそぶりはやめて欲しい。意味が分からない。だから訳も分からず自分を攻撃する。ヤクをやっているかとしか思えない80年代バンドボーカルがマイクに食らいつくように爪を噛んでは見せつける。こいつはそんな俺をバカを見るような表情で黙って見つめている。いつもそうだ。こいつは。


「なに……やめなよ」


「うるせえ」


無性にイライラする。何に?分からない。分からないことにもイライラできていやむしろそれが一番のストレス源な気もしてきて自己参照がいつでもできて神だと思う。持続可能エネルギーをここから取り出せるのではないか。俺はいつからかかねてからずっとそうだ。かかる気分で起床することは発狂することで転で共用部に転がり落ちる。ずっと自分の部屋にいると人を殺しそうになる。やばい。ずっと自分の部屋にいるべきかもしれない。俺はこのグツグツと、それでいてダラダラと垂れ流すような何かを爪というかもはや皮膚にぶつける。昇華先としてこれ以上のものを今の俺には思いつけない。


「……もう」


女がどこからか絆創膏を持ってきて手の指に貼ってくる。どこからかすぎる。女一般にそういう習性がある。これは本当に本質的で、裸であっても変わらずそうであることからも伺える。きっとさまざまな物理的制約を超えて女性性に内在的に宿る特質なのだろうね。優生学ありがとう。


ぺたり、ああもう手の指に貼られた絆創膏というのはいつだって中途半端にめくれる。俺だってこの程度の施しでじっとしてはやるようなタマじゃないから尚更。シワシワの絆創膏というこんなフラストレーションにましてや今の俺が耐えられるわけもなく貼られた矢先に剝がし返す。そんな和気あいあいとしたコミュニケーションを2・3回。


「あのさ」


「あ?」


「何にでも張り合うの、やめて」


うるせえよ。

「うるせえよ」


「怒ってるの」


「怒ってない」


「……」


「全く。いつも何とも思ってない。別に張り合ってねえし、無理やりにキレるぐらいしか娯楽がねえんだよもう、分かるか?分かんねえよなお前には、お前にはよ」


「……」


ほら何も言わない。何とか言えよと思う。流石に理不尽なことを言っただろ。だから何とか言ってみろよと思う。不思議と強く。


「……ゲームでもする?」


ほら。

何も言わない、言えない?何であれ何だって誰だってこうして受け入れる。そうだ。俺はそれを毎晩のように知っている。別に悪いことではないのに?分かってる。


女はふっと立ち、テレビの方向へ。

軽やかな足取りとは対照的に、ゆっくりと、股から膝裏あたりにかけて時間を引き伸ばすようにたらーと伸びる白い筋。唐突に目に入って、遠近法みたいなものがおかしくなったあの感じ。ぐにゃり、ダラダラとそれが今はすべて、のようで、見た瞬間その粘性がメタファーがまるで部屋全体を満たしているようで、今日は、今日も、どうも全てが、ジメっとしていて、ベタついていて俺だってそうだ。そう気づいた。悪い。

気分が悪い。


粘液が正座に折り畳まる。何も見えなくなって打ち切られる。

女はコントローラーを取って、「やらない?」 

やらない。

気持ちが。とにかく湿りきる、湿り着いて張り付いたから?イライラして仕方ない。じんわりとした体温が汗が覆って体毛と脳漿が丸ごとスライムになったかのようで「気持ち悪い」とか言う。「そ」とか言われて、おれは胸のあたり服をギュッと掴まれたように掴んで、踵を全返却。逆方面にある脱衣所へと足取り重やかに。その短い行程のうち肩やら足やらをぶつけた回数が分からなくて、まま胸のあたりを掴んでいた片手をそのまま上げて無理やり脱ごうとして当然にうまく行かない。耳やら脇やら頬やらを巻き込んでかったる痛い。ベタベタする。全部気に入らなくてより無理やり脱がす、ベタベタ張り付いた皮膚を剥がすように脱ごうとして急により痛い。どこかの筋を違えたり色々。結局どう脱いだのか理解しないまま変な視界になって脱ぐあの感じ。まだダメ。何故ベタベタがこんなにも嫌で、ベタベタメタファーだったとして、ここまで気分が悪く?分からない。どうでもいい。ズボンとパンツを捨て、肩から倒れこむように風呂場へと。

ああ、もうなんだかやはりよく分からない。消えずにイライラする。何に?そんなに急に?最近、いつから?いつもそうだ。夏なんだからベタベタぐらいしているはず。ベタベタを取るために風呂に入るというのも深く考えたらよく分からない。より濡らして拭いたらどうにかなる道理を俺は知らない。簡単なことのようにも思える。でも頭が回らない。考えても仕方なくシャワーを出す。右側にそれは出力される。鏡。跳ね返ってくる水滴が死ぬほど冷たいあれ。暖かくなるまでの時間をただぼったってる自分がなんか鏡越しにクソ滑稽に苛ついてきて頭から突っ込む。


ハハ。

何か表皮内部のものに何かが沿って通るように、神経絞めが如く縮するよう過剰な反射反応により自らを痛めるような感じで一気に思考が立ち現れない。熱量とは情報量かと思う。思わない。

当然俺はフオォーーーだとかシュポオオだとか発することになる。水で頭を一気に掻きまわす。心臓が持っていかれそうになって悪くない。少なくともベタベタはしなくて、それがどういうことなのか分からない。

ああなんかイライラしてきた!

すかさず風呂場の壁をぶち殴る。掻きまわす手の片方だけで片手間に。当然奇声発して手を引っ込めてなんだか冷水が身に染みる箇所が多い。節々にいたるところに局所的に拳痛すぎる。笑えて来るぐらい吐き気がして痛くて面白い、そう。それはなぜか、悪くない。

なら、何に? こんなにも更に。

ふとそんなことを思って何だか笑いが止まる。よく分からない。イライラしながらも却って今度は脱力してくる。次第に操られていない操り人形のようにだらんと。意味がない。情緒が大丈夫ですか。拳だけの感覚のままに雨打たれる。気が利くのか利かないのか、温水になってくるのを感じた。さらに心地よくてどうでもよくなってくる。痛みもなんだか。そんなこんなでしゃがみ込み、打たれたまま横になる。しばらくこうする。


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