第5話 はじまり
そこまで話した段階では、思ったほどの驚きは返ってこなかった。むしろ「やっぱりね」と、腑に落ちたような空気のほうが強い。
けれど、マルスが手のひらを開き、魔石を見せた瞬間――空気が変わった。
「すっげぇ……!」
最初に声を上げたのはダイだった。
目を丸くしたまま身を乗り出してくる。
蒼い魔石。
――『宿命のタリスマン』。
名を知らずとも、ただの魔石ではないとわかる輝きがあった。淡い青の奥で光が静かに揺れている。小さな石なのに視線を引きつけて離さない。
「実はどこかの国の王子様だったりして?」
「さっきも言ったけど、山に囲まれた村の子だよ」
「高価な魔石を持つ村人……
「それなら納得! ……しないわよ」
錬金術の起源とも語られる伝説の地に住み、黄金の都を築いたという。冒険譚ではよく知られた存在だが、子どもでも作り話だとわかる類の話だ。
「よくわかんねーけど、これ売れば解決ってことだな!」
「いくらするのかしら……」
机を囲む四人の視線が、いっせいに蒼へ吸い寄せられる。
誰かが喉を鳴らし、それにつられるように空気がわずかに緩んだ。冗談半分だとわかっていても夢は膨らむ。マルスも値段だけは少し気になった。――もちろん売るつもりはないけれど。
「で? この魔石がなんなんだ?」
ダイが座り直し、改めてマルスを見る。
浮つきかけた空気を話の芯へ引き戻す声だった。
マルスは魔石を握り直した。ひやりとした感触が、かえって指先の熱を際立たせる。
「きっと、これのせいで……僕は何度も同じ日をやり直している」
「「へっ?」」
アイカとダイの声が揃った。
「嘘だと思うかもしれないけど、僕はもう何度もみんなと――ララーナ冒険隊と会ってるんだ」
部屋が静まり返る。
さっきまで魔石を中心に囲んでいた視線が、今度は一斉にマルスへ集まった。
眉をひそめる者。目を瞬かせる者。
誰の顔にも、すぐには飲み込めないという色が浮かんでいる。
当然だった。
父でさえ合言葉を決めるまでは信じきれなかったのだ。
「……本気で言ってるんだよな?」
「冗談だったらよかった。でも、あのまま〝契約〟していたら取り返しのつかないことになったと……思う」
「『思う』って、どういうことよ?」
「『湖畔の主にはかかわるな』って、前回のダイが教えてくれたんだ。だから、理由まではわからない」
「ええっ、俺?」
ダイが素っ頓狂な声を上げて自分を指さす。
マルスは頷いた。本人に心当たりがあるはずもない。
けれど、きっと前の繰り返しでは、アイカの命がかかった状況でカジアシのもとへ向かったのだろう――そこまでは想像できた。
「信じてほしい」
証拠はない。
合言葉のように確かめられるものも、今この場にはない。
だから、マルスは頭を下げた。
床に落ちる視界の端で自分の指先がわずかに強張っているのが見える。
二度目の沈黙を破ったのはシシドだった。
「前回って、結局どうなったんだ?」
低く、まっすぐな声。
責める響きはない。ただ、知るべきことを知ろうとする問いだった。
その一言に、喉が詰まる。
アイカの死。
ララーナ冒険隊の解散。
衰弱していくダイ。
どれも言葉にした瞬間、現実としてこの場に落ちてしまいそうで重かった。
(……全部話すって、決めたじゃないか)
胸の内で自分を叱咤し、息を吸う。
だが、口を開くより先に――
「待って!」
鋭く遮ったのはロロだった。
全員の視線がそちらへ向く。
ロロはいつものように声こそ大きくないのに、その一言だけで場を止めてしまう力があった。
「本当に必要なことしか話しちゃダメ」
「なんでよー! 知りたかったのに」
「……マルスが、なぜやり直してるのか考えて」
その瞬間、部屋の空気がひやりと冷えた気がした。
誰もすぐには言葉を継がない。
けれど、たぶん全員の頭に同じ答えがよぎったのだと、マルスにはわかった。
――死。
やり直しの条件がもしそれなら。
前回を語ることは、そのまま「どう死んだのか」に触れることになる。
「ご、ごめんね」
「僕は大丈夫」
アイカがしゅんと肩をすくめる。
重くなりすぎた空気を払うように、ダイがぽんと膝を叩いた。
「ま、細かいことはいいだろ。聞かなくたって、信じりゃいい話だ」
「うん……そうね!」
「マルスもだぞ。言いたくないことは言わなくてもいい。だけどな、秘密でも何でも、抱え込んで潰れられるほうが困るからな?」
ダイは軽い調子のまま言う。
けれど、声音の底にはふざけていない強さがあった。約束とでも言うように。
「俺は信じるぜ」
「オレもだ」
間髪入れずにシシドが続く。
短いひと言なのに、岩みたいに固い絆が見えた。
「もちろん、私も! 最初はびっくりしたけど、マルスが嘘つくようには見えないし」
「……信じること自体には、異論ない」
「ありがとう……みんな」
ロロも静かに頷く。
ただし、そこで終わらせる気はない顔だった。
「でも、それと無防備に話すことは別」
「無防備?」
「魔石でも、
「…………」
「それを知る私たちだってどうなるかわからない」
淡々としているのに、一語ずつが妙に現実的だった。
まるで、ただの想像ではなく、そういう危うさを知っているかのように。
「確かになぁ。やり直せるなんて話、広まるだけで面倒どころじゃ済まねえな」
ダイが頭をかきながら息を吐く。
さっきまでの気軽さは引っ込み、今度は本気で考えている顔だった。
未来を変えられる。
そんな力があると知れば、欲しがる者はいくらでもいる。利用したがる者も、奪おうとする者も。
マルスは無意識に、握った魔石へ親指を添わせた。
小さな石ひとつが、急に刃物のような危うさを帯びて見える。
そして同時に、別の引っかかりも残った。
ロロがこの手の危険を、あまりにも自然に受け止めていることだ。前例でも知っているような口ぶりだった。
けれど、今はそこを掘り下げる場ではない。
「ここだけの話にしよう」
ダイが言い切った。
迷いもない、隊をまとめる時の声だった。
「マルスのことも、魔石のことも、やり直しのことも。俺たち五人だけの秘密だ」
「賛成」
「もちろん!」
「オレも異論はない」
「……うん。それがいい」
四人の返事が重なる。
大きくはないのに、不思議と頼もしかった。
マルスはようやく、胸の奥に張りつめていたものが少しだけ緩むのを感じた。
秘密を打ち明けたことで、失うものもあると思っていた。けれど今、目の前にいる仲間たちは、背を向けるどころか一歩踏み込んでくれている。
それが、たまらなく心強かった。
「ただなぁ……これで当てがなくなっちまったぜ」
「あんなの、最初から当てになんかしてないでしょ」
すかさずアイカが言い返す。
ダイも軽口のつもりなのだろうが、その言葉で場の空気が少しだけ現実に引き戻された。
カジアシがどんな人物なのか、マルスにもまだわからない。
けれど、湖畔の主と繋がっている危険人物であることだけは確かだった。
そして――夢で見た出来事が、ただの悪い想像では済まないところまで現実味を帯びてしまった今、もう目を背けられないことがある。
きっと、湖畔の町で起きている異変はまだ序章にすぎない。今はどうにか最悪を遠ざけられているだけで、やがてグールが現れ、その先には
喉の奥がかすかに強張る。
この先を口にすれば、部屋の空気はまた変わる。けれど、もう黙っているわけにはいかなかった。
「当てなら、あるよ」
四人の視線が、まっすぐマルスへ集まる。
「ただ……これから起こることは、みんなが思ってるより、ずっと深刻なんだ」
言い終えた途端、重く沈む空気を想像した。
けれど――
「いいぜ。付き合おうじゃねーか」
「なんか、ちょっと燃えてきたかも!」
「うしっ。ようやく本題か」
「……え、本当に聞くの?」
返ってきたのは、予想とはまるで違う声だった。
ダイは口元を吊り上げ、面白くなってきたと言いたげに顎へ手を当てる。
アイカは身を乗り出し、目をきらきらさせていた。
シシドは拳を軽く握って膝に置き、やることが見えたと言わんばかりの顔をしている。
そしてロロだけが、露骨に嫌そうな顔で眉を寄せていた。
あまりの温度差に、マルスは目を瞬かせる。
「な……なんで、そんなに前向きなの?」
「だって、なんだか英雄譚みたいじゃない!」
アイカが迷いなく言う。
その言葉に、マルスはわずかに息を呑んだ。
湖畔の異常。迫り来る脅威。そこへ踏み込もうとする自分たち。
そう並べてしまえば、たしかに物語めいて聞こえるのかもしれない。
「それってもう、放っておけないやつじゃない」
「ま、厄介ごとだってのはわかったけどな」
ダイが肩をすくめる。
「だからって、見て見ぬふりする柄でもねぇし」
「オレたちは、もう同じ話の中にいる」
シシドの言葉は短い。けれど、不思議なくらいぶれなかった。
ロロが小さく息を吐く。
「……ほんと、信じられない」
「ロロは嫌だよね?」
「嫌に決まってる。危ないし、面倒だし、ろくな予感がしない」
そこまで言ってから、ロロはわずかに視線を逸らした。
「でも、ここで聞かないほうが、たぶんもっと嫌」
その答えが妙にロロらしくて、張りつめていた空気が少しだけほどける。
ダイが吹き出し、アイカもつられて笑った。
マルスは呆気にとられたまま、四人を見渡した。
深刻な話をしているはずなのに。
これから何が起こるのかを思えば、怖くないはずがないのに。
それでも彼らは、怯えるより先にこちらへ踏み込んでくる。
――ああ、そうか。
ひとりで抱えていたときには見えなかったものが、少しだけ見えた気がした。
これは、秘密を打ち明けて終わる話じゃない。
軽口を叩くダイがいて、まっすぐ前を見るアイカがいて、拳で語るシシドがいて、危うさを知りながら立ち去らないロロがいる。
個性豊かな仲間たちとの物語のはじまりだった。
マルスは小さく息を吸い、今度こそ言葉を継いだ。
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