第26話 胸に残る濁り
ラブランタンでようやく一息つけた――はずだった。
けれど胸に残ったのは安堵だけじゃない。次の問題がすぐに吹き上がり、その息が溜息なのか、安堵なのか、自分でもわからなくなっていた。
「私まだまだ文字とか、記録のミスが多いから」
昨夜、二階の受付でミルキーも、頭に響くような叫びを聞いていた。怖くなり、魔除けの鈴を握り締めながら左右の客室を回ったという。そして『3』号室――マルスの部屋の扉が開いていたのを確認した。
「声を掛けても返事がなくて……、でも、人の気配だけあったの」
魔石灯を付けると、『血を垂らす剣を持ったマルス』が立っていた。
「そりゃ叫ぶのも無理ない……」
ここに来るまでは疑いを持ち、訪ねてからも半信半疑だった。
ただ、話を聞けば聞くほど、ミルキーの疑いは薄れていく。
――事実を知れば、真実にはまだ遠くなるばかり。
人であれ魔物であれ、侵入者に宿命のタリスマンを奪われれば、マルスは回帰してしまう。何かまでを知っておきたかった。
利用中止となった『3』号室の客室。
今は陽が昇っているものの、マルスはあの夜の現場へ戻ってきた。念には念を入れて、ミルキーとステラさんも一緒についてくる。
手に持たせてもらった鈴を揺らした。
――シャラン
綺麗な音色が『3』号室内で響く。この鈴にどんな秘密が隠されているのかわからない。ただ、今回で魔除けの鈴を忘れないことが大事だと確かめられた。
「あんたが血を飛ばした箇所かしらね。薄っすらへこんでいるのよ」
床には赤や、乾いて黒くなった血の色は残っていない。言われた辺りを触ってみると、へこみの縁が爪に引っかかった。
「"clean"しながら拭くの大変だったんだから!」
「今度やったら、もう貸さないよ」
釘を刺された言葉を、素直に受け止めた。
店先で、ミルキーが上目遣いでマルスを見る。愛嬌たっぷりの営業スマイルと、――目のやり場に困る胸元。涙の後はすっかりと消え、その表情から仕草まで、ミルキーらしさが溢れていた。
「また来てくれる?」
「うん、次も必ず」
そう言って、マルスは足を急がせた。――その次が、普通の明日ならいいのに。余韻に浸る時間すら、神様は与えてくれない。
教会方面から煙が空へと立ち昇る。人々はそれを見上げながら、両手を組んで追悼の念を捧げたり、自分自身の胸を押さえたりしている。
哀れみや生への感謝。みなが様々な感情を膨らませ、心を整理している。
(ふざけるなよ)
この町に来てから、気持ちを落ち着けられる日なんてなかった。束の間の休息や安堵ばかりで、安心して眠ることさえできない。悪夢は前触れもなくやってくる。
あの夢で見たものと同じ。それは、――灰色の煙だ。
マルスは特に何かの信仰をしているわけではない。だから、都合よく引き合いに出される神様もいい迷惑だろう。
でも、運命の神様は残酷だ。そう、認識を改めた。
◇ ◇ ◇
教会のすぐ脇だと思い込んでいた。だが、火葬場は想像よりも離れていた。
マルスが辿り着いたころには、重ねられた薪や藁のほとんどが白い灰に変わり、焦げの匂いはもうない。残るのは、灰の乾いた匂いだけだった。
「死体は穢れを生み、放置すれば災いとなる。ゆえに教会は〝焼却〟を浄化の儀として義務づけ、安らかなる永遠の眠りを約束している」
神父が諭すように、そう説明を行った。
風に煽られて粉が舞い、目を細める。
わずかに残った
「今――聖なる火が、骨に残る執念を焼き、影の縁を断った。
この身はここに終わり、この夜に二度と起きることはない」
これが最後の
その声の中に、ロロがいるとわかる。
彼女の顔はローブで見えない。ただ、肩をひくひくと震わせ、視線は足元にある。地面に雫が落ちては、濃い染みを作っていた。
口を真一文字に結び、腕を組むのはシシド。
彼はわずかな時間も見逃さないように、灰になった場所をただ静かに見つめている。いや、よく見れば腕の筋肉が硬く盛り上がっていた。両手が強い力で腕を掴んでいる。じっと、何かを耐えているように。
「なんでだよアイカ!! 俺のこといつも
そう叫ぶのは――ダイ。
夢で消えてしまった日から、もう会うことはできないと思っていた。頬に肉はあり、骨のような手足ではない。
ただ、表情はあの日と同じ。常に喪失感を滲ませた希望のない瞳。――この絶望が彼を追い詰めたのは想像に難くない。燃えているように見えるのは、まだ怒りの火が消えていないからだろう。
(いつもこんな結果ばかり)
マルスは、歯を軋ませた。一歩ずつ進んでいるはずなのに、マルスが歩む道のりでは、誰も幸せになっていない。進んでは躓いて、変えては転んで。失敗の連続から得られる学びとは、なんだろう。
「俺はリーダー失格だ……仲間を救えない」
ダイのその呟きに、マルスは胸を金槌で打たれたみたいに息を詰まらせた。
一歩、二歩ふらついて後ずさる。地面を滑らせる靴の音に、周囲から視線が向けられる。人々の
――選んだことが、みなの不幸を生んでいる。
そう、気づいてしまったら、マルスはこの場にいられなかった。
自分が
「はぁっ、はぁっ」
立ち止まって膝に手を置く。
鍛えた体からすれば、なんでもないはずの距離。それでも〝選択する〟という行為が重圧になり、マルスは身動きが取れなくなった。心はぐちゃぐちゃにかき混ぜられた色をしている。やがて底なしみたいに黒く沈み、光を失っていった。
目の前に広がる湖畔は、濁りすら見えない。
(いつもこんな透き通っていられたら)
どうやったらこんな綺麗な状態を保てるのか、誰か教えてほしい。
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