第27話 宿命の回帰者

 湖畔をどれだけ眺めていただろう。

 そう思えるほど、何も考えずに見つめ続けていた。陽はまだ傾いていないから、実際にはそれほど経っていないのかもしれない。


「さっき走っていったのは君だよな……?」


 背後から声を掛けられる。この声は知っている。

 振り返らずにいると、彼は無遠慮にもマルスの横に座った。無視はできなくなって、諦めて横顔を見る。――ダイだ。


「ダイの知ってるやつか?」

「この子……誰?」


 遅れてくる二人の声と足音。彼らが誰かなんて考えなくてもわかる。けれど、今は顔を合わせたくなかった。


「いや、俺は知らないよ。のかなってさ」


 二人の問いに、ダイは〝もう一人の女の子〟の名を濁すように答えた。

 マルスは絞り出すように口を開く。


「……彼女のこと知ってるよ」

「そっか……。来てくれてありがとう」


 合わせるように、その少女の名を呼ばなかった。きっと彼らもだが、マルスもまた同じだ。アイカの死を受け止めきれていない。

 それ以上の言葉は続かなかった。

 

 呪いのように〝自分のせいだ〟という思いが繰り返される。


「俺のせいだから。ごめん」

「は?」


 不意に来た謝罪の言葉に、思わず素っ頓狂な声が出た。ただ、そのダイの言葉を真っ先に否定したのは、マルスではなかった。


「ダイてめぇ! おごんなよ?」


 シシドが彼の胸倉を掴むように引き上げた。睨み合う二人に、ロロが悲しそうに呟く。「仲間じゃ……ないの?」と。

 胸倉から手は力なく離された。ダイはその場でへたり込む。


 皆が皆、自分のせいだと思っている。

 ――でも、一人で抱えることを許してもいない。


「仲間……か」

「当たり前だろ。半端な気持ちで村を出たんじゃねーぞ」

「……同じ気持ち」


 今は違う。だけど、その輪の中にはマルスも確かにいた。そんな未来があった。――彼らは覚えていない。

 

 ロロと文字を使って知識を深め合ったこと。

 突然の襲撃。仲間だと言ってくれたダイ。

 "cleanクリーン"の魔石を自慢げに語るシシド。

 アイカに鼻をつまみながら助けられたことから始まり――笑顔で明日を約束した夜。


 たったの一日の出来事が、なんだか遠く感じる。

 だけど、マルスはしっかりと覚えている。今も彼らを仲間だと感じている。


 マルスは――もう一度、取り戻したいと強く願った。


「おい、革袋の中が光ってるぞ?」

「魔石灯でも入れてたか」


 マルスは革袋から、光の元を取り出した。――宿命のタリスマン。

 深い青色が透明に見えるほどの眩さを放っている。今までこのように輝いたことはない。


「……目が痛い」

「僕も、どうなっているのかわからない」


 輝きは強まる一方で、マルスを中心にして包み込んだ。魔石は引っ付いたように手から離れない。


(光に飲み込まれる!!)


 目も開けられなくなる。次の瞬間、意識は別の場所へ滑り落ちた。


 ………。


 水の上に浮かんでいるみたいだった。冷たくはない。上下も左右も分からない。目を閉じているのか、開けていても光がないのかも判別できない。

 ただ、〝浮いている〟という感覚だけがある。


 ここにくるまでは忘れていた。でも、今は記憶がある。――二度目だ。


 願イ。


 その言葉が、時折、頭の中に浮かぶ。


 マリウスは自分が何を願っているのかをはっきりと想像ができた。


『愛する人たちを誰も失いたくない』


 前回と同じ。だが、そこには大きな違いがある。対象は家族や村の人たちだけではなくなっていた。――を失いたくない。


 願イ?


 どこともわからない世界で、何かに向かってマルスは頷いた。

 頭の中に浮かんだ言葉が、ニヤリと歪んだように湾曲して消える。

 

 一点の光が現れ、次第に広がり、マリウスを飲み込んだ。


 ……。


 見慣れてはいない。だが、見たことのある天井。水の匂いではなく、木の温もり。マルスは慌てて体を起こす。


(ここは……?)


 小鳥の囀りと穏やかな日差し。掛けられていた毛布が捲れて床にするりと落ちた。

 その先にはベルトホルダーと革袋が置かれている。夜回り隊でいた森でもなければ、冷たい牢の中でもない。


 ここは――教会だ。


(チュートリアルじゃ、ない?)


 運命は、もう戻ることすら許してくれない。村での生活がまるで過去のように思えてくる。それが堪らなく、寂しい。

 自分のわからないところで進んでいく世界が恨めしい。目頭がカッと熱くなる。


 でも、頬を伝う涙はいつだって正直だ。

 本当とか嘘だから泣くんじゃない、気持ちが勝手に溢れてくるんだ。


 ――「戻れて、よかった」と。 


   ◇ ◇ ◇


 瞼が重い。きっと腫れている。


 教会に泊まった日はまだ一回だけ。けれど、ここがその日の朝なのかどうかを、木の器に付いた野菜の欠片だけで判断することはできない。


 真実を求める心が、荷物を掴ませ、足を突き動かした。


 礼拝堂の入口で、黒衣の裾がそっと揺れる。頭巾ヴェールの影から覗く銀の髪が、朝の光を薄く返す。

 カテリナさんが近づいてきて、視線が目元で止まった。


「マルスさん、昨夜はよく眠れませんでしたか?」

「最近はあまり……。それよりも、巡礼録ピルグリム・ログって、もう一度聞くことはできますか?」

「え、ええ。ただそんなに変わるものではありませんよ」


 カテリナさんは祈りながら、言葉をなぞるように呟く。


「罪人とされたマルスは、冷たい石の上で眠り、湖畔の主の夢を見る。自身に与えられた宿命を下に、この地に辿り着く」


 以前聞いた内容と違う……。

 それを彼女に伝えたところで、きっとわからないだろう。この世界を経験しているのはマルスだけだ。


(罪人だってさ)


 乾いた笑いが込み上げてくる。楽しくなんてない。なのに口角があがってしまう。受け入れがたく、度し難い。

 だが、嫌な未来はもう消えた。


 礼拝堂にでかでかと飾られた絵画。


 壁によって守られた穏やかな暮らし。それが今は閉じ込められた人々のようにしか見えなかった。『生きることが宿命』とでも言うのだろうか。


「マルスさん、私たちは神に仕える身。誰であろうと平等に救いの手を差し伸べ、祈りを捧げます」

「ありがとう、カテリナさん」


 慰めのような言葉と手渡された硬貨袋持って、教会を後にする。


 澄んだ空気と透き通るような水面。今日もマルスは湖畔を歩いた。

 未来を変えられるなんて息巻いていた自分が情けなくなる。何も変えられずに、ここにいる。


 だけど、これから変えたい未来は確実にある。

 目的地は決まっていた。


「えっ……?」


 道中で硬貨袋を覗けば、銅貨が八枚。もうそこに驚きはない。

 マルスが眉間に皺を寄せたのは革袋の中身の方だった。


 汚染された鉄――欠けた刀身の破片。


 これがなぜ引き継がれたのかはわからない。

 だけど、あの夜の大事な証拠であり、マルスが大人に信用してもらえる唯一の道具であることに変わりはない。

 大切に革袋へと戻した。

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