第18話 名も無き叫び
片手剣を毛布に隠しながら、強く握りしめる。
聞こえたのは鍵の外れる音だけ。暗闇に慣れた目でも、人の気配は薄い。
(薄い……?)
違和感は次第に大きくなり、革袋のある位置に視線を移す。
見間違いじゃないか確かめるように目を凝らすと、――人影が浮かんだ。なぜか、捕食菌討伐のときの冒険者たちと同じ異臭が漂ってくる。
「動くな!」
毛布を蹴飛ばし、剣先を突きつけた。
人影がビクリと驚くように跳ねた。そして、サッと掴まれた革袋。マルスは躊躇をしていられなかった。逃がさないために剣を振るった。
手には肉に刃を通す感触、生温い飛沫。
甲高い声が頭に響く。少女のような声質だった。
何かを弾いたような感覚はあったが、キーンとした耳鳴りは止まらない。
「マルスさん、なにかありましたか!!」
返事をする間もない。魔石灯が点き、白い光が室内を満たした。眩んだ目の奥で、入口の影が揺れる。ミルキーの輪郭が、光に縁取られて浮かぶ。
息を飲む音。彼女は言葉を失ったまま、魔除けの鈴を手からぽとりと落とした。
――シャラン。
床に広がる赤い飛沫。そして、血の滴る剣。
「きゃああああああ」
「ち、違う!」
剣を手放しても遅かった。血に濡れた手で近づいた時点で、もう〝罪人〟にしか見えない。ミルキーの瞳は恐怖に歪み、「やめて!」と叫ぶ。――これでは動くことも、なにもできない。その叫びが宿を叩き起こした。
「なにやってんだい!!」
女主人のステラさんが寝間着のまま怒鳴り込んでくる。鼻息を荒くし、視線を左右に走らせる。マルスと目線が合うや否や、肩を前に押し出し、マルスの間合いを一息で奪う。
視界が――潰れた。
「うっ、ぐ……」
「動くんじゃないよ」
がっしりとした腕で手首が固定され、板床に頬が擦れる。
「ステラさんっ! 聞いてよ!」
「なんだい馴れ馴れしい、話したけりゃ詰所で言いな!!」
抵抗する気は最初からない。話だけでも聞いて欲しかった。
(初めて人を斬った)
どんなに理由を重ねたところで、指先が、勝手に震える。あの感触が抜けない。刃が通る、あの一瞬が。――横を振り向くのは怖くてできなかった。
「さっさと歩け」
マルスは連行され、表通りを歩かされる。縄が手首に食い込み、視線が背中に刺さっていく。誰かの囁きが波みたいに追いかけてくる。
「あれ、なんで捕まってるのかしら?」
「犯罪……まだ子どもよ」
――白い布が揺れ、祈りの場の香りが一瞬だけ混じった。
駆け足で通り過ぎる
◇ ◇ ◇
「教会に運ばれた子はどうだった?」
「今日が山場だろうな」
詰所にはバートンさんとヘルナーが深刻そうな顔をしていた。
「今度は宿屋で剣を振り回す小僧だよ……。俺は巡回中だから、バートン聞いてやってくれや。ヘルナーはちょっとこい」
「あちゃー……よりにもよって今日かよ」
ヘルナーが言葉尻を曖昧にして、バートンさんの顔をちらりと見た。
バートンさんは両手で顔を覆い、指の腹で額を強く押す。そのままの手の形で前髪をかき分けた。露わになった目は赤く、眉間は深く寄っている。
「君は……来なさい」
低い声だった。だが最後の一語だけ、喉の奥で掠れていた。
小窓しかない一室へ足を踏み入れた。背で扉が閉まる音。咳払いがひとつ響く。振り返ったとき、彼の口元は固く結ばれ、顎の筋がぴくりと動いていた。そのまま、逃げ道を塞ぐみたいにマルスを見据える。
「言いたいことはあるか?」
「荷物が盗まれそうになったんだ」
「この革袋の
そう言って、机の上に置かれた革袋を指される。バートンさんは、革袋から丁寧に中身を取り出していく。硬貨袋、認識票、そして――宿命のタリスマン。彼は、その深い青を湛えた魔石を見て、表情を殊更に渋くさせた。
「魔道具箱に、この宝石。対して、君の不釣り合いな身分と少ないお金……」
室内がしんと静まる。
「言え。どこから盗んだ?」
「違うよ! これは僕の、僕の父さんから貰った大事なものなんだ!」
「子どもにこんな高価なものを持たせる親なんて、いない」
「僕は迷い子だから、そんなこと知らないよ……バートンさん信じてほしい」
マルスのどの言葉の琴線に触れたのかはわからない。彼は一瞬、目を見開くと、途端に泣きそうな顔になった。瞳が揺れていた。
(受け入れてもらえるかもしれない)
扉が小気味よく叩かれる。
間を置かずに、ヘルナーはバートンさんを見ながら、こう告げる。
「残念だが、そのまま帰らせるわけにはいかねぇ」
「これは?」
「今日の冒険者崩れと同じやつだよ」
血の跡が残る錆びた剣。バートンさんが苦虫を噛み潰したかのように、苦悶の声を漏らした。
「これじゃ信じてやれるわけがない、か」
「まあ暴れたのは事実だわな」
空気は一掃され、凍てつくような寒さが胸に差し込んだ。
「そ、それは……」
(「それは異邦人から貰ったものだ」なんて、伝えたところで)
マルスは言い淀んだ。ただ、この場面でのそれは肯定以外のなにものでもない。
バートンさんの視線はマルスを外したまま、机の上の革袋と錆びた剣だけを重たく見下ろしていた。ヘルナーも肩をすくめるだけで、言葉は続かなかった。
「一晩だ……連れていけ」
短い命令だった。
縄が引かれ、腕が前へ持っていかれる。歩き出した途端、詰所の床板がきしむ音だけが嫌に大きく聞こえた。
もう誰も、――マルスの名を呼ばない。
鍵の束が鳴り、鉄が擦れる。歩かされた先は橋のたもとの石牢だった。
「まあ、……ちっとは我慢しろよ」
小さな魔石灯がぽつりぽつりと、濡れた石を青白く照らしている。冷たい石の匂いに、藻と泥の湿り気が混じっていた。
「うっ……」
頭がズキズキと痛み、身体が抵抗するように熱を持つ。少女の叫びを聞いた時からずっと我慢していた。何かが体の中でせめぎ合っているみたいだ。
耐えられなくなって硬い床に横たわる。意識はそのまま遠く離れていった。
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