第15話 変わらぬ街

 マルスが足早に向かった先は教会だった。


 重厚な扉を開けると、木の香りに包まれる。前回、最前列に座っていた修道女――カテリナさんの姿はどこにも見えない。


 導かれるように中へと進み、祭壇前で絵画を見上げた。蝋燭に照らされたその存在感に圧倒され、ごくりと喉を鳴らす。


 天に祈りを捧げる女性。

 半円状で囲まれた壁のような線。

 内側には人々の穏やかな暮らし。

 外側には醜悪な化物たち。

 その上には、雲を越えて陽光に包まれる花畑。


(魔物ってすでに内側にいるのに?)


 横の扉がギィと音を立て、会いたかった女性が姿を現す。マルスは駆け寄ろうとして、彼女の言葉に足を止めた。


「あら、初めまして。不思議な迷い子――それともマルス・・・さんとお呼びした方がいいですか? 少し到着が早かったのですね」


 カテリナ――いや、教会は何かを知っていた。


「カテリナ、さん?」


 慈愛に満ちた銀髪の修道女。姿は同じでも、彼女が別人のように感じた。そして、その直感は外れていなかった。


「私のことを知っていてくれて嬉しいです。でも、ごめんなさい。私はマルスさんを断片的にしか知り得ていません」

「それってどういう――」


 マルスは逸る気持ちを抑え、カテリナさんの言葉を待った。

 

「黎明教会では、迷い子の『巡礼録ピルグリム・ログ』を神託として与えられます」

「巡礼録?」

「直近の旅の記録とでも言いましょうか」


 思い出したくもない回帰の瞬間が頭をよぎる。そのたびに、傷を抉るような神託を受けることになるのだろうか。


(僕がもし回帰したら直近ってどうなるのだろう)


「例えば死んだこともわかるの?」

「〝死〟そのものはわかりません。私たちに与えられるのは、その直前に何が起こったのか、だけです」


 それは願ってもいない答えだった。

 理由のわからない回帰に振り回されたくはない。


 彼女は諭すように「聞きますか?」と問いかけ、マルスは先走るように頷いた。


「迷い子マリウスは、マルスと名乗る冒険者となり、初依頼を達成。その日の夜に宿命のタリスマンを失って、この地に辿り着く。――これで間違いありませんか?」

「間違い……? 僕は無くしてなんかない……」


 カテリナさんの潤んだ瞳に、辛さが滲んでいる。この言葉が嘘だとは思えない。

 ただ、その問いかけは手慣れていて、冒険者ギルドの受付で聞いた声色に似ていた。彼女自身の言葉というより、〝何か〟の言葉をなぞっているように。


(カテリナさんをいちいち疑っていても仕方ない)


 確かなことは、ラブランタンで寝ている間に紛失したことだ。命を奪われたわけではない。なのに、宿命のタリスマンを失っただけであっけなく回帰してしまった。


(じゃあ──誰が〝持っていった〟?)


 冷えていた手がぬくもりに包まれる。そっと意識は目の前の彼女へと向かう。


「マルスさん……とても疲れた顔をしていますよ。少し休まれていかれるのはどうでしょう」

「そ、そうですね」


 両手をふわりとカテリナさんの胸の前へと持っていかれる。マルスは気恥ずかしくなって手を離し、椅子へと腰をおろした。


 「では、少し休ませてもらって――」

 

 そう言いかけたところで、カテリナさんが言葉を改めた。眉がほんの少し下がる。


「巡礼録に“重ねた歩み”が残る以上、決まりとして前と同じ支え方はできません。……ですが今夜は、お部屋に。せめて休める場所だけは用意できます」

「え? ……もう十分よくしていただいてます」


 カテリナさんは小さく笑って、扉の方へ身を翻した。


「来てください。空いているとは言っても掃除はしてますよ?」


 促されるまま、カテリナさんの後についていく。

 扉がいくつも並ぶ廊下を抜けていくうちに、ここが祈りの場だけではないと気づいた。


(教会ってこんな広かったんだ……)


 やがて、何部屋目かも判然としない一室へ通された。


 蝋燭の光に縁取られた室内は、宿屋の灯りよりもなお薄暗い。

 けれど不思議と、その闇には冷たさがなかった。飾り気はなく、新しくもない。ただ、魔石の灯ではなく――村と同じ蝋燭の明かり。そのやわらかな揺れだけで、マルスは村の暮らしを思い出し、安心できた。


「ささやかな食事ですが」


 マルスがベッドに腰掛けていると、彼女がスープを運んできてくれた。

 細かく刻まれた野菜がほんの少し浮いた質素なものだ。味もお湯に近い。これが村での食事だったら、母さんに『なにこれ?』って愚痴をこぼしていたかもしれない。


(カテリナさん、ありがとう……)


 この温かみが胸に染みる。


 身体が弛緩していくのを感じると、マルスは半ば開き直って眠りについた。これ以上、失うものは何もない。


 ギィ、ギィ


 しばらくして、廊下が軋む音で目を覚ました。

 複数の足音が部屋の前を通り過ぎ、聖堂の方へと流れているようだ。まだ日は昇っておらず、周囲は暗い。音が途切れたのを見計らって、マルスは周囲を窺いながら部屋の外に出た。


(こんなに早いんだ)


 来た道を戻るように長い廊下を歩く。そっと聖堂の扉を開けると、祈りを捧げる人々の姿が見えた。


「~~~~」


 彼、あるいは彼女らは、聞いたこともない言葉を発している。マルスはカテリナさんを探すどころか、誰一人として特徴を捉えられないでいた。


 まるで、すべてが同じ人であり、何かの集合体かたまりのように見えた。


 マルスは怖くなって数歩ほど後ずさる。

 そして、扉が閉まる音とともに振り返り、その場を駆け出した。幸いにも、追われることも何かに出くわすこともなかった。


 震えながら毛布を頭まで引き上げて丸くなった夜――回帰は起こらなかった。


   ◇ ◇ ◇


「マルスさんにアルマのご加護がありますように」


 翌朝、カテリナさんから硬貨袋を受け取ると、マルスは逃げるように教会を後にした。歩きながら袋の中を覗くと、青銅貨一枚と銅貨五枚が入っていた。


(……減ってる)


 初めて来た日の半分だ。思わず足が止まる。


 後ろを振り返ってみても、足跡すら見えない。ましてや前回に辿った痕跡が残っているはずもない。


(本当に同じ?)


 いや、――まったく同じになんてできるのか。

 時間や場所、辿った道さえもだけできっと違う。

 

 一人で教会に足を運んだ。

 ラブランタンではなく、教会に泊まった。


 頭に次々と異なる箇所が浮かんでくる。たったそれだけのことに思える。何が原因かもわからない。ただ、変化するには十分だった。


 何かの拍子で未来いまはいとも簡単に変わる。


 ――心臓がどくんと跳ねた。

 その事実は、恐怖ではなく希望となった。


(町が変わったんじゃない。きっと、未来を変えているのは〝僕〟だ)


 良くも悪くも、その結果は『巡礼録ピルグリム・ログ』に刻まれるだろう。


 朝日を返す湖面には、英雄の影ひとつ映らなかった。

 マルスは湖畔のそよ風を受けながら、真っ直ぐに冒険者ギルドへ向かった。

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