第14話 不思議な迷い子
前と変わらず、父が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「父さん……僕っ」
言葉が詰まる。僕は何を成したのだろう。あの街で迎えた初めての夜、冒険者となったあの日、捕食菌の依頼、そして――同年代の楽しい仲間たち。
でも今は何もない
(なんで! なんで……戻ったの?)
隠すことなく大粒の涙が零れ、揺れ動く灯りの影へと落ちていく。選んだはずの未来が虚空へと消えた。
「本当にこれからだったんだ……」
「マリウス、なんだ。怖い夢でも見たのか?」
脈絡のない言葉にも父の口調はいつになく優しかった。怖い夢と言われたらそうだ。あの世界で孤独を突きつけられた。でも、どちらかといえば理由のわからない今が一番怖い。急に自分の頭が冷えていくのを感じた。
「もう、大丈夫」
「立てるか?」
そう言って、父が伸ばした手を――マリウスは取らなかった。もう自分の足だけで十分だ。なにより、この
(僕は変わりたい)
時間が刻一刻と己の牙を溶かし、心に誘惑の花を咲かせる。なぜか、捕食菌に手を突っ込む人たちの顔が浮かんだ。
(僕は冒険者のマルスだ)
マルスはそう言い聞かせて自分を奮い立たせる。意志を強く持って、父にこう伝えた。
「やらなきゃならないことがあるんだ」
「……何かあったのは本当のようだな」
もう、これまでのことを話しはしなかった。胸の内に溜めておけば失われることはない。全部をやり切って、心から笑えるようになってから伝えたいと思った。
――だから、僕は父に一言だけ残した。
「僕は、僕の道で歩みます」
父は瞬きを何度かすると、昔を思い出したように遠い目をした。
「よくわからんが……俺にもそういう時期はあった。先に村に行ってるぞ、後からこれるな?」
マルスは父の目を見て、力強く頷いた。
村とは反対方向を照らすと、見覚えのある小径はすぐに見つかった。ただ、その一歩が出ない。心の中の弱虫が這い出てきて、肩や手足を引っ張っていた。
「でも、どうすればいいんだ……」
天を仰ぐように独り言を漏らした。すると、やわらかな風が髪を揺らし、葉擦れの音が松明を照らす先へと流れていく。風の通り道には、魔素が帯びを引いているかのように、薄っすらとした緑色の軌跡を描いていた。
(ミリア……?)
長い道の先に彼女が待っているような気がした。なぜだか、そう思えた時、――マルスは背中をトンと押され、足が自然と前に出ていた。
孤独な夜道は思考が捗る。
(あの日の夜、何が起きた?)
改めて思い返してみてもさっぱりわからない。ふと、マルスは
(認識票!?)
ひんやりとした金属板に、はっきりと『マルス』という文字が見える。
(もしかしたら、村の外は違うのかもしれない)
そんな答えを嘲笑うかのように、ケロピーの皮手袋と硬貨袋はどこを探しても見つからなかった。結局のところ、謎は深まるばかりだ。
(でも……これは紛れもなく自分のもの)
これまでの出来事は夢や幻ではないと、認識票が証明していた。その確かさこそが、マルスの救いだった。指の熱で生温くなったそれを、大事に革袋へと戻す。
獣道を抜けたのは、最初の回帰よりずっと、ずっと早かった。
「あっ! バートンさんとヘルナー」
北区の石門前までやってくると、無精髭を生やした中年の男――バートンが訝し気にマリウスを見た。
「誰だ、君は?」
「俺も知らないぞ。迷い子……か?」
(あっ! そうか……そうだよな)
彼らは動揺して、より警戒を強めていた。
このままでは不審者だ。ただ、自らを迷い子と名乗るのもどうかと思った。妙案が浮かばない。もたついているマルスを待ってはくれなかった。
「ひとまず少年、手を上げてこっちにくるんだ。ヘルナー、荷物を確認しろ」
「わかりました」
「はいよ。まあそんな警戒しなくって……こ、これは!?」
ヘルナーの素っ頓狂な声にマリウスも肩をびくりとさせる。
「何があった?!」
「こ、この革袋、
「ただの貴族の坊ちゃんか? それにしちゃ……」
信じられないとでも言うように、二人は目を丸くさせていた。
(何を言ってるんだろう)
マリウスにとっては少し便利な袋程度でしかない。オラルから『特に大事なものは魔導具箱で保管すんだよ』と渡されたのがその革袋だった。
(あ、大事なもの)
「僕は冒険者です! 認識票が入ってるはず」
「本当か?」
魔導具箱から物を取り出すのには少しコツがいる。苦戦しているヘルナーから革袋を受け取ると、マリウスは認識票をひょいと取り出して二人に見せた。
「錫級の……マルス? すまない、俺は思い出せない」
「同じく記憶にねぇな」
バートンさんとヘルナーは明らかに困惑していた。マルスは申し訳ない気持ちから、小さな嘘をついた。
「二人のことはギルドのアンさんから教えてもらったんです。依頼で遅くなるかもって伝えたら……」
思いつきの嘘が通るか不安で、息を詰めた。
「アンか。それならそうと言ってくれよ」
彼女の名前を出したのがよかったのだろうか。二人の顔から緊張が解けていく。マルスは顔には出さず、ホッと胸を撫でた。
「バクターで粘りすぎちゃって」
罰が悪そうな笑みを浮かべ、今度はするりと言葉が出る。
バートンさんは渋い顔をし、ヘルナーには「ほどほどにしろよ」と注意を受けながら門を通された。
(これでいいんだ)
この方が誰も不幸にならない。でも何か、自分の一部を失ったような気がした。
去り際にバートンさんが「魔導具箱を持ってるなんて彼は何者なんだ……」と、ヘルナーに呟いているのが聞こえた。
◇ ◇ ◇
ツィロルの夜景を眺めるのは二度目だ。
(眩しいな……)
三日月状の街並みは、以前と変わらぬはずだった。けれど、その光は今、妙に目に刺さり、自然と目線が逸れてしまう。
湖畔だけが柔らかく本来の煌めきを映し出しているように見えた。
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