第7話 冒険者ギルド

 大きなカウンターと、十組ほどのテーブルが置かれた広い室内。拍子抜けするほど人影はまばらで、ホール全体がよく見渡せた。天井の高い空間に、足音だけが小さく反響する――その静けさを裂くように、耳を押さえたくなる怒声が跳ね返った。


「ああ!? 依頼を取ってくるのがてめえらの仕事じゃねーのかよ?」

「誠に申し訳ございません。現在ご案内できるものは小鬼ゴブリンとバクタ―退治だけでして……」

「こんな安いのばかりじゃあね~」


 先ほどの大男が受付の女性に向かって怒鳴り散らし、隣の女が羊皮紙を見せつけるように摘まみ上げていた。その一枚がひらりと空を舞い、マリウスの足元へと舞い落ちた。

 反射的に拾い上げる。


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ツィロル支部 依頼書

 R980 春夏 土週1日

【難度】:ティン

【種別】:トウバツ

【対象】:『捕食菌』――バクター

【報酬】:150Gill

【責任者】ディーン

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捕食菌ほしょくきん……で、バクター?)


 母から習ったことのある文字――学者文字だ。

 文字の形、言葉の繋がりがその魔物を表す。


 けれど、ゴブリンが『小鬼』であるように、実際に目で見てみないとわからない。――紙の端が、指先の汗を吸っていく。子どもの頃、想像上の小鬼にひとり怯えて泣かされた夜を思い出し、思わず苦笑が漏れた。


「……もういいわ、依頼書を熱心に見つめている坊やに譲ってあげましょ?」


 その声に、マリウスは注目が集まったのを肌で感じ、依頼書から顔を上げた。女が流し目でこちらを見る。口元には、誰かをからかうような小さな笑み。胸のあたりが、かすかにくすぐったくなる。


「やってられねーな!」


 余韻を踏み潰すように、大男が低く怒鳴った。顔にはあからさまな不機嫌がにじみ、舌打ちひとつ。乱暴に踵を返す。


「チッ、お前の占いは本当なんだろうな?」

「別に信じなくてもいいのよ」

「「無駄足」「意味なし」」


 彼らはそんなやりとりだけを残し、扉が閉まる音を響き渡らせていった。すると、ホールでは一斉に詰まっていた息が吐きだされ、堰を切ったかのように小言が溢れだす。


「毎日毎日、ほんと何なのかしら……」

「知らないわよ」

「昔つまみだされた、逆恨みじゃない?」

「えっ? なにそれ?」

・・・

「ごめんなさい。依頼を受けに来たの?」


 マリウスは雰囲気に飲まれ、前に出るタイミングを逃してしまっていた。声を掛けてくれたのは、さきほどの大男とやりとりをしていた受付の女性だ。声は柔らかいが、表情には疲れが滲んでみえた。


「あっ、違います。これ、勝手に見てしまって……」


 依頼書を手渡しながら、マリウスは「門番の人が、もう話をしてくれていると思うんですけど」と、話を切り出した。


「君のことなら、確かに……バートンさんから引き継いでいます」

「じゃあ!」


 身体が自然と前のめりになる。初めての手応えを掴みかけた――その瞬間。


「残念ながら、支援はできません」

「へっ……」


 胸の奥で膨らんだ期待が、瞬く間に萎んだ。

 苦し紛れに出た声は、空気だけが漏れて言葉にはならない。


 彼女は申し訳なさそうに眉を下げ、その理由を丁寧に説明してくれた。

 だが、マリウスにはただの言い訳のように聞こえた。どれも命を天秤にかけているとは到底思えなかった。


「冒険者ギルドは何のためにあるんだよ! どうすればいいんだよ!」


 受付の女性は伏し目がちにマリウスを見る。ギルド内の静けさが、輪郭を持って孤独を押しつけてくる。

 胸に宿した炎に、恐ろしいほど冷たい水を浴びせられる感覚だ。


(僕は、さっき怒鳴っていた大男と同じ……)


 カウンターの陰で握った拳に力を込め、ゆっくりとほどいた。無理やりにでも切り替えたかった。


「君が冒険者になればいいんじゃないかな」

 ――受付の女性でも、マリウスでもない声が、静寂を破った。


 その方向に視線を向けると、白いローブを着た女が椅子から身を起こし、鼻に掛けた眼鏡を押し上げる。


 ひとつ大きなあくびをこぼすと、間延びした声で話を続けた。


「横からすまないね。私はナヴィエ・アル・ヴァーゼル。ツィロルの町を調査する、ただのしがない学者さ。君は何のためにここにきたんだい?」


 まるで緊張感のない話し方が、マリウスの神経を逆撫でしてくる。

 ただ、話だけは聞いてもらえそうだった。


「父さんに言われて、助けを求めにきたんだ」

「うーん? もし、それが本当なら君のお父様はあまり賢くないね」


 ヴァーゼルは、今度ははっきりと煽るように言った。


「だって、子どもの話を信じられるわけがないだろう?」

「ふざけるなよ!」


 気づいた時には、白いローブの胸倉を掴んでいた。周囲からどよめき。職員の悲鳴にも似た叫び声が上がった。


「そう、それだよ。君は思い通りにならないから八つ当たりをしている子どもじゃないか」

「おまえに何がわかる!」


 胸の奥がカッと熱くなる。熱は喉までせり上がり、声が震える。


「何もわからないさ。だから、正しさを証明する必要があるんだよ。一歩ずつ……ね?」


 職員に引き離されるのが先か、マリウスが自分で手を放したのが先か。気づいた時には距離が開いていた。ヴァーゼルは襟を正しながら、困ったような顔を周囲に向ける。


(どうして何もうまくいかないんだよ!)


 自分が何をしに来たのか、わからなくなっていた。結局、喚いて取り押さえられている姿は、惨めと言うほかない。


(そうだ……そうだよ。父さんは〝助けを求めろ〟なんて言ってない。じゃあ、なんで――)


 それは、マリウスの身勝手な願望そのものだった。


 自分に都合のいい物語に期待を寄せていただけ。何度も他人に裏切られたような気持ちになったのは、ヴァーゼルの言う通り、自分が積み重ねてきた道ではないからだ。


(でも!! でも……。なにが『でも』だよ……)


 まだ心が追いついていない。、このままじゃ前にも進めない。


「……ごめんなさい」


 うな垂れるように力が抜けた。謝罪に合わせて拘束も解かれた。マリウスには悔しさだけがつのっていた。


「私は修道女なんて柄じゃないがね、君を赦そう」


 話はもう終わったとでも言うかのように、ヴァーゼルは大袈裟に両手を広げた。マリウスは、彼女の口から出た『修道女』という言葉に、ふとカテリナさんとのやりとりを思い出す。


異邦人エトランジュ……!)


 カテリナさんは言っていた。異邦人の多くが冒険者になっている、と。ここが始まりの場所で間違いない。でも、急ぎすぎた。最初から、勝手に救いを〝貰える〟と思っていた。


「僕がしたかったのはこんなことじゃない」

「どうやら、少年は何かに気づいたようだね――ああ、失敗から学べば、何度だってやり直せるとも。それが人間だろう?」


 頭に滞っていた血が、ようやく流れ出していく。身体の芯に温かさが戻る。彼女は「さぁ」とマリウスの背中を押し、受付の女性の前へ再び立たせた。


「あの、――」


 今さら冒険者登録がしたいなんて言いだしづらい。それでも、ここで諦めるよりはマシだ。必要なのは、失敗を受け入れる勇気と、恥ずかしさを飲み込む一歩だけ。


「冒険者登録をお願いします!」


 ヴァーゼルが満足そうに頷いたのが見えた。



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 私は、いつもの騒がしいやつの声で目を覚ます。


 町の情報をまとめていたら、どうやら机に突っ伏したまま眠ってしまっていたようだ。私はこの町に来てから毎日、通い詰めている。何のため? 研究であり、自分のためだ。


 今日は、いつもと違い見慣れぬ来訪者がいた。彼の話が本当であれば一大事だが……きっと取り合ってはもらえないだろう。ただ、全てを嘘として片付けてしまうには、少年は必死すぎるように見えた。漠然とだが、何か大きな使命を抱えている。そう、私のように、だ。


 しかしながら、やり方が些か拙い。彼の見た目からすれば仕方ないのかもしれないが、それではこの世界で生き残れない。少なくとも、筋が通っているように〝見せる〟必要がある。


 ここで、ピンと閃きが舞い降りた。自分の研究のことならいいのにと、少しだけ残念に思う。

(どれ、お姉さんがほんの少し助力をしてあげよう)


「君が冒険者になればいいんじゃないかな」


 私は気怠い身体を伸ばすようにして立ち上がった。 

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