序章《プロローグ》

 目を開くと、松明の火が視界を焼いた。油がぱちりと爆ぜ、煙の匂いが鼻の奥に絡みつく。熱でまぶたが反射的にすぼまる。


(また……またここに帰ってきてしまった)


 抗いようのない失敗の連続が、少しずつ現実感を削り取っていく。これは悪い夢の続き。そう思い込みたいのに、掌には土のざらつきが残っていた。爪の間に入り込んだ砂が、こすっても取れない。


「マリウス?!」


 耳慣れた声が響く。

 ぼやける視界の中、心配そうに覗き込む顔。マリウスは、やはり・・・木の幹にもたれたまま座り込んでいた。背中に固い樹皮が食い込み、冷たさがじわりと沁みる。


「父さん……落ち着いて聞いて欲しい」


 前回、父から回帰した場合に信じさせる方法を教わった。それは――。


「父さんは母さんに振られて、やけ酒した帰り道に橋の下へ落ちた。それが『冒険の始まり』でしょ?」


 父は目を見開いた。驚きが一瞬だけ浮かび、すぐに怒気の混じった声で問い詰めてくる。


「〝何があった?〟」


 もう何度もしてきたことだ。説明はできる。……けれど、口にするたび喉の奥だけが乾く。言葉が、火にあぶられたみたいに熱い。


「くそっ!!」


 歯を強く食いしばり、父は拳を木の幹に叩きつけた。鈍い音がして、地面がわずかに震える。

 悔しさを滲ませながら、父の口から零れたのは謝罪だった。拳を引く手が、ほんの少し遅れる。


「マリウス、すまん。どうやら俺じゃ力になれそうにない」

「どう……して?」

「その状況を覆せるだけの戦力が足りない」


 父は諦めたように見えた。何度繰り返しても無意味だと、そう考えているように思えた。マリウス自身も、勝てる算段がつかなかった。思い出すたび、世界から色が抜けていく。


「じゃあ、みんなで逃げよう?」

「そうするしかない。でも、マリウス、おまえは別行動だ」

(えっ?)


 耳を疑った。

 父の声が、まるで〝決定事項〟みたいに落ちてくる。

 周りの音が、すっと引いた。風も虫も遠ざかって、残ったのは自分の鼓動だけ。

 けれど父は、迷いのない口調で言葉を継ぐ。


「おまえの記憶が継続しているなら、それは大きな変化にできる。下山しろ。少しでも人が多い場所へ行け。これから先、一秒だって無駄にはできないはずだ」


(村の危機を伝えて、助けを呼べば運命は変わるかもしれない!)


 わずかに希望が差した。

 この地獄が永遠に繰り返されるのなら、止められる可能性があるのは自分だけ。そんな感覚が萎んでいた気持ちを奮い立たせる。


「わかったよ。父さん」

「任せたぞ。俺は皆を逃がす」


 迷いがないと言えば嘘になる。

 村ではいつも誰かが隣にいた。一人でいることの方が少なかった。心細い。だが、進まなければならない。


 父に教えられた小径を、ひたすら下った。

 松明の火が風に揺れ、影が足元で伸び縮みする。村から離れるほど不安が膨らむが、引き返すという選択肢はなかった。


 幸いだったのは、まるで迷うことがないように一本道が続いていること――のはずだった。

 マリウスは唐突に違和感を覚える。


(なんで今まで、村を出ようと思ったことがなかったんだろう)


 この道で簡単に町へ出られるなら、人の出入りがもっとあっていい。

 なのに村からは、出ていく人しかいなかった。


 怖くなって、マリウスは足を止め、松明を高く掲げて振り返った。


(……あれ?)


 背後にあるはずの道が、ない。

 獣道ですらない。草木が濃く覆い、踏み固められた跡も消えている。――暗くて見えないだけじゃない。半歩、戻ろうとして足が草を踏んだ。土の硬さがない。さっきまでの地面が、最初からそこになかったみたいだった。


 息が詰まる。

 もう一度、正面を向く。


 木々の隙間に、街道が伸びていた。幅の広い土の道。踏み固められた轍の筋。左右には登りと下りが分かれている。

 そして下りの先に、薄い灯りが滲んで見えた。


(光だ――)


 マリウスは光へ向かって駆けた。松明が荒い呼吸にあおられて揺れ、火の粉がぱちぱち弾ける。


(もう、どうなってるんだ!)


 近づくほど、光は〝点〟ではなくなる。松明の色。人のいる場所の色だ。木々が途切れた先に、不揃いの石を積んだ門が、影の塊みたいに立っていた。


 門の脇で人影が二つ揺れた。松明の揺らぎに合わせて、影だけが先に伸び縮みする。

 次の瞬間、その影がこちらを向いた。怒鳴り声が飛ぶ。


「止まれ!!」


 その一喝に、足が半歩だけ止まりかける。

 警戒されてもかまわない。――人がいる。その事実だけで、安堵が込み上げた。

 これで、助けを求められる。

 

「助けてください!!」


 人影は慌てて門に掛けてあった松明を抜き、こちらへ駆けてきた。

 無精髭の中年の男。鉄の胸当て。抜き身の剣。松明の光が刃を鈍く光らせる。


「なんだ、子どもか。どうした?」

「こんな夜更けに子どもが出歩いちゃダメじゃないか」


 男は気が抜けたのか、剣先を下げた。少し遅れて来たもう一人も、気だるそうに文句を言う。

 マリウスは膝に手をつき、息を整える暇もなく懇願した。


「僕の村が魔物に襲われているんだ! 助けて!!」

「村?」

「この辺りに、村なんてあったか?」

「いや、この先は魔物の領域だ。村があるとは思えねーよ」


 訝しむ視線が刺さる。二人は要領を得ない顔をしていた。

 マリウスは、父に『村の名前を言え』と言われたのを思い出す。


 だから村の名を――

「チュートリアル」と伝えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る