第9話 宿命
マリウスの脳裏に、これまでの記憶が浮かんでは消える。温かい家族。村の人々。穏やかに過ごした日々。――そして、ミリアとの別れ。
ミリアがいなくなってから、世界の輪郭が薄くなった。目に映るものすべてが、どこか作り物めいて見える。笑い声も、食事の匂いも、火のぬくもりさえ。そんな虚無感の中で、夜回り隊にいるときだけは、心が安らいだ。
「マリウス、前方に小鬼が二体だ」
父の声で、身体が先に動いた。腰を落とし、短剣を抜く。足裏が土を蹴り、マリウスは駆けた。
「"GYUA?!"」「"AHA?!"」
醜い顔がこちらを向く。だが、向かせたままにはしない。
一体目は喉元を裂く。断末魔が漏れる前に、二体目へ。短剣を逆手に返し、そのまま心臓を貫く。
小鬼の絶叫が夜の森に木霊した。
命を奪う瞬間だけ、胸の奥が確かに熱を持つ。――生きている、と実感できる。
けれど、それはほんの一瞬だ。倒れた小鬼が動かなくなると、熱はあっさり冷え、空っぽが戻ってくる。
「おい! 俺の指示を待てよ!」
「こうした方が早いと思って」
「最近のおまえ、どうしたんだ……」
父はこめかみを押さえた。マリウスにも、自分が父を悩ませている自覚はある。急に反抗的になったのではない。けれど、この感情だけはどうにもできなかった。
(どうしたんだって、こっちが聞きたいよ)
ミリアが消えた日、マリウスは村中を回って彼女のことを尋ねた。
だが返ってきたのは、胸に冷たい水を流し込むような言葉ばかりだった。
『ああ……そんな子もいたね』
『ミリア? ……いたっけ?』
誰ひとり、彼女の不在を 〝痛み〟として持っていない。
オラルや母が「好き
マリウスは、今もミリアが好きだ。
この気持ちまで勝手に過去にされたくなかった。
「少し話をしよう」
「別に話すことなんてない」
夜回り隊の歩みを止め、父はポケットから何かを取り出した。小鬼の魔石にしては大きい。紫ではなく、深い青を湛えた石。父はそれを手のひらの上に乗せ、マリウスへむかって腕を伸ばした。
「何に悩んでいるのかわからないが、今のおまえにはこれが役立つように見える」
「意味がわからないって」
「俺がマーナを口説いた時のお守りだよ。『宿命のタリスマン』って言ったっけな」
宿命という言葉がマリウスの心を妙にざわつかせる。まるで「おまえはどうしたい」と問われているようで、答えが喉につかえる。村の皆に『忘れないでほしい』 と願うのも違う。では何を望むのか――マリウス自身が、まだ掴めていない。
「マーナは高嶺の花だった。俺には不釣り合いだと、ずっと迷ってた」
父は青い石を見つめたまま続ける。
「けど、これを持ってから妙に〝次の一手〟が分かった。無茶も多くて怒られたが……結果だけは、いつも良い方に転がった」
「そんなの、ただの偶然じゃないか」
「そうだな。マーナも『奇跡みたい』って笑ってたよ。俺もそう思う。……でもな」
父は一拍置き、声を落とした。
「今は、このタリスマンがただの思い出じゃない気がするんだ」
半ば押しつけられるように手渡されたが、受け取ったのは自分の意志だった。もし本当に何かがあるのなら、一度くらい信じてみてもいい。
マリウスはタリスマンを腰の革袋へ入れた。
その直後だった。
「リオニスさん! 小鬼の数がいつもより多いの。オラルさんが、念のため伝えてくれって」
カミラさんが〝異変〟を告げる。
たかが小鬼――誰もがその時は楽観していた。
だが、その異変は終わらなかった。終わるどころか、そこから先は、
◇ ◇ ◇
父に背中を突き飛ばされ、その勢いで近くの家の軒先まで転がった。
次の瞬間、家が爆ぜるように崩れ、瓦礫の下へと閉じ込められた。
――そこで、マリウスは地獄を見た。
屈強な戦士のオラルが、膝から崩れ落ちる。
カミラさんの手が赤く染まり、弓が指先から滑り落ちる。
父が村人を庇い、未知の魔物の吐く炎に飲まれていく。
最後まで抗い、魔素切れを起こした母が、小鬼の群れに引きずられていく。
助かったのは偶然、身動きが取れなかっただけ。だからこそ、木の板の隙間から――見えてしまった。見えてしまう距離で、全部が起きた。
転がった松明の火がちらちらと瞬く。燃えているのに、誰も拾わない。
「――!」
(痛い、痛いっ。喉が熱い。声が出ない)
村は廃墟だった。人だったものに小鬼が群がり、咀嚼音が湿った夜気に混じる。焼けた臭いが鼻の奥に残り、吐き気が込み上げる。
見慣れた広場に、もう面影はない。
(どうして……)
その惨状の中心に、黒い
足元には濡れた赤黒い土。横たわるのは、愛すべき人たち。
まるで、悪行を重ね血に染まった騎士――暗黒騎士の物語に迷い込んだかのようだ。
もし物語なら、英雄が来るはずなのに。
救いの手は差し伸べられない。
英雄が来るには、遅すぎた。
(どうして……!)
悪い夢だ、と目を閉じても現実は消えない。焼けた臭い、咀嚼音、心臓の鼓動が、容赦なく戻してくる。
勇敢に戦って死ねたなら――まだ、納得できたのかもしれない。
このままでは、ただ死を待つだけの餌だ。
数匹の小鬼を倒せるくらいで浮かれていた自分が、急に滑稽に思えた。涙が滲む。
(どうして……いつも失ってしまうんだ)
嘘の世界なんかじゃなかった。
オラルも、カミラさんも、両親も――皆、必死に戦っていた。
(どうして……僕はいつも守られる側なんだ)
(どうして……僕はこんなにも弱いんだ)
全身が震える。息が浅い。さっきまで殺していたはずの小鬼が、怖くてたまらない。
「ああ、そこにいたのか」
父の優しいときのような声で、暗黒騎士がこちらを向いた。
その瞬間――風が通り過ぎたように感じた。
………。
水の上に浮かんでいるみたいだった。冷たくはない。上下も左右も分からない。目を閉じているのか、開けていても光がないのかも判別できない。
ただ、〝浮いている〟という感覚だけがある。
願イ。
その言葉が、時折、頭の中に浮かぶ。
マリウスは自分が何を願っているのか、何度も自問した。考える時間だけは、いくらでも与えられているようだった。
ただ、楽しく過ごせればよかった。
でも、何かが終わろうとしていた。
崩れ始めたら止まらなかった。
もっと大事にすればよかった。
これが死後の世界なのだろうか。
本当に残酷だと思った。
もし〝願イ〟が叶うのなら、自己満足の
『愛する人たちを誰も失いたくない』
そう願った瞬間、一点の光が現れ、次第に広がり、マリウスを飲み込んだ。
目を開けると、松明の光が飛び込んできて、思わずまぶたをすぼめた。
「マリウス?!」
「……父さん?」
父が心配そうに覗き込んでいる。揺れる松明の明かり。夜の森。背中には固い幹の感触。
マリウスは木にもたれて座り込んでいた。
「どうして……」
「木の根に躓いたのか、急に倒れたから驚いたぞ。もう大丈夫そうか?」
何が起こったのか理解できない。大丈夫――と言いたいのに、喉が詰まる。
ただ、父が目の前に無事でいる。それだけで、足が崩れそうなくらい嬉しかった。
抱きつくと、父が困ったように笑う。
「おいおい。どうしたっていうんだ」
「よかった……夢だったんだ……」
何もかも狂っていた、思い出したくもない悪夢。安心した途端、涙が溢れた。
全てが元に戻る。そう思った。――その矢先。
「マリウスは知らないが、さっきカミラさんが来てな。向こうの状況が少し悪いらしい」
父の声が、少し硬い。
「何か胸騒ぎがする。これから向かって合流しようと思う」
「えっ……」
悪夢の始まりと、酷似していた。
徐々に追い詰められていく夜回り隊の姿が、鮮明に蘇る。
マリウスは堪えきれず嘔吐した。涙と鼻水を垂らしながら、喉の奥を震わせる。
「と〝お〟さん……いがないで……」
「マリウス、何があった……?」
父は背中を、落ち着くまでずっと擦り続けてくれた。
一呼吸置き、マリウスは悪夢の内容を打ち明けた。
だが、最後まで聞いても父の結論は変わらない。
「なんで! 戦い始めたらみんな死ぬんだよ!」
「その話が本当なら、俺だって逃げ出したいさ」
父は困ったように笑い、けれど視線は逸らさなかった。
「でも、マーナはきっと村を守るって言う。――そういう人だ」
声色は軽いわけじゃない。ただ、揺らいでいない。
父は続けた。
「たとえ死ぬとしても、マーナを置いてはいけない。マリウスも愛する人がいたら、そうするだろう?」
『愛する人』という言葉で、夢の終わりが胸に刺さる。
マリウスが叫んだのは、別の答えだった。
(僕は、『愛する人たちを誰も失いたくない』)
父はマリウスの肩を掴み、力を込める。
「俺は、おまえに生きてほしい」
そして、言い切った。
「でも、皆を救いたいと思うなら――誰よりも強くなれ」
まるで過去の自分へ言い聞かせるような、実感のこもった声音だった。
だから、〝何度〟でも戦う道を選ぼう。
強くなれることを信じて。
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