第8話 こどもの終わり
もうそろそろ、子どもの時間は終わる。
「夕暮れになる前に帰らなきゃね」
そう声を掛けると、ミリアは風の魔術で濡れた服をあっという間に乾かした。水気が抜けていくたび、冷たさが肌から引いていくのがわかる。マリウスは『そんなに便利なら覚えておけばよかった』とも思ったが、その考えは見透かされていた。
「今、魔術って便利だなって思ったでしょう。でもダメよ。私が学ぶんだから」
「母さんの前でそんなこと言えないよ」
「そのとおりね」
互いの苦笑いが重なる。やる気の芽でも見せたら最後、ぶ厚い本が積み上がっていくのが目に見えている。
「あーあ、やっとマリウスが好きだって言ってくれたのにな~」
「僕は、まだミリアの気持ちを聞いてないけど?」
少し意地悪だったかもしれない。ミリアがあんぐりと口を開け、頭を抱えた。『嘘でしょう?』と、本気で信じられない顔だ。
(今ならわかる。でも、僕も聞きたいんだ)
ミリアは我に返ったように首をぶんぶん振り、大きく息を吸い込んだ。
「私もマリウスのことが好き! ……もっと早く言えばよかったのかな?」
叫びみたいな声だった。確かめ合うことなら、たぶんいつだってできたはずなのに。踏み出せなかった一歩が、すれ違いを生んで――貴重な時間だけを削っていった。
「ううん。きっと、これでよかった」
「なんでよ……」
涙ぐむ彼女を見て、少しだけ罪悪感が刺す。けれどそれ以上に、胸の奥が満ちていく感覚があった。そして――これを渡すなら、今しかない。
「今日は、ミリアにプレゼントを渡したかったんだ」
「プレゼント?」
マリウスは腰の革袋からネックレスを取り出し、手のひらの上にそっと広げた。
「僕が最初に倒した小鬼の魔石で、オラルに作ってもらったんだ」
「綺麗……! あれ、風の魔力がある……?」
「うん。風使いのミリアに、ぴったりだって思った」
ミリアが風の魔術師だと知ったのは今日が初めてだ。なのに、この石は――最初から彼女のために用意されていたみたいに、手の中でしっくり馴染んだ。
「いいの? だってマリウスにとって大事なものでしょ?」
「大事なものだからこそ、ミリアにあげたかった」
マリウスは小さく息を吸い、続ける。
「それに、名前も決めてる。これは――『仲直りのネックレス』。何があっても仲直りして、ミリアと楽しくやっていきたい。そう思って付けた」
言い切ってから、照れ隠しみたいに付け足す。
「……まあ、仲直り以上に。ミリアと両想いになれたのが、嬉しいけどね」
ミリアの目から大粒の涙がこぼれた。でもそれは、悲しみだけの涙じゃない。マリウスは彼女を正面から、ゆっくり抱きしめる。
「マリウス、ありがとう……」
「うん」
これからもずっと、一緒にいたい。――なのに、今はもう叶わない。
喜びと、これから来る別れの痛みがいっぺんに押し寄せ、腕に力が入った。
「……強いよ」
ミリアはそう言って、振りほどこうとはしなかった。目をぎゅっと閉じて、気が済むまで――二人は子どもみたいに泣いた。
「は~、スッキリした!」
帰り道。目を腫らしているのに、ミリアの口角はゆるみっぱなしだ。ネックレスをマリウスに付けさせると、小躍りしながら歩いている。その切り替えの早さに、マリウスは呆れて笑ってしまう。
「魔術師は魔石にメモを残せるの。今日はマリウスがぜんぶ悪かったって書いておくから絶対忘れない!」
「やめてくれよー!」
「やーめない!」
舌を出して逃げようとするミリアを追いかけて、手を捕まえた。
「私たちは、じゅうぶん幸せ者なんだよ」
捕まったミリアは、ふっと真面目な声になる。
「この村はね……何もかもが〝普通〟じゃないの」
冗談の余韻が薄れ、川音が妙に澄んで聞こえた。
マリウスも薄々感じていた。春夏秋冬を問わず尽きない食料、綺麗な家、自由な遊び時間、温かい家族。安全で居心地がいい。――それなのに、どうしてこんなに人が少ない?
「でも、だからこそ――私たちは、ここを出なきゃいけないの」
「えっ……? どういうこと?」
言葉の意味が掴めず、不安が喉元までせり上がる。
「ごめんね。詳しくは言えない。でも、きっといつかわかる」
ミリアが強く手を握る。その指先が、かすかに震えていた。何かはわからないが『僕が感じた怖さはミリアが感じている怖さなのかもしれない』と思った。
「私には魔術回路があるから大丈夫よ! 魔術師ってすごいんだから。なんたってね――」
胸を張って、得意げに語り出す。けれど笑顔がどこか硬い。明るく振る舞おうとするほど、隠しきれないものが滲む。
「ここまでだね」
家の前に着くと、ミリアは何事もなかったみたいに手を離した。つないでいた手の温度が、空気にほどけていく。
「いつまでいられる?」
「わからない。でも……残された時間は、きっと少ない」
部屋の中から「ミリアー? 戻ったのー?」と声が飛んだ。
「はーい、今行くね」
ミリアが「またね」と言って扉を開ける。なぜか家の中は暗く、奥は見通せない。
その闇の中へ、彼女がすっと吸い込まれていくのを――マリウスは、ただ見送るしかできなかった。
◇ ◇ ◇
翌日。ミリアの家を訪ねても、〝誰も〟いなかった。
カーテンもレースもなく、窓から見えるのは、ぽつんと残された机だけ。生活の匂いすら、きれいに消えている。
嫌な予感が背中をなぞった。マリウスは家を離れ、母を探して声をかけた。
母に「ミゲルさんのとこ? ミリアが大きくなったから村を出たんじゃなかったかしら」と言われた。
その言い方が――まるで遠い昔の出来事みたいで、マリウスの背筋が冷えた。
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