第5話 魔術師ミリア

(マリウスなんて大嫌い!)

 ミリアは悔しさに唇を噛み、自室のドアを勢いよく閉めた。反動で机の上の本が崩れ落ちる。


「あっ」


 伸ばした手は一歩遅く、バサッと落ちた音が胸の奥を刺激した。

(大切な本なのに……)

 拾い上げようとしたとき、ふと開いたページの一文が目にとまる。


『魔術師は死を目前にしても冷静であれ』


 魔術の神様に見られているのだろうか。今の自分には皮肉にしか読めず、苦笑をこぼしながら本を丁寧に積み直す。けれど、ベッドに腰を下ろした途端、抑え込んでいた感情がまた奥底からあふれ出した。


 少し前、マリウスが夜回り隊に参加できるようになったと話してきた。心配はしたけれど、嬉しそうに話す彼を見て、自分まで嬉しくなったのに――そのあとだった。


(何が『僕が守ってあげる』よ……)


 急に大人ぶるところも、格好つけるところも百歩譲って許せる。でもミリアは、また・・仲間外れにされたような気がした。

 小さい頃から何をするにも一緒だったのに、いざ大事なこととなると、決まって置いていかれてしまう。そのたびに小さな傷が増えていき、しまいには自分自身にまで腹が立った。


 最初は、マリウスが山で採集を始めた時のことだ。

『女の子には危ないから』

 その一言で同行を断られた悔しさは、今も消えずに残っている。


 諦めきれずに両親へ相談すると、狩人のお父さんは案の定渋い顔で『危ない』と言った。

 けれどお母さんが、柔らかく、しかし確かな声で言った。


『お父さんが教えてから行かせればいいじゃない』


 その言葉が、固くなっていた背中をそっと押してくれた。

 こうしてお父さんとの〝秘密の特訓〟が始まり、汗とあざを重ねながら――ミリアはついに、同行する権利を勝ち取った。


 降り始めの雨のように、ぽつり、ぽつりとスカートに涙の跡が落ちる。


 マリウスには、この気持ちはきっとわからない。今ごろ短剣を振り、夜回り隊の鍛錬に励んでいるのだろう。その姿がかっこいいのは認める。だけど――必要とされないのは、やっぱり寂しい。


 苦楽を共にできるパートナーでありたかった。

『守ってあげる』ではなく、

『待ってるよ』と、言ってほしかった。


(だから私は、魔術を学んでいるんだ)


 机の本に目をやる。四大属性の基礎理論、魔素マナと魔術概要、初級・風の魔術――すべて貴族の中等部で教わる内容だと聞いている。

 それを差し出してくれたマリウスのお母さんには、感謝してもしきれない。最高の師匠と、背伸びをし続けて、ようやく小さな手ごたえが生まれてきた。


 ミリアは両手のひらを仰向けにし、漂う源素エナを体内の魔素と結びつけて『風』へと変換する。


「"Breezeブリーズ"」


 囁くような詠唱とともに、金色の髪がふわりと揺れた。


 魔術がどれほど難しいかは身にしみている。けれど、引く気はなかった。

 マリウスにはできなくて、自分にはできる力――その差を、自分の手で作りたかった。


 今は小さな風でも、いつか必ず。

〝ミリアがいてくれてよかった〟

 そう言わせてみせる。


 気づけば涙の跡は乾き、瞳には静かな決意が宿っていた。


   ◇ ◇ ◇


 その日の夜。夕食を済ませたあと、お父さんに呼び止められた。


「ミリア、ちょっといいか?」

「お父さん? いいよ」


 思えば、夕食の前から両親の顔色は硬かった。

 普段から厳めしいお父さんはまだしも、いつも温かく包んでくれるお母さんまで表情が曇っている。修道女だったと聞いた時にも納得できるほど優しい人なのに――今日は違う。


 お母さんはミリアの目を見ようとして、すぐに視線を落とした。卓の下へ手を隠すように引き、肩先がわずかに強張る。


(大事な話? お母さん具合悪い? もしかして……赤ちゃん?)


 ミリアは妙に前向きにひらめく。


「男の子? それとも女の子? お母さんは大丈夫?」

「違うのよ、ミリア」

「イリヤナは平気だ。でもとても大事な話なんだ。落ち着いて聞いてくれ」

「……わかった」


 このままでは話が逸れると判断し、背筋を伸ばして向き合う。

 お父さんは小さく息をつき、重い口を開いた。


 ――告げられたのは、思ってもいなかった話だった。


(なんで……よりによって今なの?)


 小さな村では珍しくないこと。でも、ミリアには受け入れがたかった。

 必死で反対したけれど、両親は謝ることしかできず、何度も繰り返される『ごめんね』が心を抉る。


 限界だった。ミリアは椅子を弾くように立ち上がり、そのまま自室へ駆け出した。


(マリウスっ!)


 心の中で一人の少年の名を叫ぶ。

 彼を思えば、気持ちは温かくなる。――なのに、時に悲しくもなる。それでも幸せだった。なぜなら、それは決して届かないものではなかったから。


(ごめんね……)


 けれど、その未来に向かう時間は、もう残されていなかった。

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