第19話 ほどける輪

(脇役って、なんだよ)


 その言葉だけが、頭に残っていた。


 今は三人で、北区へ戻る橋へ向かっている。

 もうダイを問い詰めるような空気ではなかった。ただ、目の前で一本線を引かれたような、突き放されるみたいな寂しさだけが、まだ消えずにいた。


「あちゃー、アイカも収穫なしか」

「うーん……こんなことってある?」

「まあ今は火祭りの時期だしな。みな、それどころじゃないんだろ」


 南区の壁際にも、鉄の松明台が等間隔に並んでいた。

 支柱の先には筒状の受け具があり、そこへ松明を差し込むらしい。まだ火は入っていない。先端に巻かれた布だけが乾いたまま、白く毛羽立っている。


「グールがいても?」

「幸い、祭りの時期で異邦人が増えてるからな」


 教会で聞いた話を思い出す。

 異邦人の大半は冒険者だという。たしかにギルドには、見慣れない顔だらけだった。町の色に馴染んでいない者たち。身なりも、目つきも、歩き方も、ばらばらでどこか違う。それなのにまとまっている。


「それでも、少しくらい心配しそうなものだけど」


 釈然としないものが残る。

 冒険者がいるからといって、本当に安心できるのだろうか。まるで魔物は街の中へ入ってこない、とでも言いたげに、人々の口からは危機感だけがきれいに削ぎ落とされていた。


「そうなったこと、ないからじゃね?」

「最近はバクターが増えてるって言っても、たかがバクターだしね~」


 いつしか捕食菌退治は、冒険者へ頼むものになった。

 ツィロルにとって魔物は、目の前の脅威というより、面倒ごとを代わりに片づけてもらう程度になっているのかもしれない。


(そりゃそうか)


 魔物など、身近でないほうがいいに決まっている。

 夜回り隊のように考える自分のほうが、むしろ少数なのだろう。ツィロルでは、それが普通なのだ。


 そう思うことにして、胸に残った小さな引っかかりを押し込めた。


   ◇ ◇ ◇


 解散の話を聞いたあの日以来、みなで依頼を受けることはなくなった。


 ダイとアイカは火祭りの手伝いへ回り、ロロはたいていデイリーにいる。顔を合わせることはある。挨拶もする。けれど前みたいに自然とまとまることはなくなった。


 同じ町にいるのに、少しずつ道がずれていく。


「辛気臭ぇ顔だな」

「ごめん、シシド」


 小鬼討伐の依頼だけは、シシドと二人で受けていた。

 これがいちばん手堅い稼ぎになるし、剣を振っているあいだだけは余計なことを考えずに済む。マルスは半ば鬱憤(うっぷん)を晴らすみたいに、小鬼を斬った。


「シシドは、解散(それ)でよかったの?」

「向き、不向きだろ」


 返ってきたのは、あっけないほど短い答えだった。


 シシドは何も変わらない。それが少しだけ意外だった。


 ――オレらで金級を目指す。

 その言葉は、そんなに重要なものではなかったのだろうか。自分の勝手な思い込みだったのかもしれない。


 討伐を終えた夕方、ギルドで報酬の清算を済ませると、シシドはそれ以上何も言わずに去っていった。


 マルスは一度、宿へ戻る。


 ラブランタンの酒場には、いくつもの笑い声が重なっていた。木の椅子が軋み、皿がぶつかり、酒の匂いと焼いた肉の匂いが入り混じる。いつも通りの光景なのに、自分だけがそこへ入りそびれている気がした。


「マルスくん! 今日はご飯食べてかないの?」

「ちょっと部屋に戻ってから考えるよ」

「はいはーい、待ってるね~!」


 ミルキーの明るさに手を振り返しながら、ふと足が止まりかける。

 みなそれぞれ、やるべきことのために前を向いている。けれど、同じ卓を囲んで飯を食う時間が、自分にとっては思っていたよりずっと大きかったのだと、そのとき初めて気づいた。


 部屋へ戻って装備に手を伸ばす。

 手入れ用の油布(ゆふ)は、もう乾きかけていた。このまま刃を拭ってもただ曇りを広げるだけだろう。窓の外を見ると、陽はもうだいぶ傾いていた。間に合うかどうか、ぎりぎりのところだ。


 マルスは急いでギュングの工房へ向かった。


「そうじゃねぇ!!」


 怒号が、表まで響いていた。

 ギュングの声だった。


 マルスは工房の入口から、そっと中を覗く。

 熱を含んだ鉄の匂いと、削った木の匂いが鼻先をかすめた。


 机の上には細かな部品がいくつも並べられていた。金具、筒、削りかけの木片。中央に置かれたものは、以前カジアシの館で見た弓銃(ボウガン)を思わせた。むろん、あの高価な品ほどではない。けれど、ばらばらの部品は、たしかに同じ形へ近づきつつあった。


 ――その向こうに、シシドがいた。


「入るなら入れよ! 誰だか知らんが、用があるんだろ?」


 ギュングの声が飛んだ。


 マルスは肩を跳ねさせ、それから観念して工房へ足を踏み入れる。

 シシドと一瞬だけ目が合った。だが、彼はすぐに視線を戻し、手元の部品へ向き直った。


「すみません。手入れ用の油が切れて」

「ああ……そこにある。布につけていけ」


 ギュングが顎で棚を示した。


 棚には小瓶と布がいくつか転がっていた。油の染みた布は、端だけが黒く硬くなっている。マルスはその中からまだ使えそうなものを選び、小さな壺に指先をかけた。


 シシドは作業台の前に立ったまま、こちらを見なかった。

 見られたくない、というより、見たところで言うことがない。そんな横顔だった。


 ギュングはふたりを見比べ、面倒くさそうに鼻を鳴らした。


「なんだ。仲間に内緒でやってたのか?」

「伝えてなかっただけだ」


 シシドは答えた。


「同じことだろうが」


 ギュングは作業台の上へ布をかぶせた。

 弓銃の形が消える。隠されたというより、最初からそうするつもりだったみたいに、あっさりと。


「今日はもう帰れ」

「……うす」


 シシドは逆らわなかった。


 マルスも油布(ゆふ)を手にしたまま、工房を出る。

 通りの石に、日の名残だけが薄く張りついている。


「邪魔しちゃったかな」

「帰れって言われたら仕方ねぇ」


 シシドの声はいつも通りだった。

 だから余計に、次の言葉が出なかった。


 弓銃のことを聞くことはできた。けれど、聞いたところで答えはわかっている。ロロのためだ。


 ロロには武器がなかった。

 それを、マルスは知っていた。


「あいつだけ、戦えねぇのもなって」


 シシドが先に言った。


「……ロロは、戦いたくなさそうだけど」

「まあな」


 少し間があった。


「でも、戦えないのと、戦わないのは違うだろ」


 その言葉は、叱るようでも慰めるようでもなかった。

 ただ、そういうものだと言われただけだった。


 マルスは油布を握り直す。指先に油が移って、ぬるりと滑った。


 ロロなら大丈夫だと思っていた。

 矢面に立つ性格でもなければ、魔術だって扱える。だから、必要ないのだと勝手に決めていた。


 ただ、それは後から付けた言い訳にすぎない。考えなかっただけだ。


「シシドは……僕のこと、怒ってないの?」


 口にしてから、聞き方を間違えたと思った。

 それは、許されることを待つ言い方だった。


 シシドはしばらく黙っていた。

 通りの向こうで、誰かが松明台を運んでいる。鉄の脚が石畳に触れ、短く鳴った。


「……オレは難しいこと言えねぇよ」


 シシドは言った。


「あいつらに甘えてた。たぶん、オレもな。だから、今回のはいいきっかけだった。それだけだ」

「甘え?」

「なんでも一緒にやればいいわけじゃねぇってことだな」


 また、話はそこで終わった。


 シシドはそれ以上説明しない。

 マルスも、それ以上聞けなかった。


 手の中の油布だけが、いつまでも湿っていた。

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