第20話 占い師の一手

 朝からギルドは騒がしかった。

 扉が開くたびに外の光が差し込み、革鎧の匂い、湿った外套の匂い、武器の金具が触れ合う音が入り混じる。いつもより声が大きい。誰もが何かを待っているようで、誰もがすぐに動き出せるような顔をしていた。


 その中で、マルスだけが右往左往と彷徨っていた。


「僕も連れて行ってくれませんか?」


 声をかけた相手は、首から下げた認識票を見るなり眉をひそめた。


「荷物持ちでもなんでもやります」

「錫級だろ。邪魔になる」

「報酬はいりません」

「そういう問題じゃねぇよ」


 それで終わりだった。


 何度繰り返しても、返ってくるものは似たようなものだった。

 怒鳴られることもあれば、笑われることもある。中には目を合わせることすらせず、手だけを振って追い払う者もいた。


 当然だと思う。

 マルスには食人鬼(グール)を討伐できる力も、そこへ加わるだけの身分もない。荷物持ちと言ったところで、今の自分では荷物ごと置いていかれるのが関の山だろう。


 それでも、近くで見たかった。


 食人鬼を。

 そして、それに向かっていける冒険者たちを。


 彼らがどう歩き、どう構え、何を見ているのか。

 自分に足りないものが何なのか。武勇伝を聞くだけでは、きっとわからない。


「ガキが、身の程を弁(わきま)えろよ」

「バルデナード……さん?」


 威圧感のある見知った声。振り向くとバルデナードとその仲間たちだった。艶やかな笑みを浮かべた女と、背の低い二人組の男。


「あら」


 女が小さく声を漏らした。

 その目が、マルスを捕まえる。


「この子、連れていった方がいいわ」

「ああ? またかよ。ミラベル、冗談はよせ」

「冗談なんて言わないわよ」


 女が興味深そうに顔を近づけてくる。

 長い睫毛、切れ長の目でマルスはまじまじと覗かれる。その姿はからかっているようにも、心の中を見透かされているようにも感じる。


 だが、これは巡ってきた絶好の機会に他ならない。


「ぜひ、お願いします!」


 マルスは心の迷いが生じる前に頭を下げた。

 バルデナードは舌打ちを一つ挟むだけでそれ以上は何も言わなかった。それだけこのミラベルと呼ばれた女の言葉を信じる何かがあるのだろう。


「「仲間?」「仲間!」」


 背の低い二人が、顔を見合わせて声を弾ませた。

 片方がくるりと回ると、もう片方もそれに続く。ふざけているのか、本気なのか、マルスにはわからない。


 ただ、なぜだろうか。

 止まっていた時が動き出したような気がした。


   ◇ ◇ ◇


 バルデナードが先頭を歩き、ミラベルがその後ろにつく。小柄な二人は、道の左右を行ったり来たりしている。列と呼ぶには乱れていて、連名(パーティー)と呼ぶにはまとまりがない。


 ――それでも、強い。


 道の先には、小鬼(ゴブリン)の屍が転がっていた。魔石はすでに抜かれ、あとは消滅を待つだけの肉の塊になっている。


(見る暇もない……)


 マルスは本当に、荷物持ちとしてついていくだけだった。


 魔導具箱(マジックボックス)は使わない。人数分の松明を背負い、余分な荷を抱え、山道を歩く。それだけでも、足元はすぐに重くなった。


「「魔石渡す?」「魔石渡そう」」


 疑問を浮かべるのが弟のボラで、判断をするのが兄のベベだ。


 彼らは双子の土小人(ドワーフ)だった。容姿だけではほとんど見分けがつかない。ただ、話せばわかる。ボラが問い、ベベが決める。二人でひとつの答えを出す。


「「はい、魔石だ」」

「もらっちゃっていいの……?」

「「必要ないよね?」「必要ない」」


 二人は当たり前のように頷いた。


 マルスは礼を言い、魔石を受け取る。掌に残ったぬめりが、荷物の重さとは別のものとして指にまとわりついた。


 進むほどに、この連名(パーティー)の形が少しずつ見えてくる。

 

「そこは右よ」

「おう」


 ミラベルの声が落ちた直後、右の茂みが裂けるように揺れた。


 飛び出してきた食人鬼(グール)へ、バルデナードの大剣が横から入る。構え直す間も、叫ぶ暇もなかった。重い刃が空気ごと叩き潰すように走り、食人鬼の身体は地面へ崩れた。


 バルデナードは言うまでもなく、攻守の要であり前線だ。


 ベベとボラは周囲を見る。道を外れ、戻り、また消える。ふざけているような足取りなのに、彼らが一度通ったあとは、不思議と死角が減っていた。


 そして、ミラベルが指示役だった。

 先を見通したように、魔物の出現を察知し、的確な一手を入れる。


「あら、熱い視線ねぇ。何かしら坊や?」

「なんで右から来るってわかったの?」


 ミラベルは困ったように、頬に指先を当てた。

 答えるかどうかを迷っている。そんな顔だった。けれど、その目は少しも迷っていないようにも見えた。


「私が占い師だからよ」


(占い師だからって先は見えないはずだ……。それなら、僕は剣士だ)


 マルスは認識票の登録の時にそう言った覚えがある。

 けれど、剣士でなくても剣は振れる。踏み込む勇気と、手に取れる武器さえあればいい。逆に、剣士と名乗ったところで、バルデナードや父のように刃を扱えるわけではない。


「おい、小僧。邪魔すんなら追い出すぞ」


 バルデナードの一喝。それだけで空気が重くなる。


「あまり専技(スキル)を人に聞いちゃダメ。わかった?」

「ごめんなさい」


 窘められるような声に、マルスは肩を落とす。 

 ララーナ冒険隊で聞いたのは、恩寵(ギフト)だった。迷い子だけが持つ特別なもの。けれど、ミラベルが口にした専技(スキル)は、それとは違う響きを持っていた。


 恩寵ではない。

 魔術でもない。

 けれど、ただの勘でもない。


「きっとまだ持ってないのね」

「どおりで、な」


 ミラベルが呟き、バルデナードが鼻で笑う。


「坊や、闇雲に強くなろうとしてもダメよ。自分が何者なのかを知らないと」


 彼らの言葉の真意はわからない。

 けれど、ひとつだけ腑に落ちたことがある。


 自分にはないものを、彼らは持っている。

 あるいは、自分にあるかもしれない何かを、自分だけが知らない。


(自分が何者かなんて、わかってどうするんだろう)


 その疑問だけは拭えないまま、同行はあっけないほど早く終わった。


   ◇ ◇ ◇


 寂れた門の前までやってきた時、見知った姿があった。

 無精ひげを生やした門番。――バートンだ。


 彼はマルスたちを見るなり、顔を強張らせた。視線はマルスではなく、バルデナードへ向いている。


「バルデナード……どうして帰ってきた!」

「あ? てめぇには関係ないだろ」

「関係ない?!」

 

 今にも胸倉を掴みそうな勢いだった。


「ルディナがどれだけ苦しんでいると思っているんだ」

「知るかよ」


 短い言葉だった。


 バートンの拳が強く握られる。骨の浮いた指が震えていた。けれど、その拳は振り上げられなかった。ふっと、力だけが抜ける。


「いくら探したって何も出てはこない。罪は……」


 最後まで聞かず、バルデナードはバートンの横を通り過ぎた。道中よりも大股で早い。マルスは、その後をついていくことしかできなかった。


   ◇ ◇ ◇


 冒険者ギルドは、朝よりも落ち着きを取り戻していた。

 いくつもの連名(パーティー)が報告を済ませ、流れていく。疲れた顔もあれば、陽気な顔もある。誰もが今日を終えた顔をしていた。


「ほら、報酬だ」

「え……?」


 掌に落ちたのは、青銅貨三枚だった。

 300Gill。それに、道中でベベとボラから譲り受けた小鬼の魔石もある。荷物持ちとして同行しただけにしては、十分すぎる収穫だった。


「ありがとう」

「口留め料だと思え」


 それがミラベルの専技(スキル)のことなのか、帰り道でのバートンとのやりとりのことなのか、マルスにはわからなかった。


 マルスは黙って頷く。どちらにせよ、吹聴するつもりはない。


「「また会えるかな?」「会えるさ」」


 ボラが少し心配そうに言い、ベベが対照的に胸を張った。

 マルスは二人を見て、少しだけ口元を緩める。


「またね」


 二人は顔を見合わせ、それから嬉しそうに声を揃えた。


「「またな」」


 マルスがギルドを出るまで、二人はずっと手を振っていた。扉が閉まる直前まで、片方の手がまだ揺れているのが見えた。


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 小僧の背が通りの向こうへ消えたのを見届けてから、バルデナードはようやくミラベルを見た。

 

「どういうことか説明してくれるんだよな?」


 声は低い。

 問い詰めるというより、すでに答えを聞く準備だけはできている声だった。


 ミラベルは椅子に腰を下ろし、指先で髪の先を弄んでいる。焦った様子はない。バルデナードの視線を受けても、まるで風向きを確かめるみたいに目を細めただけだった。


「あらあら、いつにも増して怖い顔ね」

「おちょくるなよ」


 バルデナードの指が、腰のあたりで一度だけ動いた。剣に触れたわけではない。ただ、苛立ちの行き場を探しただけの仕草だった。


 ミラベルはそれを見て、小さく笑う。


「収獲はあったわ」


 その一言で、ベベとボラの動きが止まった。

 さっきまで椅子の縁に並んで座っていた二人が、同時にミラベルを見る。


「あの時に伝えるべきで間違いないわ」

「そんな影響あるようには見えねーがな」


 バルデナードは吐き捨てるように言った。


 ミラベルは答えない。

 代わりに、机の上に置かれた青銅貨を一枚、爪の先で弾いた。硬い音が、小さく鳴る。


「得てしてそういうものよ」


 それだけだった。


 バルデナードは眉間に皺を寄せる。納得した顔ではない。だが、ミラベルがそれ以上を話すつもりがないことも、よく知っている顔だった。


「「マルスいいやつ?」「良いやつ」」


 ボラが首を傾げ、ベベが頷いた。


 ミラベルは二人を見て、今度はほんの少しだけ、柔らかく笑った。


「そうね。いい子だったわ」


 バルデナードだけが、面白くなさそうに鼻を鳴らした。

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