第18話 脇役

「どうしてここに?」

「橋の近くなら人通りが多いだろ?」

「……うん?」


 言われても、すぐには意味が繋がらなかった。


 マルスが曖昧な声を返したのを、ダイは聞こえなかったものと受け取ったらしい。気にした様子もなく、顎で路地のほうをしゃくる。


「ふうぃ~~」


 ほんの少し路地に入ると、喧噪が遠ざかり、気温が幾ばくかマシになった。

 建物を背もたれにしたダイが布の服の胸元をパタパタとさせながら吐息で熱を押し出す。その仕草は、一仕事を終えた後の父に似ていた。つまり親父臭い。


「ギルドはどうだったよ?」

「銅級じゃないと参加すらできなかったよ」


 首を振る。

 ただ事実を口にしただけのはずなのに、自分の失敗を報告しているみたいな気分になった。


「……まあ、そうだよな。でも、まだ終わってねーんだよな?」


 その言葉に、胸のどこかがかすかに緩んだ。

 共感してくれているのだとわかる。けれど、最後の問いにはうまく答えられなかった。言葉がでなかった。その穴を埋めるように、マルスは「ダイは何してたの?」と聞き返した。


「さっきも言っただろ。聞き込みだよ」

「あ……」

「なんだ、その『今思い出しました』みたいな顔。腹立つなー!」


 すっかり頭から抜けていた。

 町の異変を探ること。それが最初に決めた、ダイとアイカの役目だった。


 マスが不漁だとか、冒険者崩れが年々増えている、なんて話もあった。だが報告はいつも同じ、それ以上に異変と呼べるものは見つからなかった。だから、いつのまにか報告すら交わさなくなっていた。


「そりゃ、収穫はなかったけどさ……」


 ダイは鼻の頭を指先でこすった。


 表通りは祭りを前に少し浮き足立っているが、町そのものは変わらない顔をしている。騒ぎの中心にあるのは、冒険者ギルドの周りだけだ。


「これからどうすんだ?」

「……もう、何もしなくていいんじゃない」


 言った瞬間、自分でも棘が混じったのがわかった。

 何度も問われるたび、責められているような気がしていた。だから、考えるより先に、ぶっきらぼうな言葉が出た。


「ふざけんな」


 低く押し出すような声だった。

 見る見るうちに、ダイの顔が赤くなっていく。額の汗がこめかみを伝い、首筋へ落ちた。


「勝手に巻き込んで、勝手に終わらせんなよ!」


 思わず息を呑む。


 怒られる筋合いなんてない、そう思った。

 今回に限って言えば、ちゃんと前に進めたはずだ。アイカも救えた。町だって、たぶん何とかなる。未来は確かに変わった。それ以上、何を求めればいいというのか。


「これ以上、何をしろって言うの? 邪魔になるだけでしょ」

「それで後悔しないのかよ?」


 ダイらしくない言葉だった。

 死ぬ気で戦え、とでも言いたいのだろうか。無茶を嫌い、危険を遠ざけるのが彼だったはずだ。


「後悔とか、そういうんじゃない。僕らは無力だった……そうでしょ?」

「……ついてこい」


 短く言って、ダイは路地を出た。


 向かったのは橋を越えた先、南区だった。

 通りを行く人々はどれも小ぎれいな服を着ていて、靴の先にも泥がついていない。石畳は乾いて明るいのに、歩いているこちらだけが場違いみたいで、居心地が悪かった。


 ダイは人目を避けるように細い路地へ身を滑り込ませる。表通りを覗き見るような格好で人差し指を向けた。


 その先に――ひとりの少女の後ろ姿があった。


「すみませーん! ちょっといいですか?」

「……」


 まとめた赤い髪。白いワンピース。

 少女は人好きのする笑顔を浮かべていたが、声をかけられても、大抵の人は足を止めない。


「そこのおじさま、ちょっといいですかー?」

「ん……? ほほう、いくらだ?」

「あ、そういうのじゃなくて、聞きたいことがあって」


 ねっとりとした視線を向けられても、露骨に値踏みされても、――アイカは顔を引かせない。いや、引かせないようにしていた。笑顔の端だけが、わずかに強張る。

 

 それでも、次の人へ行く。

 断られても、また次へ。また次へ。


 良い結果が得られているようには見えなかった。

 それでも、やめない。


 その背中を見ているうちに、マルスは自分だけが立ち止まっていたことが、急にひどく恥ずかしくなった。


「……ごめん」


 ダイはしばらく何も言わなかった。

 路地の先で、アイカがまた誰かに頭を下げている。その背中を見たまま、小さく鼻を鳴らす。少ししてから、言いにくそうに頬をかいた。


「シシドみたいに鍛えられるわけじゃねぇし、マルスやロロみたいに、何か特別なもんがあるわけでもねぇ」


 ダイはそこで一度、言葉を切った。


「俺もアイカも、小鬼一匹倒すのでやっとだった。正直、足手まといだろ」

「そんなこと……」

「あるよ」


 言葉は乱暴なのに、声はどこか静かだった。


 マルスにも、それはわかっていた。

 小鬼退治だけを見れば、ダイとアイカが入り込む隙はほとんどなかった。マルスとシシドだけで足りてしまっていた。


「そもそも俺は、強くなりたかったわけじゃない」


 ダイは壁に肩を預けたまま、空を見るでもなく視線を浮かせる。


「目の届くとこだけ守れりゃ、それでいいと思ってた。危ないところに首突っ込んで、でかいもん背負って、そういうのは柄じゃない」


 そこで一度だけ、ダイは笑った。

 すぐに消える、薄い笑いだった。

 

「……でも、おまえ見てるとさ。ずるいなって思うんだよ」


 マルスは息を呑む。


「いや、なりたいわけじゃないぞ。そんなの。主人公みたいに、勝手に厄介ごとの真ん中に立たされて、みんなの分まで背負わされるとか、御免だ。重たすぎるだろ」


 吐き捨てるみたいに言ってから、ダイは少しだけ目を伏せた。


「でも、それでも前に出るやつがいると、置いてかれた気にはなる」


 その声には、怒りとも羨望ともつかないものが混じっていた。自分でもうまく名前をつけられない感情を、無理やり言葉にしているようだった。


「俺は俺でやれることやろうと思ってた。そういう煮え切らないやり方に、みなを付き合わせてきたんだけどな」


 危ない橋を渡らないこと。手の届くところまでしか引き受けないこと。それが、ずっとダイのやり方だったのだろう。


「まっ、それも今回で終わりにしようと思うんだ」

「え……?」

「ララーナ冒険隊は、この件が終わったら解散する」


 あまりにあっさり言うものだから、かえって冗談には聞こえなかった。


「……なんで、そんなこと聞いてないよ」

「マルスには言ってなかったからな」


 ダイは肩をすくめた。

 その軽さのまま受け流していい話ではないのに、マルスは次の言葉を探せなかった。


(だって、そのきっかけは僕だ)


「たださ、このままじゃ本当に何も残んねぇよな」


 そこでようやく、ダイがマルスを見る。


 いつもの、へらっとした顔ではなかった。

 強がりでもなく、拗ねてもいない。ただ、自分で決めたことだけを口にしている目だった。


「マルス。おまえが諦めちまったら――俺らは脇役にもなれないだろ」

「……わけわからないよ」


 マルスの歩みは、彼らと切り離されたものではないはずだった。少なくとも、自分はそう思っていた。


 ――そのときだった。


「さっきからちらちら見えてんのよ! こっちは暑いなか頑張ってるのにー!」


 白いワンピースの裾をひるがえして、ずかずかとこちらへ歩いてくる。

 その勢いに、さっきまで路地に沈んでいた重たい空気が、一挙に吹き飛ばされる。


「いや、おまえもこっち来いよ。そっちのほうが暑いだろ」

「なにその減らず口!」


 ぴしゃりと言い返してから、アイカはマルスとダイの顔を見比べる。


「……で? なにしにきたのよ?」

「ああ、マルスは女の子への声のかけ方が下手でさ」

「はぁ?」


 アイカが呆れたように目を細める。

 ダイの口元にはいつもの軽さが戻っていた。

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