第17話 見間違いではなく

「緊急依頼の窓口はこちらで!」


 人だかりの向こう、カウンターの奥でアンが声を張り上げていた。

 一瞬だけその姿が見え、すぐにまた人波に呑まれる。


「グールだってよ!」

「こんな町にねぇ……誰か怪しい実験でもしてたんじゃないか?」

「それよりそれより! 祭りも楽しみだよねっ!」


 騒ぎの中心にいるはずなのに、どこか空気が軽い。

 火急の依頼を前にしているというのに、酒場で次の見世物でも待っているみたいな顔がいくつもあった。


(この冒険者たちは、どこから来たんだろう)


 緊張感がない。

 けれど、弱いわけでもない。それは見ればわかる。装備の擦れ具合、立ち方、視線の置き方――少なくとも、自分よりはずっと場数を踏んでいる。


 そのちぐはぐさが、前に見た銀髪の少女を思い出させた。


(異邦人が、こんなに……?)


 そう思って見直してみると、なおさら統一感がない。

 髪の色も、背丈も、顔立ちも、まとっている雰囲気さえばらばらだった。ただ、異国の民と言い切るには何かが違う。寄せ集めというには、妙に出来すぎている。


「具合はよくなったかな?」


 人のざわめきに呑まれかけていた意識を、その声が引き戻した。

 振り向くと、ヴァーゼル卿がゆっくりと人混みを縫うようにしてこちらへ歩いてくるところだった。


「はい、おかげさまで。それにお布施まで……ありがとうございます」


 マルスは、傷ひとつない両腕を見せるように前へ出した。


「よかったよ。大変な目に遭わせてしまったからね。それくらいはさせてほしい」

「いや……僕は何もできなかった」


 口にした瞬間、自分でも思ったより暗い声が出た。


 ヴァーゼル卿はそれを咎めるでもなく、ただ少しだけ眉を下げた。


「君のおかげで、いや、君たちのおかげで助かったんだ」


 そう言われても、胸の内には落ちてこない。

 乾いた砂の上を風が撫でていくみたいに、言葉だけが形を残さず過ぎていった。


 掲示板には、古びた羊皮紙に混じって、新しい一枚が目立つように貼り出されていた。

 『食人鬼(グール)討伐依頼』。条件は銅(カッパー)級以上。


(やっぱり、戦力外か……)


 そんなことは、はじめからわかっていた。

 たまたま捕食菌の王(キングバクター)に対して有効な手を見つけただけで、食人鬼相手では自分たちは足手まといだ。よくて傍観者。それでも、紙一枚の文字になって突きつけられると、思った以上に堪えた。


「キングバク――」

「しぃー……あの洞窟のことは、まだ胸の内にしまっておいてほしい」


 ヴァーゼル卿は人差し指を口元に立て、そのまま声を潜めた。


「アレが何なのか、今まさに協議しているところなんだ。下手に刺激すれば、大惨事になりかねない。それに今、優先すべきは食人鬼のほうだ。もし町に現れでもしたら、被害は想像に難くないからね……」


 最後のほうは、説明というより独り言に近かった。

 曇ったその顔には、疲労の色も濃く滲んでいる。おそらく、あの日からろくに眠れていないのだろう。


 返す言葉がなかった。

 気づけば、拳を握りしめていた。


(悔しい)


 最初にギルドへ来たときは、あれほど大人に助けを求めていたのに。

 今はただ、守られる側へ押し戻されるのが悔しかった。


 視線を落とす。

 奥歯が、かすかに鳴った。


「魔素の炎ではなく、純粋な火が重要だった。その事実は、多くの命を救うことになるよ」


 その声に顔を上げるより先に、別の声が割って入った。


「ヴァーゼル卿、お話し中のところ申し訳ありません。そろそろ作戦の説明をお願いいたしますぅ……」


 受付嬢の一人だった。やつれた顔でよろよろと近づいてきた彼女は、懇願するような眼差しをヴァーゼル卿へ向けていた。


「ああ、今行くよ」


 ヴァーゼル卿は短く応じ、マルスへ向き直った。


「前線がすべてじゃない。君は英雄さ」


 冗談めかした調子でも、慰めるような声でもなかった。

 ただ、それだけを残して、彼女はまた喧騒の中へ戻っていった。


   ◇ ◇ ◇


 気づけば、冒険者ギルドの外へ出ていた。


 表通りは熱気と活気に満ちている。

 人の波は途切れず、道の端には露店がぽつぽつと並び、その軒先には魔石を使った飾りが陽を受けてきらついていた。


 ふいに、金髪の少女が視界を横切った。

 胸元で揺れたネックレスが光を弾く。


「ッ、ミリア!!」


 反射だった。


 何人かが驚いたように振り向いたが、肝心の少女は足を止めない。

 大きな橋のある方へ、そのまま歩いていく。人波に呑まれながら、背中だけが少しずつ遠ざかっていった。


(見失う!)


 考えるより先に、マルスは人の流れへ飛び込んでいた。

 見間違うはずがない。背丈も、髪の揺れ方も、あの日のままだった。


(ミリアは覚えていなくても、僕は覚えてる)


「どこ見てんだ!」

「す、すみません!」

「気をつけろ!」


 肩がぶつかっても、視線だけは外さない。

 前だけを見て、人と人の隙間を縫う。そうしてようやく、手を伸ばせば届きそうな距離まで追いついた。


「ミリアッ! 僕だ、マル……マリウスだよ!!」


 ようやく声が届いた。


 少女が振り返る。

 その拍子に、首元のネックレスがふわりと浮いた。


 向けられたのは笑顔ではなかった。

 どこか警戒を含んだ、訝しむような眼差しだった。


「え、誰……?」

「マリウスだよ。って言っても、覚えてないのかもしれないけど……」

「ひ、人違いじゃないかな?」

「見間違うもんか。だって、そのネックレスは――」


 言葉が、そこで止まった。


 『仲直りのネックレス』。

 風の魔力が宿った、緑の魔石。


 けれど、目の前の少女の胸元で揺れていたのは――赤だった。


(たまたま、違うのをつけてるだけかもしれないじゃないか!)


 そう思ったのは、半分以上、願いだった。


「君は迷い子だったりしない?」

「急に失礼ね。私は生まれも育ちもベルムントよ。ミリアなんて名前じゃないし」


 はっきりと言われると、もう縋りようがなかった。


 見間違うはずがないと思っていた。

 けれど、違う。ミリアじゃない。


「……人違いでした」


 少女は不審そうな顔を作り、足早に去っていく。

 マルスはその場で立ち尽くし、視界から消えるのをただ見つめていた。


 何かが、指のあいだからすり抜けていったような感覚だけが残った。


 無性に、ララーナ冒険隊の皆の顔が見たくなった。

 この空っぽな気持ちを、うまく言葉にはできなくても、あの四人の前ならいつもの自分でいられる気がした。


(みな、今どこにいるんだろう)


 そう考えてから、ふと気づく。

 依頼のない日に彼らが何をしているのか、ほとんど知らない。


 シシドならどこかで鍛えているだろうし、ロロがデイリーにいるのも想像がつく。

 けれど、ダイとアイカのことはわからなかった。そう思った瞬間、日常がぽっかりと抜け落ちていることに気づいた。


「女の子を呼び止める文句としては、いまいちだったな」


 声に振り向く。

 そこにいたのは、ニヤついた顔のダイだった。額には汗がにじみ、こめかみを伝った雫を、今しがた拭ったばかりらしい。

 日陰のない場所で、しばらく立っていたように見えた。


 どうしてそこにいるのか、見当もつかなかった。

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