第1話 薄紅色の季節に
4月はじめ。桜の花が散る。
観光名所でない
ご近所の山の上の公園で。
わたし、
お弁当を食べていました。
ブルーシートをしくのでなく、
ひとりで公園の長椅子に座っています。
ベンチでなく丸太の長椅子です。
いかにも山の公園というみかけですね。
今日のわたしに職場のしがらみはなく
有給消化が目的です。
4月はお花見。ふるくさい固定観念ですが、
コンビニ弁当とペットボトルの緑茶を
持参するくらいには、
わたしは日本の文化を肯定します。
桜の花が散る、他人の夢と書いて、
儚いとは、だれが言った言葉でしょうか?
わたしに文学と音楽の才能はありませんが、よくもまあ、メタファー地獄にとらわれて、妄言をはきちらせるものだと、みなさまに感心するところです。
じぶんのルーツもはっきりさせず、よその国の文化を取り入れるから自殺者が増えるのだと、教科書にのっている戦後文豪くずれのみなさまには、わたしが教えてさしあげたいですよ。
・・・なんて、教養人のみなさまに怒られてしまいそうな空想を考えているわたしは、特に宗教的な人間ではありません。
わたしは日本人です。戦後平成の日本に生まれて、あたりまえに東洋のルーツを持つ。ふつうにお仕事をして、ふつうに暮らしている、令和の一般人でございます。
10で神童、15で才子、二十歳すぎれば
30をこえて、去年の誕生日で31歳をむかえたわたしですが、この歳になれば、国家と社会のみなさまに奉仕する、社会人であるのがあたりまえのことです。
気配りをしなければいけませんね?
お仕事の関係でなくても、パッと見て仔細をはんだんする能力は天賦ある者の条件です。
それができない者は、“わたしたち”のような者にとって庇護されるべき対象なのです。老いも若きも平等にね。
プライベートの立ち振る舞いも同じ。
あっちこっちを見渡している挙動不審なみなさまや、人生と頭の春を謳歌しているモラトリアム天国のみなさまなどをながめていると、昔のじぶんを見るようで、身が引き締まるおもいでございます。
桜の花が散る。
今日もそんな変わり映えしない正午でした。
違うと言えば、ひとつだけ。
平日の正午の公園に、
黒い学生服すがたの
中学生の少年が立ち入ってきたのです。
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