第5話 見つけた、私のマシュマロ・ミューズ
「ど、どきなさいよ、この……っ!」
カレン様は最初、私を押し退けようと腕を突っ張った。
けれど、その手は私の肩口の、一番お肉の付きがいい部分に触れてしまった。
プニッ。
指先が沈む。シルクのような肌触りが、彼女の指紋の一つ一つに吸い付く。
「……え?」
カレン様の動きが止まる。
怒りで赤くなっていた顔から、急速に険しさが消えていく。
代わりに浮かんできたのは、呆然とした表情。そして、砂漠で水を見つけた旅人のような、渇望の色。
「あ、あの、重いですよね? ごめんなさい、すぐ退きますから……!」
「待って」
私が身体を起こそうとすると、カレン様の両腕が、私の背中に回された。
強い力。
絵筆しか持ったことがないはずの細い腕が、私を逃がすまいと必死にしがみついてくる。
「動かないで……。この感触……嘘でしょう?」
カレン様は、私の胸元に顔を埋めた。
鼻先が、私の柔らかい胸の谷間にむにゅりと押し付けられる。
「……暖かい。それに、この弾力……」
「カレン様?」
「い、色が……見える……」
カレン様が夢遊病者のように呟いた。
「灰色だった世界に……色が戻ってくる……。あなたの体温が、私の視神経を焼き切るような極彩色を流し込んでくる……!」
彼女の中で、何かが弾けたようだった。
スランプによる焦燥感、自己否定、プレッシャー。それら全てが、私との接触によって分泌された「幸せホルモン」の濁流によって押し流されていく。ガンギマリだ。
カレン様は、私の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「はぁぁ……甘い……。なんて甘美な匂いなの……。脳が……痺れる……」
彼女の身体から力が抜け、床の絵の具の上にだらりと投げ出された。
しかし、私をホールドする腕の力だけは緩まない。
その時、後ろで見ていた玲華様と雫先輩が会話しているのが聞こえた。
「効果てきめんね。これなら数分で鎮静化するわ」
「興味深い。芸術的インスピレーションとドーパミン受容体の関連性が証明されたな」
「ちょっと! 助けてくださいよぉ!」
私が助けを求めると、カレン様がパッと顔を上げた。
その瞳は、さっきまでの絶望が嘘のように、ギラギラと輝いていた。
狂気じみた、天才の瞳だ。
「……ミューズ」
「はい?」
「見つけたわ、私のミューズ(女神)! 私の探していた究極の質感が、ここにあったのよ!」
カレン様は叫ぶと、身体を入れ替え、私を押し倒す勢いで馬乗りになった。
立場逆転。
絵の具で汚れた彼女の手が、私の頬を、首筋を、二の腕を、胸を、お腹をまさぐるように触りまくる。
「この柔らかさ! この湿度! 油彩でも水彩でも表現しきれない、神の造形!」
「ひゃあ! くすぐったいです! 絵の具がついちゃいます!」
「構うものですか! ああ、触れているだけで、イメージが湧き出して止まらない! 脳汁が溢れるう!」
カレン様は恍惚の表情で、私の頬を両手で挟み、むにーっと引っ張った。
「可愛い。食べちゃいたいくらい可愛い。ねえ、私のモデルになりなさい。いいえ、私のキャンバスになりなさい!」
「キャンバスは無理です! 人間です!」
「却下よ! あなたは今日から私のアトリエの備品になるの!」
またしても人権蹂躙。
カレン様が私の首筋に吸い付こうとした瞬間、首根っこを掴まれて宙に吊り上げられた。
玲華様だ。
「そこまでよ、カレン。調子に乗るな」
「放してよ玲華! 今、最高傑作が降りてきてるのよ!」
「ふわりは私の充電器よ。貴女の画材ではないわ」
「異議あり。彼女は科学部の実験サンプルだ」
雫先輩も加わり、三つ巴の睨み合いが始まった。
カレン様は、吊り下げられながらも私に手を伸ばし続けている。
「嫌よ嫌よ! そのマシュマロは私のもの! その子を吸わないと、もう筆が持てない身体になっちゃったのよ!」
「一度の接触で依存症とは……軟弱な精神ね」
「貴女たちだってそうでしょう!? その子の匂いを嗅いでる時の顔、トロトロだったじゃない!」
図星を突かれたのか、玲華様と雫先輩が一瞬言葉を詰まらせる。
その隙に、カレン様は私の手を取った。
「ねえ、ふわりと言ったわね。私の専属になりなさい。そうすれば、世界中の美術館にあなたの肖像画を飾ってあげる」
「い、いりませんそんな
「西園寺グループの総力を挙げて阻止するわ」
「科学の力で肖像画を焼却処分する」
三人の天才令嬢が、私を中心に円陣を組むように迫ってくる。
それぞれが、経営、科学、芸術の頂点。
その瞳に宿っているのは、純粋な独占欲と、満たされない渇き。
私は悟った。
この人たちは、天才であるがゆえに、常に何かと戦い、傷つき、癒やしを求めていたのだ。
そして不運なことに、私のこの「
「あ、あの……みなさん? 仲良く、しませんか?」
私が恐る恐る提案すると、三人は顔を見合わせ、そして私を見た。
「「「共有(シェア)なんて、できるわけないでしょう(だ)!!」」」
声が揃った。
どうやら、私の平穏な学園生活は、完全に消滅したらしい。
こうして、学園の歴史に残る「ふわり協定」締結のための、地獄の会議が開かれることになったのだった。
私のドジが、新たな天才を呼び寄せてしまった瞬間だった。
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