第4話 芸術家はマシュマロの沼に沈む

 芸術棟へと続く渡り廊下で、私は人生最大のモテ期――もとい、物理的な圧迫期を迎えていた。

 右腕には、生徒会長の西園寺玲華さいおんじれいか様。

 左腕には、天才科学者の氷室雫ひむろしずく先輩。

 この学園のツートップが、移動しながらも、私の両腕をそれぞれ抱き込み、自分の所有物だと主張して譲らないのだ。


「……ふわり。もう少し右に重心をかけなさい」


 玲華様が、私の右腕をご自身の豊かな胸に押し付けながら言う。

 その顔は、真剣そのものだ。けれど、やっていることはただの痴女、もとい甘えん坊である。彼女は私の肩に顎を乗せ、歩くたびに私の匂いをスゥーッと吸い込んでいた。


「これでは充電効率が悪いわ。もっと密着して」

「これ以上は無理です! 歩けません!」

「なら私が背負って運ぼうか? そうすれば、君の胸部と腹部の柔らかさを全背中で感じ続けられる」

「却下です!」


 玲華様の提案に戦慄していると、左側から冷ややかなツッコミが入る。


「非効率的だ、西園寺。歩行運動はノイズになる」


 雫先輩は、私の左腕の二の腕部分を、もにゅもにゅとリズミカルに揉んでいた。

 彼女の指使いは独特だ。親指と人差指で輪を作り、私のお肉の弾力と復元速度を確かめるように、絶妙な力加減で圧迫してくる。


「今は静止状態でのデータが欲しい。……ふわり、ここで止まりたまえ」

「急がないとカレン様が暴れてますよ!?」

「構わん。この指に伝わる反発係数……まるで赤子の頬と高級大福のハイブリッドだ。この感触だけで、私の脳内のβ波が消え失せていく……」


 雫先輩の眼鏡が、怪しく曇る。

 彼女もまた、私の二の腕に頬ずりを始めた。ひんやりとした眼鏡のフレームが当たってくすぐったい。


「あの、お二人とも! 重いです! 暑いです!」

「我慢なさい。これは対カレン用のエネルギー充填よ」

「そうだ。カレンのヒステリー音波に耐えるには、我々の精神障壁(メンタル)を強化しておく必要がある」


 さっきまで言い争っていた二人は、示し合わせたように、同時に私をギュッと挟み込んだ。


 ――むにゅぅぅぅ。


 私の身体が、サンドイッチの具のように圧縮される。

 右からは玲華様の優雅な体温が。左からは雫先輩の知的な体温が。

 両側から同時にハグされたことで、私の身体によって分泌される「幸せ成分」も二倍になったらしい。


「「……んっ……」」


 二人の天才令嬢が、同時に艶っぽい声を漏らした。

 玲華様の瞳がとろんと潤み、雫先輩の口元がだらしなく緩む。


「……たまらないわ。両側から圧迫すると、マシュマロの密度が高まって……ああ、吸い付くような粘度が……」

「……同意する。接触面積が増大し、オキシトシンの経皮吸収率が跳ね上がった……。ダメ、思考が……白く塗り潰されていく……」


 もはや、ただの変態である。

 廊下ですれ違った生徒たちが、壁際に張り付いて震えていた。

 無理もない。

 鬼の生徒会長と、氷の科学者が、平凡なドジっ子を挟んで「はふぅ……」「んぁ……」と骨抜きになっているのだから。

 これは学園の権威と存続に関わる重大インシデントでは?


「さ、さあ! 着きましたよ!」


 私は必死に足を動かし、どうにか芸術棟の美術室前まで二人を引きずってきた。

 扉の向こうからは、ガシャン! バリン! という破壊音と、悲痛な叫び声が聞こえてくる。


「なぜ描けないの! 私の才能は枯れたの!? こんな世界、灰色よ! 滅びればいいわ!」


 カレン・デュ・ポンパドゥール様。

 フランス貴族の血を引く、世界的な現代アーティスト。

 その彼女が今、極度のスランプで荒れ狂っている。


「……やれやれ。あのヒステリー女め」


 玲華様がようやく、私の腕から嫌々ながら離れた。その顔には、先ほどまでの蕩けた表情はなく、いつもの冷徹な仮面が戻っていた。ただし、私のマシュマロ刺激で「幸せホルモン」を補充したおかげか、肌艶は最高に良い。


「行くわよ、ふわり。君が盾になりなさい」

「えっ、盾!?」

「大丈夫だ。君の皮下脂肪マシュマロなら、飛んでくる絵筆やパレットナイフ程度、全て弾き返す」


 雫先輩も名残惜しそうに私の二の腕を離し、眼鏡を押し上げた。


「さあ、突入だ」


 言うが早いか、玲華様が扉を蹴り開けた。

 バンッ!!


「お静かになさい、カレン!」


 室内は、地獄絵図だった。

 床にはキャンバスが散乱し、極彩色の絵の具が壁や天井にまで飛び散っている。

 その中央に、絵の具まみれの金髪の美少女が立ち尽くしていた。

 カレン様だ。

 フリルのついた豪奢なドレスを絵の具で汚し、手にはへし折った筆を握りしめている。

 その瞳は、深淵を覗き込んだように暗く、絶望に満ちていた。


「……玲華? それに、理科室の変人まで……」


 カレン様がゆらりと振り返る。


「何の用? 私を笑いに来たのね? 『描けなくなった天才』の末路を見物に?」

「被害妄想も大概にしなさい。貴女の騒音で、学園の業務に支障が出ているのよ」

「うるさいわね! 凡人に私の苦しみがわかってたまるもんですか!」


 カレン様が叫び、手近にあった絵の具缶を投げつけてきた。

 ひっ。

 私は反射的に身を縮こませた。

 しかし、その缶は私のマシュマロボディに当たる前に、玲華様が素手でパシッとキャッチした。さすが文武両道のスパダリ生徒会長。


「……話にならないわね。ふわり、出番よ」

「へ?」


 玲華様は私の方を向くと、ニヤリと笑った。


「行って、抱きしめてあげなさい」

「ええっ!? あんな殺気立ってる人にですか!?」

「彼女の脳内は今、コルチゾール(ストレスホルモン)で満たされている。君の接触による強制ドーパミン投与だけが、唯一の治療法だ」


 雫先輩が科学的(?)に解説しながら、私の背中をドンと押した。


「わ、わわっ!」


 私はたたらを踏んで、カレン様の目の前へと飛び出した。

 ここでドジっ子属性が発動する。

 足元の絵の具チューブを踏みつけ、つるりと滑る。

 私の身体マシュマロボディが宙を舞う。


「あ――」


 そして私は、真正面からカレン様にダイブした。

 激突。

 いや、着地。

 私の柔らかいお腹を、カレン様の細い身体が真正面から受け止めた。


「むぎゅっ」


 そんな音がして、私たちは絵の具まみれの床に重なって倒れ込んだ。

 私が上、カレン様が下。

 至近距離で、金髪碧眼の美少女と目が合う。

(ああ、お顔が良い)

 カレン様の瞳が、驚愕に見開かれていた。

 そして、私の胸やお腹のが、彼女の身体を優しく、けれど逃れようもなく包み込んでいく。


「……な、なに……これ……沼?」


 カレン様の震える声が聞こえた。

 私の体温と柔らかさが、彼女の尖った神経に浸透していく瞬間だった。

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