第2話 俺は魔法使いなんだよと叔父さんは嘯いた
その後すぐに駆けつけた救急隊に救急車へと乗せられ、緊急検査のために病院へ星奈が運ばれたあと、私と叔父さんは、叔父さんの車で患者家族として病院に向かった。
私たちは病院の廊下で静かに星奈が戻って来る時を待っていた。
「まずは――お姉ちゃんは良く頑張った。偉い。お姉ちゃんのお陰で、星奈ちゃんは助かった。だからこの後なにがあったとしても絶対に自分を責めたり、自分が悪いとか考えないこと」
「緑郎さん、もしかして慰めてくれてる?」
「事実を述べている。医者としてな」
「ふーん」
「患者家族として言うなら、『ありがとう』だ。可愛い姪を助けてくれてありがとう。君は立派なお姉ちゃんだ」
「ふふん、そうでしょ? 私って結構できる子なんだから」
「そうだな、とってもできる子だ」
叔父さんはそう言ってなにか物思いにふけるように天井を眺め始めた。
それを見て、今なら話ができるかもと思った。
「ねえ緑郎さん、星奈の様子がちょっと変だった気がするの」
「変?」
「星奈が起き上がった時ね……噛んだの、私を」
唇、と言わなかったのは、その行為を私と星奈だけの秘密にしたかったからだ。
「せん妄状態だったのかもな。極限まで分かりやすく噛み砕けば寝ぼけているとも言う。なにせ心臓が一度止まっていたところを起こされたのだから、ワケのわからない言動をすることは十分ありうるんだ」
「星奈が星奈じゃないみたいだった」
叔父さんは缶コーヒーをあけてグイッと飲む。
「お前はそう言うけどな。そもそも蔵本星奈とは何か……」
と、叔父さんはねっとりした声でろくろを回すようなポーズを始める。
「蔵本星奈が何者かを決められるのは他の誰でもない蔵本星奈だけだ。それ以外の人間が考える蔵本星奈とは、大なり小なりその人間によるバイアスが混じる。すなわち、君が『星奈が星奈じゃないみたいだった』と感じた場合、それは君の知らない蔵本星奈を君が垣間見てしまっただけという可能性もある」
「あの娘もいきなり倒れて目を覚まして頭の中がめちゃくちゃになっていたから、行動がめちゃくちゃになっていただけって言うの?」
「違うな。行動がめちゃくちゃになっていたんじゃなくて、元から君に噛みつきたかった可能性だってある」
「星奈がお姉ちゃんを噛むなんて! ありえないわ!」
「あくまで可能性の話だよ、落ち着け」
叔父さんの言う通りだ。あくまで仮の話だ。もちろんどこを噛まれたって良い……ああでも優しく噛んで欲しい……けど消えないような痕もつけてほしい……!
「そんな、困っちゃうわ……私どうしたら……」
「良いかいお姉ちゃん。急に心臓が止まって人工呼吸と心臓マッサージで一命をとりとめたと言っても、星奈ちゃんの身体にダメージが残っている可能性は高いわけだ。特に脳」
「……えっ、なに?」
「脳へのダメージに伴う人格の変化はありうる。だがいくら変わっても星奈ちゃんは星奈ちゃんだ」
「あっ、そう。そうね……でも星奈が星奈ならどうなっても私の妹よ。お姉ちゃんが守ってあげる」
「その答えが聞きたかった。君は本当に良いお姉ちゃんだな」
「そうよ!」
私は胸を張る――けど虚勢だ。
でも本当に良いお姉ちゃんなら――。
「本当に良いお姉ちゃんならば星奈をこんな目に遭わせなかったという顔をしてるな」
「なんで分かるのよ」
叔父さんは両手を広げて肩を竦める。
「有葉緑郎は魔法使いだからな」
こっそりおもちゃを買ってくれた時も、お父さんが死んだ時も、コンテスト直前で星奈が神経質になっていた時も、叔父さんは私たちにそう言った。
「また言ってる。緑郎さんはお医者さんでしょ」
「俺にとって医師というのは代替可能な
「それは初めて聞いた。実はお医者さんになりたくなかったの?」
「昔はそうだった。今は違う。なにせ魔法使いをやるにも金がかかるからね」
「ふーん……魔法使いなら、魔法で星奈を治してくれる?」
緑郎さんはニッコリと笑う。
「良いよ。そして家族相手だからお代は結構だ」
「そう、ありがとう」
「ただし、手順を教えてあげるから君がやりなさい。本当に魔法が必要な時にはね」
「え?」
「魔法は誰がかけるかも重要なんだよ」
「何言ってるの?」
緑郎さんが私の問に答えようとしたちょうどその時だった。
「お姉ちゃ~ん! 私入院だって~!」
検査室から現れた元気な姿の星奈が私に向けて手を振っていた。
「星奈! 入院ってどういうこと!?」
「こらこら、二人とも病院内ではお静かに、だ。お母さんに言いつけるぞ」
「げっ、それは勘弁ね」
「ごめ゛ん゛な゛さぁい……」
私たち姉妹は身を寄せ合って震え上がる。
「精密検査の為に星奈ちゃんは入院になるのかな?」
「叔父さんの言う通り! お医者さんからそう言われました。今急いで個室用意してるんだって」
「成る程……姉貴が来たら色々説明しなきゃだな」
丁度その時だった。
「二人とも、大丈夫!?」
お母さんが駆けつけてきた。
*
救急外来のドクターが他の患者に追われている間に、私たちは星奈の病室に移動した。そして星奈は病室に寝かされてお母さんから質問攻めにあっていた。
「星奈ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよぉ! 機械がガンガンしたり、体中グリグリされて大変だっただけ!」
「お母さんの事分かる?」
「お母さんはお母さんだよ~」
「今日が何月何日とか、住所とか、お母さんの名前とか言える?」
星奈は固まる。
「お母さん、星奈だったら日付と住所は元気な時でもちょっと怪しいことあるわ」
「えっと……えっと……あれ? えっと――お母さんの名前は瑠奈! 瑠奈だよぉ!」
大正解。蔵本姉妹の母の名前は蔵本
「一応……大丈夫かしら……?」
「それは分からない。今は救急外来しか開いてないから精密検査は明日の朝一番だ。ひとまず命に別状はないし、ちょっと待ってあげなよ姉貴。この後、救急外来の先生から説明もあるだろう」
「そうね、医療のことは疎いから……緑郎の言う通りかしら」
「私も星奈に付き添って良い?」
「それは駄目です。ちゃんと学校に行きなさい」
「そんなぁ……」
それからお母さんは元気そうな星奈の顔をじっと見て、ほっぺに触って、首を傾げる。分かる、納得がいかないんだよね。
「それにしても……お姉ちゃんが見た時は本当に心臓が止まって……いたのよね? 私まだ信じられないの」
「そうみたいだよ。急にふわーっとして気づいたらお姉ちゃんが……」
あっ、星奈が頬を赤らめている。大丈夫よ星奈、あなたのファーストキスは小学生の時に奪っているから今更恥じらうことなんてなにもないわ。
「うう……うっ……お姉ちゃんあ゛り゛がと゛う゛~~~~~!!!!」
星奈が私に抱きついてくる。元からピアノを軽々持ち上げる力持ちなので少し苦しいが、私はお姉ちゃんなので勿論平気な顔で抱き返す。
そして頭を撫でる。至福の瞬間だ。
「むしろ生きててくれてありがとうね……」
真っ先に私にお礼なんて……やっぱり良い子だ。世界一の、宇宙一の、妹だ。
「あー、声がデカすぎる。星奈ちゃんもうちょっとボリュームダウンな」
「ごめ゛ん゛な゛さ゛い゛~!」
お母さんが深くため息をついた。
「緑郎、本当にありがとね。連絡くれて助かったわ」
「姉貴も忙しいんだろ、気にするなよ」
検査が終わってからは、星奈も普段の星奈の雰囲気に戻っている。
妙な事が起きた、というのは気のせいだったのかもしれない。
「――あ、あ、叔父さんも、ありがとうございます!」
叔父さん?
今、緑郎さんの名前も呼べなかった?
やっぱり――
「なあに、困ったときは何時でも呼んでくれ。緑郎叔父さんは君たちの味方だからね」
「きゃーっ! かっこいい~!」
――やっぱり、無邪気に笑う星奈を見ていると、私は何も言えなかった。
「それでなんだけど、緑郎。これからの話していい?」
「勿論だ、聞かせてくれよ姉貴」
「お見舞いとか付き添いがあるけど、仕事に穴をあけるわけにはいかないから……」
大人が何やら難しい話をしはじめた。
その間に星奈は私の隣に座る。
「ねえ、お姉ちゃん」
「どうしたの?」
星奈は私の腕をぎゅっと掴んで子供みたいに甘えた声を出す。
「今晩、一緒に寝たいなあ」
そう言って星奈は、自分の唇を舐めて微笑んだ。
子供のする表情じゃない。
「もう……」
赤い舌が揺れる。大人には見えないような角度で。
「えっ、お母さんは?」
お母さんたちにそれは見えない。
「お母さんはだめ~!」
「ははは、親離れだな」
「も、もう……姉離れできてないんだから」
丁度その時だった。
「蔵本星奈さんのご両親でしたか?」
救急外来の看護師さんだ。
「叔父です」
「母です」
「お二人にいくつか説明したいことと確認したいことがあるのでお時間いただけますか?」
すぐに大人たちは部屋を出ていって、私たち二人だけになった。
「お姉ちゃん」
「なによ」
「帰っちゃうの?」
「そうね、そうなるわ」
「帰るまで、ここに居て」
星奈は布団をあげてベッドをパンパンと叩いた。
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蔵本星奈を愛してる~何故、私が世界で一番可愛い妹に身も心も未来も捧げるに至ったか~ 海野しぃる @hibiki
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