第3話

この出来事以降も、二人の日常は変わらなかった。


女は毎日変わらず、無表情でショッピングモールのレジに立っている。客は相変わらず鈍く、苛立ちを募らせるだけの存在だった。女の態度が冷たかろうと無愛想だろうと、客は気にも留めず、くだらない文句や要求を投げつける。淡々と商品をスキャンし、金額を告げ、小銭を受け取る。その間、女は胸の奥底に苛立ちが積もるのを感じ続けていた。


男も相変わらず配信を続けていたが、その攻撃的な言葉から以前ほどの鋭さは消えていた。差別的な暴言も虚勢に過ぎないことが露呈してしまったせいか、視聴者からの嘲笑や罵倒に言い返す声も、徐々に力を失っているようだった。配信が終われば、男は電源の切れたパソコンの前で何時間もぼんやり座り込んでいるだけだった。


ある晩、女は帰宅後、しばらく自室のベッドに寝転がったまま動かなかった。壁越しに男が咳をするのがかすかに聞こえる。女はぼんやりと天井を見つめ、その微かな音に意識を集中させた。やがてその音が聞こえなくなると、女は不思議な焦燥感に駆られ、何も考えず立ち上がった。


その日から、女は男の部屋へ頻繁に通うようになった。最初の数回は、まだ気まずさや苛立ちを引きずっていたため、男の部屋の前で躊躇していたが、いつからか何も考えずに玄関のドアを開けて入るようになっていた。廊下は薄暗く、女の足音だけがやけに響く。男はいつも鍵をかけていなかった。女がノックをすることもなく無言で扉を開けても、男は驚くこともなく、いつもぼんやりとした目で彼女を迎え入れた。


男はいつものようにパソコンの前に座っていたが、女が入ってきても驚きも反応もなく、ただ少し身体を震わせただけだった。部屋には空のカップ麺の容器やペットボトルが無造作に散乱し、ゴミ袋は隅に積み上げられている。女はそれらを避けるように歩き、部屋の中央付近に黙って腰を下ろした。


二人は互いに何も言わなかった。男は時折ちらちらと女の方を気にするような視線を送ってきたが、女は無感情のまま、膝を抱えた姿勢で壁の一点をじっと見つめているだけだった。沈黙が部屋を支配し、気まずい雰囲気が広がっている。それでも彼女は動かなかった。男が何かを言い出すのを待っているわけでもなく、ただ自分の内に積もる鬱屈と苛立ちを静かな部屋の空気の中で落ち着かせたかった。


さらに言えば、自分の写し鏡のように感じていた男の態度を通して自分の歩み寄りにどう反応するのかを確認したがっていた。


やがて男が諦めるように、パソコンの電源を落とし、椅子からゆっくり立ち上がった。女はそれを横目で見ながら、小さく溜息を吐いた。男は無言でベッドの端に座り、ためらいがちに彼女の方を見つめていたが、女は動かなかった。その微かな媚びや期待を含んだ視線が胸を不快にざらつかせたが、女は自分の感情に蓋をするようにただ黙っていた。自分もまた、男に対して同じような行動を取っていることを自覚していたからだ。


結局、男は何も言わず、ただ諦めたようにベッドに横たわった。女はそれを確認すると、やっと身体を起こし、無表情のまま男の隣に腰掛けた。二人の間には微妙な距離があり、互いに触れることも言葉を交わすこともなかった。女は静かに天井を見上げ、自分がなぜここにいるのかという疑問をあえて無視しながら、苛立ちが少しずつ胸から消えていくのを静かに待っていた。


休日になると、この静かな習慣はさらに時間を伸ばして続いた。二人は昼から薄暗い男の部屋で横たわり、何時間も同じ天井の染みを見つめ続ける。時折、外の通りを車や人が通り過ぎる音が聞こえるが、まるでそれは別の世界の音のように感じられた。薄暗い室内で二人だけが世界から取り残され、時間も空気も滞ったまま腐敗しているようだった。


そんな日々が繰り返されるうちに、部屋には二人が暮らすことによるわずかな生活感が漂い始めた。女は男の視線にさえ慣れ、男は女の無表情な沈黙をただ受け入れている。だが、決して互いに踏み込むことはなく、その距離は決定的に埋まらないままだった。触れ合うこともなく、ただそばにいるだけの日常がいつしか静かに定着していた。


散らかったゴミも、徐々に片付いていった。床に堆積していたゴミは全て掃除され、その空いた空間に、女のために小さなクッションが置かれた。


ある晩、窓から差し込む月明かりが床を白く照らしたとき、男はふと隣で横たわる女の手にそっと自分の手を重ねた。これまで一度も試みることのなかったささやかな接触だった。その瞬間、女は男の手の温もりを感じ取るが、すぐにそれを不快なものとして振り解いた。


女は顔を横に向け、男の表情を見た。その顔には深い落胆と空虚が滲み出ていた。男の瞳は虚ろで、拒絶された自分の手をぼんやりと見つめている。その無抵抗な弱々しさに触れた途端、女の胸に説明のつかないざらついた衝動が湧き上がった。


身体が熱くなり、同時に得体の知れない強い感情が激しく胸を締めつける。自分でも抑えきれないまま、女はその衝動に突き動かされるように男に覆いかぶさり、乱暴に唇を押し付けた。


触れ合った唇の熱が嫌悪にも似た鋭さで伝わってきた。それは愛情でも欲望でもなく、彼女自身にも説明のつかない、ただひたすら衝動的な行為だった。苛立ちや焦りや孤独が胸の中で複雑に絡まり合い、感情は制御できないまま激しく暴れまわった。


唇を離した直後、女は自分が行った行為への激しい自己嫌悪と、無抵抗なままそれを受け入れた男に対する苛立ちが一気に噴き上がった。その感情を持て余すように、女は勢い任せに男の顔を殴った。拳が頬に当たる鈍い感触が生々しく伝わり、手に鋭い痛みが広がったが、それさえも彼女にとっては遠い出来事のように感じた。


殴られた男は無言で目を閉じ、再び天井を見つめ直した。

女もまた、何も言わずその横に仰向けに横たわり、自分の拳に残る痛みと混乱した感情を無視するように視線を天井へ向けた。


部屋は再び沈黙に満たされ、二人はただそこに横たわり続けた。

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罵倒と接吻 てててて! @trkbt10

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