番外編「初めてのデートは波乱万丈」

「リ、リオ! 大変です! パイが、パイが燃えています!」


「なにっ!?」


 ミモザ村の小さな家(元薬草店)のキッチンから、ルナの悲鳴と、何かが焦げる香ばしい匂いが漂ってきた。

 今日は、二人が婚約してから初めての休日。

 ルナは朝から腕によりをかけて、リオネスのためにアップルパイを焼いていたのだ。

 リオネスが慌ててキッチンに駆けつけると、オーブンから黒い煙がもくもくと上がっている。


「落ち着け、リナ! まずは火を……うわっ!」


 リオネスがオーブンの扉を開けた途端、熱風が彼の顔面を直撃した。

 彼の美しい金髪が、チリチリと数本焦げる。


「あ、ああ……王子様の髪が……!」


「王子じゃないって言ってるだろ……。それより、パイだ!」


 なんとか火を消し止め、オーブンから取り出されたアップルパイは、表面が炭のように真っ黒になっていた。


「うう……せっかく、リオに美味しいって言ってもらいたかったのに……」


 がっくりと肩を落とすルナに、リオネスは苦笑しながら言った。


「ははは、仕方ないさ。これも僕の不運のせいだろう。大丈夫、焦げたところを取れば食べられるよ」


「でも……」


「それより、せっかくの休日なんだ。気を取り直して、どこかに出かけないか? 街まで行って、何か美味しいものでも食べよう」


「デート……ですか?」


 ルナの顔が、ぽっと赤くなる。


「そうだ。僕たちの、初めてのデートだな」


 リオネスの提案に、ルナはこくりと頷いた。

 失敗したパイのことは残念だったが、彼と出かけられるのは、素直に嬉しかった。


 ***


 というわけで、二人は隣町まで、デートに出かけることになった。

 ミモザ村から隣町までは、馬車で一時間ほどの距離だ。

 リオネスが手綱を握り、ルナはその隣に座る。


「いい天気ですね」


「ああ。絶好のデート日和だな」


 空は雲一つなく晴れ渡り、穏やかな風が吹いている。

 これなら、何も起こらないかもしれない。

 そんなルナの淡い期待は、出発してわずか十分で打ち砕かれた。

 ゴロゴロゴロ……。

 さっきまであんなに晴れていた空が、急に真っ黒な雲に覆われ、土砂降りの雨が降り出したのだ。


「……」


「……今日も平常運転だな」


 リオネスが、遠い目をしてつぶやいた。

 ずぶ濡れになりながら、二人はなんとか隣町にたどり着いた。

 まずは雨宿りのために、一軒のカフェに入る。


「温かいココアを二つ、お願いします」


 冷えた体を温かいココアで温めながら、二人は窓の外の豪雨を眺めた。


「すみません、私のせいで……」


 ルナが申し訳なさそうに言うと、リオネスは笑って首を振った。


「違うって。これは僕のせいだ。でも、君と一緒なら、雨宿りもなんだか楽しいな」


 そう言って微笑む彼の笑顔に、ルナの心も温かくなる。

 雨が小降りになった頃、二人は街を散策し始めた。

 市場には珍しい果物や雑貨が並んでいて、見ているだけでも楽しい。


「わあ、綺麗な髪飾り……」


 ルナが、一つの露店で足を止めた。

 そこには、青い石がついた、星の形をした髪飾りが置かれていた。

 リオネスの瞳と同じ、綺麗な青色だ。


「気に入ったのか? よし、僕が買ってあげよう」


 リオネスが財布を取り出そうとした、その時。

 どこからか走ってきた犬が、露店のテーブルクロスに突進した。

 ガッシャーン!

 テーブルの上の商品が、全て地面に散らばってしまう。


「ああ! 僕の商品が!」


 店主の悲鳴が響く。


「す、すみません! すぐ拾います!」


 二人は慌てて、他の客たちと一緒に商品を拾い集めた。

 幸い、壊れたものはなかったが、ルナが欲しがっていた髪飾りは、どこかへ転がって見つからなくなってしまった。


「うう……やっぱり、私たちがおとなしくデートなんて、無理だったんでしょうか……」


 すっかり落ち込んでしまったルナ。

 パイは焦がし、豪雨に見舞われ、髪飾りは失くしてしまう。

 これでは、波乱万丈すぎる。


「リナ」


 リオネスは、そんな彼女の手を取ると、真剣な顔で言った。


「僕は、すごく楽しいよ」


「え……?」


「パイが焦げたのも、ずぶ濡れになったのも、髪飾りがなくなったのも、全部僕の不運のせいだ。でも、そのたびに君が心配してくれたり、一緒に慌ててくれたりするのが、なんだか嬉しいんだ。君のいろんな表情が見られるから」


「リオ……」


「それに、デートはまだ終わってないだろう? 最後に、とっておきの場所に連れて行ってあげる」


 そう言うと、リオネスはルナの手を引いて、街の外れにある丘へと向かった。

 雨上がりの丘の上は、空気が澄み渡っていた。

 そして、二人の目の前には、巨大な虹が、空いっぱいに架かっていた。


「わあ……!」


 ルナは、思わず息をのんだ。

 七色の光の橋が、まるで二人を祝福しているかのようだ。


「すごいだろう? 僕が通ると、雨が降ることが多いけど、その分、綺麗な虹が見られる確率も高いんだ」


 リオネスが、少し得意げに言った。


「綺麗……。こんなに大きな虹、初めて見ました」


 ルナは、うっとりと空を見上げる。


「リナ」


 リオネスは、ポケットから何かを取り出した。


「髪飾りはなくなってしまったけど、代わりにこれを」


 彼の手のひらの上にあったのは、道端に咲いていた、一輪の小さな青い花だった。

 彼はその花を、そっとルナの髪に挿した。


「……私には、宝石の髪飾りより、こっちの方がずっとお似合いだ」


 照れたように言うリオネスに、ルナの胸は、幸せでいっぱいになった。

 確かに、トラブルだらけのデートだったかもしれない。

 でも、どんな高級なレストランで食事をするより、どんな高価なプレゼントをもらうより、今この瞬間の方が、ずっと幸せだと感じた。


「ありがとうございます、リオ。最高のデートでした」


 ルナが微笑むと、リオネスも嬉しそうに笑った。

 初めてのデートは、やっぱり波乱万丈。

 でも、その先には、いつも虹が架かっている。

 不運と幸運が織りなす二人の毎日は、これからもきっと、こんな風に続いていくのだろう。

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