第2話「嵐を呼ぶ王子、派手に転ぶ」

 王子が村にやってくる。

 その報せは、ミモザ村を活気づかせた。

 村人たちは朝からそわそわと落ち着かず、めかしこんだり、道の掃除をしたりと大忙しだ。

 一方、リナだけは全く逆の意味で落ち着かなかった。


 どうしよう、どうしよう……!


 彼女は薬草店のカウンターの下で、子犬のように小さく震えていた。

 王子が来る。

 不運王子が。

 私のせいかもしれない不運をまとった王子が。


 お願いだから、この店の前を通りませんように……! 素通りしてください……! なるべく遠くを歩いてください……!


 心の中で必死に祈りを捧げる。

 いっそのこと、今日一日は店を閉めてしまおうかとも考えた。

 しかし、急な腹痛を訴える村人がいつ来るかもしれないと思うと、そうもいかない。

 薬師としての責任が、彼女の逃げ道を塞いでいた。


 外がにわかに騒がしくなる。

 村人たちの歓迎の声が聞こえてきた。

 どうやら、王子様ご一行が到着したらしい。

 リナは息を殺し、カウンターの陰からそっと外の様子をうかがった。

 村の中央通りを、数人の騎士に護衛された一団が進んでくる。

 その中心にいる、ひときわ目を引く青年が王子なのだろう。

 陽光を弾く金色の髪に、空を映したような青い瞳。

 物語に出てくる王子様そのものといった、非の打ち所のない美貌。

 しかし。


「わっ!」


 王子が村の子供に笑顔で手を振った瞬間、彼の足元にあった小石が、なぜか勢いよく跳ねた。


「うわっ!」


 小石は近くにいた騎士の兜に見事に命中。

 カーン! と間抜けな音を立てて、騎士は目を回している。


「す、すまない!」


 王子が慌てて騎士に駆け寄ろうとすると、今度はどこからか飛んできた鳥のフンが、彼の輝く金髪に見事に着弾した。


「……」


「……」


 周囲が、なんとも言えない沈黙に包まれる。


 う、うわああああ……!


 リナは心の中で絶叫した。

 噂は本当だった。

 いや、噂以上かもしれない。

 あの王子様、存在そのものが不運の塊だ。

 そして、もしかしたら、その原因の一端は……。


 私のせいかも……! ごめんなさい、ごめんなさい!


 もはやパニック状態のリナ。

 しかし、当の王子はというと。


「ははは、今日も絶好調だな!」


 供の者に髪を拭かせながら、彼はあっけらかんと笑っていた。

 その笑顔は太陽のように屈託がなく、見ているこちらの毒気を抜いてしまう。


 な、なんて人なの……。


 呆気にとられているリナをよそに、王子ご一行は村長に案内され、村の施設を見て回り始めた。

 リナは心底ほっとした。

 このまま、自分の店には気づかずに通り過ぎてくれるだろう。

 そう、思った、矢先だった。


「おお、ここがリナさんの薬草店か。腕のいい薬師さんで、村の者も皆、助かっておるのです」


 村長の大きな声が聞こえた。

 やめて! 村長さん、紹介しないで!

 リナの心の叫びは届かない。


「ほう、薬草店が。それは興味深いな」


 王子――リオネスが、にこやかにこちらへ向かってくる。

 金色の髪がキラキラと輝き、青い瞳が真っ直ぐに店を見据えていた。

 まずい。

 まずいまずいまずい!

 リナが硬直している間に、リオネスは店の入り口までやってきた。


「こんにちは。少し、見せてもらっても……」


 彼がそう言いかけた、その瞬間だった。

 ガッシャーン!

 世界がスローモーションに見えた。

 リオネスが、店の入り口に置かれていた薬草の看板に足を引っ掛けたのだ。

 看板は派手に倒れ、王子は綺麗な放物線を描いて宙を舞い――店の前に積んであった空の薬瓶の山に突っ込んだ。

 けたたましい音と共に、ガラスの破片が飛び散る。


「り、リオネス殿下!?」


「ご、護衛は何をしている!」


 騎士たちの悲鳴と怒号が響き渡る。

 村人たちは顔面蒼白だ。

 リナも、目の前で起こった惨状に、思考が完全に停止していた。


 あ……あ……。


 私のせいだ。

 私がここにいたから。

 私の呪いが、王子様に……!


「い、いったた……。また派手にやったな……」


 ガラスの山の中から、王子がむくりと身を起こした。

 幸い、顔に怪我はないようだが、彼の足はありえない方向に曲がっている。


「殿下! おみ足が!」


「うーん、これは……折れたかな。ははは」


 笑い事ではない。


「だ、誰か! すぐに医者を!」


 騎士が叫んだ時、リナはようやく我を取り戻した。


「わ、私が……! 私がやります!」


 震える声で叫び、カウンターから飛び出す。

 今はパニックになっている場合じゃない。

 薬師として、怪我人を放っておくわけにはいかない。

 たとえ、その原因が自分にあったとしても。


「き、君は?」


「この店の者です! すぐに手当てをしますから!」


 リナは覚えている限りの知識を総動員し、騎士たちに指示を飛ばした。


「誰か、添え木になる丈夫な板を! それから綺麗な布と水を! 動かさないでください、下手に動かすと悪化します!」


 普段は消え入りそうな声しか出さないリナが、テキパキと指示を出す姿に、村人たちも騎士たちも驚いたように動き出す。

 リナは王子の足元に駆け寄り、恐る恐るその足に触れた。

 骨折はしているが、幸い傷は深くない。

 これなら、応急処置でなんとかなる。


 ごめんなさい、ごめんなさい、王子様……!


 心の中で何度も謝罪しながら、リナは必死に治療に集中した。

 痛み止めの効果がある薬草を噛み砕いて傷口に当て、用意された板で足を固定する。

 その手際は、驚くほど確かだった。


「……すごいな、君」


 不意に、頭上から感心したような声が降ってきた。

 見上げると、リオネスが痛みに顔をしかめながらも、面白そうにリナを見つめている。


「君のおかげで、痛みが少し和らいだ気がするよ。ありがとう。名前は?」


「……リナ、です」


「リナか。綺麗な名前だ」


 屈託なく笑う王子に、リナは罪悪感で胸が張り裂けそうだった。


 笑わないでください。あなたのその怪我は、きっと私のせいなんです……!


 そう叫びだしたい衝動を、リナは必死にこらえた。

 こうして、追放された元聖女と、王国一の不運王子は、最悪としか言いようのない形で出会ってしまったのだった。

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