第3話「不運は僕の通常運転です」

「というわけで、足が治るまで、しばらくこの村に滞在させてもらうことになった」


 薬草店の奥にある、リナの住居スペース兼治療室。

 簡素なベッドに横たわったリオネス王子は、実に晴れやかな笑顔でそう宣言した。


「……は?」


 リナは、手に持っていた薬草の束をぽろりと落とした。


「な、何を、おっしゃって……? 王都にお戻りになるのでは?」


「この足じゃ、馬車に揺られるのも一苦労だからね。幸い、ここの空気はいいし、君という腕の立つ薬師もいる。ここで療養するのが一番だろうと、皆も納得してくれたよ」


 にこやかに言うリオネスの後ろで、側近の騎士カイが深いため息をついている。

 彼の心労が透けて見えるようだった。


「そ、そんな……! 私なんかが、王子様の治療をだなんて、めっそうもありません! それに、ここにいたら、また私のせいで王子様に不幸が……!」


 リナは必死に首を横に振った。

 この人を一刻も早く自分から遠ざけなければ。

 これ以上、彼を不幸に巻き込むわけにはいかない。

 しかし、リオネスはきょとんとした顔で首を傾げた。


「君のせい? どうして?」


「それは……私が、その、呪われて……いえ、その、私が不運を呼ぶ体質だからです! だから、今回も……!」


 しどろもどろになりながらも、リナはなんとか説明しようとした。

 だが、リオネスはそれを聞くと、声を上げて笑い出した。


「ははは! なんだ、そんなことか! だとしたら、僕と君は同類だな!」


「へ……?」


「僕の不運は、今に始まったことじゃない。生まれた時からずっと、こんな感じなんだ。だから、今回のこともいつものこと。君が気にする必要は全くないよ」


 あっけらかんと言い放つリオネスに、リナは言葉を失った。


 この人、自分がどれだけ大変な目に遭っているか、分かっているのかしら……?


 あまりのポジティブさに、めまいがしそうだ。


「それに」


 とリオネスは続ける。


「君は不運を呼ぶどころか、幸運の女神様みたいじゃないか」


「こ、幸運の……女神様……?」


「ああ。君が手当てをしてくれたおかげで、あんなに痛かった足がもうずきずきしない。それに、君の調合してくれた薬草茶は、今まで飲んだどんなお茶より美味しい。これは僕にとって、とてつもない幸運だよ」


 真っ直ぐな青い瞳が、リナを射抜く。

 その瞳には、嘘やからかいの色は一切なかった。

 ただ純粋な感謝と好意が満ちている。


「あ……う……」


 真正面からそんな言葉を向けられた経験のないリナは、顔を真っ赤にしてうつむくことしかできなかった。

 心臓が、まるで自分の意志とは関係なく、早鐘を打っている。


 だめ、だめよ、私。勘違いしちゃだめ。


 彼は優しい人なのだ。

 だから、こんな私にも優しい言葉をかけてくれる。

 それに甘えてはいけない。

 私は、人に不幸をもたらす存在なのだから。

 リナは自分に強く言い聞かせ、ぎゅっと唇を結んだ。


「お、お薬の時間です。これを飲んで、ゆっくりお休みください」


 努めて事務的な声を作り、薬湯の入ったカップを差し出す。

 リオネスに触れないよう、細心の注意を払って。

 リオネスは素直にそれを受け取ると、こくりと一口飲んで、幸せそうに目を細めた。


「うん、やっぱり美味しいな。ありがとう、リナ」


「……」


 その屈託のない笑顔が、リナの胸をちくちくと刺した。


 ***


 リオネス王子のミモザ村滞在は、こうして半ば強制的に始まった。

 彼は本当に、リナが心配するほどあっけらかんとしていた。

 ベッドの上で安静にしていなければならないにも関わらず、彼は少しも退屈した様子を見せない。


「リナ、その薬草はなんていう名前なんだい?」


「これはカモミールです。安眠効果があります」


「へえ、いい香りだな。僕も手伝おうか?」


「結構です! お怪我人は大人しくしていてください!」


 リナが薬草を調合していると、ベッドから身を乗り出して興味津々に話しかけてくる。

 リナは心臓に悪いのでやめてほしかったが、無下にもできず、ぶっきらぼうに答えるしかなかった。

 食事の時もそうだ。

 リナが作った、質素な豆のスープと黒パンだけの食事を、彼は王宮のフルコースでもあるかのように美味しそうに食べた。


「美味しい! リナは料理も上手なんだな! 毎日こんなに美味しいものが食べられるなんて、僕は幸せ者だ!」


「……お口に合って、よかったです」


 褒められるたびに、どう返していいか分からず、リナは俯いてしまう。

 彼女は、幸せになるのが怖かった。

 優しくされることに慣れていなかった。

 いつかこの幸せが、自分の「呪い」のせいで壊れてしまうのではないかと、常に怯えていた。

 だから、リオネスの真っ直ぐな好意が、眩しくて、少しだけ怖かった。

 ある日の午後、リナが薬草を棚にしまっていると、不意にリオネスが真剣な声で言った。


「リナ。君は、どうしてそんなに自分を卑下するんだ?」


「え……?」


 振り返ると、青い瞳が心配そうにリナを見ていた。


「君は、自分が不運を呼ぶと言っていたけど、僕にはそうは思えない。君がこの村に来てから、村の人たちはみんな元気になったと村長が言っていた。君が作る薬は、どんな名医の薬より効く。それは、君に人を癒す力があるからじゃないのか?」


「そ、それは……」


「なのに、君はいつも何かに怯えているようだ。僕がここにいるのが、そんなに迷惑かい?」


 寂しそうに眉を寄せるリオネスに、リナは慌てて首を振った。


「ち、違います! 迷惑だなんて、そんな……!」


「じゃあ、どうして?」


「それは……」


 言いよどむリナの脳裏に、王都を追放された日の光景が蘇る。

 憎悪に満ちた民衆の声、父の冷たい目、セレーネの嘲笑。

『お前は呪われている』

 その言葉が、今も鎖のようにリナの心を縛り付けている。


「私は……私がいると、周りの人が不幸になるんです。だから……だから、王子様も、早くここから離れた方がいいんです……!」


 涙声でそう言うのが、リナには精一杯だった。

 リオネスは、そんな彼女を黙って見ていたが、やがて静かに口を開いた。


「分かった。君がそう言うなら、無理にとは言わない。だけど、一つだけ約束してくれないか」


「約束……?」


「僕の足が治るまで、僕のそばにいてほしい。そして、本当に君のせいで僕が不幸になるのか、この目で確かめさせてほしいんだ」


 それは、あまりにも突拍子もない提案だった。


「な、何を……」


「もし、本当に君のせいで僕が不幸になったら、その時は潔く王都に帰ろう。でも、もし何も起こらなかったら……その時は、君が自分を呪われているなんて言うのをやめてほしい」


 いたずらっぽく笑うリオネス。

 それは、彼の不運を賭けた、大胆な賭けだった。

 リナは、彼の真意が分からず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 不運は僕の通常運転です――そう言った彼の言葉が、リナの胸の中でこだましていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る