偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています

藤宮かすみ

第1話「追放聖女と薬草の香り」

「偽りの聖女め! お前のせいで国が穢れる!」


「出ていけ! 呪われた女!」


 投げつけられた石が、白い聖女の衣を汚していく。

 額をかすめた小石の鋭い痛みに、少女――ルナはぎゅっと目をつぶった。

 民衆の憎悪に満ちた声が、冷たい刃のように心を切り刻む。

 ほんの数日前まで、彼らはルナを「女神の再来」と呼び、その微笑みに救いを求めていたはずなのに。


「姉様……本当に残念ですわ。まさか貴女に、触れた者に不幸をもたらす呪いがかかっていたなんて」


 傍らで悲しげに眉を寄せるのは、義理の妹であるセレーネ。

 彼女の瞳の奥に、ほんの一瞬、嘲るような光が宿ったのをルナは見逃さなかった。

 全ては、彼女が仕組んだ罠だった。

 聖女の座を奪うための、巧妙で残酷な芝居。

 けれど、誰にもその声は届かない。


「聖女ルナ、お前を王都から追放する! 二度とこの地を踏むことは許さん!」


 国王の冷たい宣告を最後に、ルナの意識は途切れた。


 ***


 それから半年。


 チリン、と店のドアベルが軽やかな音を立てた。


「リナさん、いるかい?」


「はい、こんにちは、村長さん」


 呼ばれたルナ――今はリナと名乗っている――は、薬草をすり潰していた手を止め、柔らかな笑みを浮かべた。

 ここは王都から遥か遠く離れた、ミモザ村。

 追放されたルナが、名前も過去も捨てて流れ着いた場所だ。

 彼女は今、小さな薬草店の店主として、静かに暮らしている。


「腰痛の薬、そろそろ切れちまってね。いつものをお願いできるかい」


「もちろんです。よく効くように、新しい薬草を多めに調合しておきますね」


「いつもすまないねぇ。リナさんが来てくれてから、村のみんなの持病がずいぶん楽になったよ」


 村長の温かい言葉に、リナは胸がじんわりと温かくなった。

 王都では、呪われた女と罵られた。

 けれど、この村の人々は、彼女を「リナさん」と呼び、頼りにしてくれる。


 私なんかが、こんなに優しくしてもらっていいんだろうか……。


 幸せを感じるたびに、胸の奥がチクリと痛む。

 自分は呪われている。

 この優しさに甘えてはいけない。

 いつか、この村の人々にも不幸をもたらしてしまうかもしれないのだから。

 その恐怖が、リナの心には深く根付いていた。

 だから彼女は、人と触れ合うことを極端に避けていた。

 薬を渡す時も、お釣りを受け取る時も、決して手が触れないように細心の注意を払う。

 村人たちは、彼女を少し人見知りな娘だと思っているようだった。


 薬を調合し、村長に手渡す。

 その時も、そっとカウンターの上に包みを置いた。


「ありがとうよ。ああ、そうだ。リナさん、聞いたかい? 近々、王都から王子様が視察にいらっしゃるそうだ」


「王子様……ですか?」


 リナの心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 王都、王子様。

 それは彼女が捨てたはずの過去を、否応なく思い出させる言葉だった。


「なんでも、第二王子のリオネス様という方らしい。気さくで、民思いの立派な方だと聞くが……ちいとばかし、運が悪いのが玉に瑕だとか」


「運が、悪い……?」


「ああ。なんでも、王子様が歩けば雨が降り、大事な式典では必ず何かが壊れるとかで、『不運王子』なんて呼ばれてるらしい。ははは、気の毒なこった」


 村長は笑い飛ばしたが、リナの顔からは血の気が引いていた。


 運が悪い……? もしかして、それって……。


 自分の呪いのせいだったら、どうしよう。

 王子様ほどの高貴な方に、もし私の呪いが影響してしまったら。

 考えただけで、全身が凍り付くようだった。

 その日は一日中、リナの心は落ち着かなかった。

 薬草を棚から落としそうになったり、調合の分量を間違えそうになったり。


 店を閉めた後、リナは店の裏にある小さな庭に出た。

 カモミールやラベンダーの優しい香りが、ささくれた心を少しだけ癒してくれる。


「大丈夫……王子様がこんな辺境の、小さな薬草店に立ち寄るはずがないわ」


 自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。

 私はただ、この村で静かに、誰にも迷惑をかけずに生きていきたいだけ。

 それ以上の贅沢は望まない。

 夜空には、満月が静かに浮かんでいた。

 王都の城から見た月と同じ月のはずなのに、ミモザ村から見上げる月は、どこか優しく、穏やかに見える。


 どうか、この平穏な日々が続きますように。


 祈るように月を見上げ、リナはそっと目を閉じた。

 追放されたあの日、全てを失ったと思った。

 けれど、この村で新しい名前と暮らしを手に入れた。

 村人たちの温かさに触れた。

 もう、何もいらない。

 だから、どうか。

 私の呪いが、これ以上誰かを傷つけませんように。


 リナの切実な願いは、夜の静寂に溶けて消えていった。

 彼女はまだ知らない。

 数日後、その願いとは裏腹に、人生で最大級の「不運」が、嵐のように彼女の店先へやってくることになるのを。

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