第35話 西門の奴隷商へ
翌朝、日課のランニングをこなす。
今日はガルドの姿はなかった。彼は常に冒険者としてパーティーを組んでいる身だ。新しい依頼でも入ったのだろう。
アルス老とも、しばらく顔を合わせていない。
暗黒魔法や謎の事件簿について教えてくれた人物だ。再び会えたなら、もう少し踏み込んだ話を聞きたいと思っている。
もっとも、こうして走り続けていれば、そのうち顔を合わせるだろう。
ランニングを終えた後は、ミレニア大聖堂での公務に戻る。
聖典の朗読、夏の到来を告げる儀式、赤子の誕生に際しての祝福。
神力を使うのは、ほんの涙ほどだ。
だが、演出としての効果は絶大で、民たちはそれだけで心から喜んでくれる。
――その一方で。
同じ大聖堂に所属する司祭や、他の聖職者たちは、どこか距離を取っている。
理由ははっきりしないが、聖女ソルフィーユを快く思わない存在が、身近にいることは確かなようだ。
(王国側だけじゃない。聖庁の中にも、敵になり得る者がいる)
ふと、思考が別の方向へと流れる。
(最近、暗殺者が来ないな……)
聖女ソルフィーユの暗殺。
その瞬間にサイファの魂がこの身体に宿った。
宰相メルドラの真意はいまだ掴めていないが、聖女の存在が彼にとって邪魔であることは間違いない。
それにも関わらず、動きがない。
(私が返り討ちにしたことで、慎重になったか)
公務にも顔を出し、神力を使った治療も再開している。
誘い水としては、十分すぎるほどだ。
それでも、何のアクションもない。
(そろそろ仕掛けてきても、おかしくない頃合いなんだが)
もし再び暗殺者を送り込んでくるなら、次はこちらから踏み込むつもりだった。
だが、相手が動かない以上、こちらが焦る理由はない。
(……お前がそれを望むかは分からないが)
ソルフィーユの生前の願いは、どこまでも普通の少女のものだった。
平穏な日常。ささやかな幸福。
そこに、復讐という言葉は存在しない。
復讐を望んでいるのは、サイファだ。
だからいつか、宰相メルドラの悪事を暴き、然るべき形で裁きを下すつもりでいる。
だが、今はまだ早い。
証拠は足りず、王城に乗り込むには、この身体も、この器も、成長が追いついていない。
(今は――)
思考を切り替える。
(タイガー商会だ。まずは、目の前の敵を潰す)
王国。
聖庁。
その奥に潜む、見えない敵。
それらを意識しながらも、今は足元を見る。
静かに、確実に、手を伸ばせる場所から。
「公務、お疲れ様です。聖女様を一目見ようと、長蛇の列でしたね」
「……日に日に増えていますね」
聖女は聖レイディア教の顔である。
暫く体調不良で表舞台に出てこなかったのもあってか、聖女を見ようと大衆が押し寄せてきている。
昼食を取る間もなく、ようやく聖女としての公務を終えた頃には、すでにティータイムの時間になっていた。
リュミエルが差し出してくれたのは、一口サイズの焼き菓子。グランデル商会の品だ。
バラン公爵夫人のお墨付きもあり、貴族社会では妖精飴だけでなく、焼き菓子の評判も広がっているという。
日用雑貨も好調らしく、庶民の間での認知度もかなり高い。
「この後のご予定はございませんが、どのようにお過ごしになりますか?」
一息ついてから、私は口を開く。
「……西門にある、奴隷商へ行こうかと思います」
「危険ではありませんか? 違法奴隷の疑いがあるのであれば、戒律院を派遣すれば済む話ですし……先日の盗賊のような者がいる可能性も――」
「偵察です」
言葉を区切る。
「貴族令嬢を装い、奴隷を買いに来たと言えば、内部を確認できます。戒律院が動く前に、実情を把握したいのです」
リュミエルは一瞬、言葉を飲み込み、それから静かに頷いた。
「承知しました。では、こちらで準備を整えておきます」
▽
夕刻、西門近くの奴隷商の前に、一台の馬車が静かに停まった。
貴族令嬢と、その付き人に扮した二人だ。
「足元にお気をつけください」
手を取られて馬車から降り立つのは、若い貴族の娘。
傍目には、身分の高い令嬢が自分専用の奴隷を求めて訪れた――そう見えるはずだ。
実際、周囲から向けられる視線も、狙い通りのものだった。
好奇と、品定めと、ほんのわずかな卑しさが混じった視線。
ちなみに、この馬車は大聖堂が保有する貴族用のものだ。
聖女専用の馬車ではない。余計な勘繰りを避けるための選択でもある。
奴隷商の入口で出迎えたのは、仕立ての良いスーツを身にまとった小綺麗な男だった。
年の頃は四十代半ばだろうか。
彼は変装したソルフィーユの佇まいを一目見て、すぐに察したらしい。
表情を崩すことなく、丁重な態度で一礼する。
「いらっしゃいませ。まずは応接間へご案内いたします。後ほど、ご希望の商品をお伺いいたしますので」
「分かりましたわ」
貴族令嬢として、わずかに顎を上げて答える。
奴隷商の店内へ入り、薄暗い通路を抜けた先の一室へ案内された。
室内には豪奢な調度品が並んでいる。趣味はあまり良いとは言えないが、貴族相手なら、これが『分かりやすい』もてなしなのだろう。
案内役の男が何かを言う前に、私は一番上座と思しきソファに腰を下ろした。
男は一瞬も表情を変えず、静かに一礼すると、そのまま部屋を後にする。
……問題ない。
この場における「貴族令嬢」の第一印象としては、十分だ。
「リュミ! ここの店主は、お茶も出さずに客を待たせるのが礼儀のようですわね!」
「えっ……!?」
「やはり、最初に入った奴隷商にするべきでしたのかしら?」
「は、はい……も、申し訳ございません……」
ソルフィーユが、普段は決して口にしない言い回しと声色を使ったことで、リュミエルは完全に混乱していた。
突然の“令嬢ムーブ”に対応しきれず、言葉が上ずり、しどろもどろになる。
私が立ち上がり、席を離れようとした、その瞬間だった。
応接間の扉が慌ただしく開き、ちょび髭を生やした恰幅の良い男と、一人の女性が入ってくる。
男は店主だろう。
女性の方は、尖った耳と整った顔立ちから、エルフだとすぐに分かった。
「大変お待たせいたしました」
「随分と待たせるのね。何か理由でも?」
「誠に申し訳ございません。私の不手際でございます」
「……まあ、いいわ」
私は椅子に座り直し、脚を組む。
「まず、ご挨拶を。わたくし、このヤルクナ商会を営んでおります、ドルドンと申します。以後お見知りおきを」
「私はローラ。ローラ=エクスリプス=デ=ベルサールよ。欲しい奴隷はいくつかありますけれど――まずは、戦える奴隷を見せてちょうだい」
「さ、左様でございますか。それでは……」
店主は隣のエルフの女性に視線を送る。
彼女は無言で一礼すると、扉の奥へと姿を消した。
ほどなくして、鎖の音と共に戻ってくる。
連れて来られたのは、三人の男。
いずれも“奴隷”と呼ばれる立場にあることは、一目で分かった。
鎖の音を響かせ、三人の男が並ばされた。
一人目は、人族の青年。
筋肉の付き方は均整が取れているが、どこか固い。視線は床に落ち、呼吸が浅い。
二人目は、獣人。
肩幅が広く、体格も申し分ない。だが、耳が微かに伏せられている。命令待ちの姿勢が、体に染み付いているようだった。
三人目は、年嵩の男。
痩せてはいるが、無駄がない。背筋は伸び、こちらを正面から見ている。ただし、敵意も期待もない。あるのは諦観だけだ。
「こちらが、戦闘用として扱っている者たちでございます」
店主の声を聞きながら、私は立ち上がり、ゆっくりと三人の前を歩く。
一人目の前で足を止める。
青年は、私が近づいた瞬間、わずかに肩を強張らせた。
戦うことは教えられている。だが、選ぶ権利も、逃げる判断も奪われている。
(型通り。見せる用ね)
二人目、獣人の前に立つ。
こちらを見ようとしないが、私の動きに合わせて重心がわずかに変わる。
反射で動ける。だが、意志で動くことは許されていない。
(命令前提の戦力。使い捨て)
最後の男の前に立つ。
彼は、私を見返した。
視線が合った、その一瞬だけ覚悟が見えた。
(……元は兵士か)
戦い方を知っている。
そして、それ以上に『生き残り方』を知っている目だ。
「動いてみなさい」
短く告げる。
三人は同時に一歩踏み出した。
だが、足運びも、構えも、間の取り方も、揃ってはいないし、動きも硬い。
まともに動けているのは獣人の男と、元兵士の男だけだ。
「……なるほど」
私は一歩下がり、再び椅子に腰を下ろす。
「悪くはないわ。でも――」
店主が身を乗り出す。
「何か決定打に欠けるわね」
一瞬、空気が止まった。
失望ではない。
逃したくない客を、逃すかもしれないという焦り。
その間に、部屋の隅に立つエルフの女性と、視線が交差した。
彼女は、何も言わない。
だが、その目は、私ではなく――三人の“商品”を見ていた。
・―・―・―・―・―・―・―・―
あとがき
前回と同じ内容を投稿しておりました。
ご指摘していただいた読者様、ありがとうございます、そして申し訳ございません。
内容を差し替えさせていただきましたので、続きをどうぞ宜しくお願いいたします。
じゃむばた
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