第34話 夜の図書室にて
「ミラーナ殿は、どうでしたか?」
夕食の席で、リュミエルがふと思い出したように尋ねてきた。
「ヨアンが言っていたとおり、少し変わった人でしたが……裁縫に関しては情熱的で、私の立場についても理解のある方でした」
「聖女であることは、打ち明けたのですか?」
「成り行きで、そうなりました。ただ……結果としては、良い方向に話が進んだと思います」
「それは良かったです」
ミラーナとはその後、衣装の調整だけでなく、いくつかのデザイン案も見せてもらった。
こちらからは機能面を重視した要望を伝え、動きやすさはもちろん、シースについても相談した。衣装やベルトの各所にナイフを固定できる構造が望ましい。
さらに、グローブや靴の仕様についても方向性を固め、革職人や鍛冶職人をヨアンの仲介で手配してもらう流れとなった。
装備一式が整えば、行動の幅は確実に広がる。
「衣装のデザインもそうですが、女性らしさもあって、とても綺麗でしたよ。今から着るのが楽しみです」
「ソルフィーユ様……なんだか、変わりましたよね? あ、いえ、サイファだということは分かっています。その……考え方が、少し女性っぽいというか……いえ、忘れてください」
話の途中で、リュミエルは言葉を引っ込めた。
だが、彼女が何を言いたかったのかは分かる。私自身、同じことを感じていた。
「リュミエルが感じていることは、おおよそ当たっていますよ」
「……というと?」
「サイファとい人格……元男でも、身体はソルフィーユ、女性の体です。脳の働きやホルモンの分泌が、思考や言動、仕草に影響しているのでしょう。自然と、女性寄りになっているのだと思います」
「それでは……いずれ、完全にソルフィーユ様に?」
「魂というものが存在するのなら、私はサイファのままです。ですが……」
一拍、言葉を選ぶ。
「言い得て妙ですが、そうなるのでしょうね」
食事を終えると、リュミエルがまとめた資料を差し出してきた。
「こちらは、戒律院と騎士団から集められた西門付近の情報です。奴隷商は二店舗確認されており、そのうち一つはタイガー商会の下部組織ではないか、と」
「ご苦労さまです」
受け取った資料に目を通す。
問題の奴隷商は、もともと別の商人が経営していたが、ある時期を境に経営者が交代しているらしい。
名義上の幹部の名前は伏せられていたが、調査記録には奴隷王ナスター=ヘスペリアの姿が確認されていた。
おそらく――いや、ほぼ間違いない。
表に出ない支配者として、奴隷王ナスターが裏から糸を引いている。
「誘拐に直接結びつく情報は見当たりませんでした。扱っているのは、主に借金奴隷や犯罪奴隷のようです」
「……謎の事件簿、影の執筆者が記録している子供の誘拐と関係があると思ったのですが」
指先で資料を閉じる。
「奴隷商とは、別口なのかしら……やはり、娼館?」
「娼館、ですか?」
「ええ。ガルドが言っていました。獣人の子供が誘拐された時、西門付近の娼館の匂いがしたと」
「となると……別の事件の可能性もありますね」
「ええ。ただ、もしかしたら――」
私は顔を上げる。
「図書室の事件簿が、更新されているかもしれません。まだ開いているなら、確認しに行きましょう」
リュミエルと共に、夜の大聖堂を進む。
人の気配はなく、足音だけが石床に静かに反響する。いくつか階段を上り、奥まった位置にある図書室へと辿り着いた。
「流石に、この時間では開いていなさそうですね」
「司書長殿は、夕刻には戸締まりをして帰られるようですから」
今日は出直すべきか――そう思った、その時だった。
扉が完全には閉まっておらず、わずかに隙間が空いている。
ドアノブに手を掛けると、扉は音もなく、ゆっくりと開いた。
「……開いてしまいましたね」
「そうですね。誰かに見つかると大変ですし、静かに忍び込みましょう」
「え? そこは『見つかると大変だから出直しましょう』では?」
リュミエルの言葉は、極めて正論だった。
だが――
私は首を横に振る。
効率の問題ではない。
確率の問題だ。
今、この時間、この状況で扉が開いているということは、それは「入るべき時」だと、経験が告げている。
ゆっくりと息を潜め、リュミエルと並んで暗闇に包まれた図書室へ忍び込む。
こうした状況に慣れていないのだろう、彼女の呼吸はやや荒い。
(……落ち着いてください。大丈夫ですよ)
(お化けが出そうで、怖くて……)
どうやらお化けが苦手らしい。
もっとも、この世界には実際に“それらしい存在”はいる。俗にアンデットと呼ばれる魔物で、特定の条件下でのみ発生する。
(ここは大聖堂です。アンデットは近付くことすらできません)
(で、でも……)
普段はしっかり者なのに、こういうところは妙に女性らしい。
ちなみにソルフィーユ自身も、お化けの類は苦手だ。もっともサイファとしては、非科学的な存在は基本的に信用しない。神も含めて。
目的のZの棚が見えてきた、その時だった。
棚と棚の間を、何かが横切った。
「ひぃっ……」
リュミエルにも見えたのだろう。
私の視界にも、確かに“何か”が飛んだ。僅かに光を帯びていたようにも見えたが、窓から差し込む月明かりの錯覚かもしれない。
(……何かがいます。声も音も立てないでください)
(は、はい……)
影が消えた方向へ、慎重に歩を進める。
だが、そこは行き止まりだった。
「……いませんね」
「ほ、本当にお化けなのかも……」
「お化けなら、もう襲われています。ですから違います」
「ほ、本当ですか? なら早く事件簿を確認しましょう……」
泣き出しそうなリュミエルをこれ以上怯えさせるのも忍びない。
私は一番新しい事件簿を棚から抜き取った。
一番新しい事件簿は、思ったよりも薄かった。
革表紙を開くと、紙の匂いに混じって、微かに魔力の残滓を感じる。
頁をめくる。
獣人の子供、行方不明。
発生日時、数日前。
発生場所、西門付近。
目撃証言あり。
夜間、人影に連れられて歩く姿を確認。
騎士団による初動捜索を実施。
そこまでは、いつも通りだった。
次の行に目を落として、私は指を止める。
――結果。
その欄だけが、空白になっている。
「……調査中、のままですね」
リュミエルが小さく呟く。
だが、日付を見る限り、すでに数日は経っている。本来であれば、何らかの追記があって然るべきだ。
未解決事件であっても、「打ち切り」や「継続調査」といった結語が記される。
だが、ここには何もない。
頁の下部に、たった一文だけ、異質な記述があった。
『本件について、これ以上の記録は不要と判断される』
「……これは」
リュミエルが言葉を失う。
主語がない。
判断したのが誰なのか、どの権限によるものなのか、一切書かれていない。
事件簿は、本来“判断”を書く場所ではない。
事実だけを、淡々と積み重ねるための記録だ。
私は無言で、更新日を確認する。
「……今日、ですね」
リュミエルの声が、わずかに震えた。
内容は数日前の事件。
だが、更新日は今日。
つまり、この事件簿は、今夜、誰かの手によって触れられている。
頁の余白に、違和感があった。
文字でも、記号でもない。線とも言えない、かすかな痕跡。
指先を近づけると、微弱な魔力反応が残っている。
「……誰かが、後から触っていますね」
「司書長殿、でしょうか……?」
「いいえ」
私は首を横に振る。
「司書長は、こんな痕跡を残すとは思えません」
静まり返った図書室で、遠くの棚がきしむ音がした。
風はない。
私は、無意識に先ほど見た“影”を思い出していた。
この事件簿は、真実を書いていない。
だが、沈黙そのものが、何より雄弁だった。
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