第33話 ミラーナ=クロウニット

 ミラーナの工房へ足を踏み入れた瞬間、思わず立ち止まった。

 言葉にするなら、足の踏み場もないほどの散乱ぶりだ。昨夜の誘拐事件で荒らされた名残かと思ったが、どうやら違うらしい。


「あ、散らばっててごめんね。いつもこんな感じなのよ」


「そ、そう……」


 彼女は、いわゆる片付けられない人間のようだった。

 サイファ自身、生前はいくつもの隠れ家を持っていたが、どこも必要最低限しか物を置かなかった。ナイフと拳銃、わずかな食料があれば十分だったからだ。武器庫に関しては百種近いコレクションがあったものの、保存していたのはすべて実用性を最優先したものだけで、無駄な物は徹底的に排除してきた。


 一方、ソルフィーユに至っては、生活のすべてを聖庁から支給されていた。衣類も食事も与えられる立場で、私物と呼べるものは一切持っていなかった。


 改めてミラーナの室内を見回す。

 散らばっているのは衣類の布端や生地、裁縫道具、図面や紙の型紙。どれも制作途中の痕跡ばかりだった。


「職人さんのお部屋ですね」


「あー……単純に、私は片付けられない人なのよね」


 オブラートに包んだつもりだったが、どうやら本人にも自覚はあるらしい。


「お茶を淹れるから空いている席に座ってて」


 空いている席といっても、大半の椅子は資料が山積みになっている。その中でミラーナが普段座っているであろう、何も載っていない椅子へと座って待つ。


 待っている間、室内を見渡すと扉の奥に別の部屋が見え、その中に見覚えのある衣装が綺麗に飾られていた。


(あれはヨアンに持ち込ませた漆黒の衣装)


 もし、床に落ちていたらショックを受けていただろう。

 流石に依頼品を床に置くことはしないようで安心した。


「あ、その衣装は依頼品でさ。売り物じゃないのよね」


 ミラーナがお茶を淹れてくれて戻ってきた。


 彼女には本題を伝えた方が良いだろう。


「その衣装をグランデル商会に持ち込んだのは、実は私です。ヨアン=グランデルから『依頼主は若い女性』と聞いていませんでしたか? 私がその依頼主です」


「えっ……本当!?」


「ヨアンから話を聞いていて、顔を出そうかと思っていた矢先でした。ちょうどその時、ミラーナが連れ去られるのを目撃したんです」


 半分本当で半分嘘だ。

 襲ってきた輩から吐かせて、心配になって来てみたのは伏せておく。


「なるほど……! こんな素敵な衣装と素材を私に預けてくれるなんて、ソルと二代目には感謝しかないわ! それに命の恩人でもあるしね。――それで、いきなりで悪いんだけどさ」


 ミラーナは言葉を切り、ソルフィーユの身体を上から下まで、舐めるように見回した。


「寸法を測らせてくれない? あの衣装、ある程度は調整が効くから、先に採寸を取っておきたいのよ」


「構いませんよ」


 奥の部屋へ移動し、ソルフィーユは変装用の帽子と外套を外していく。

 衣服を脱いでいる間、背後がやけに静かなことに気づき、ふと振り返った。


 ミラーナは目を見開き、口を半開きにしたまま固まっていた。


「……ソルって、聖女じゃん!」


「あっ……」


 ヨアンがわざわざ私の身分を伏せてくれていたというのに、自分から正体を晒してしまった。

 不注意とはいえ、変装を解けば否応なく目立つ容姿であることを、すっかり失念していた。聖女だと即座に見抜かれても不思議ではない。


「うひょ〜、本物の聖女様だぁ!」


「ちょっ、近いです!」


 興奮したミラーナが、メジャーを手に鼻息荒く迫ってくる。


「大丈夫、大丈夫! 痛くしないし、隅々まで採寸して完璧な衣装を作るから!」


「ちょっ……どこを触っているのですか!?」


「ここは重要ポイントなの! 動かないで!」


 上から下まで余すところなく測り終えた瞬間、どっと疲労が押し寄せてきた。

 衣装作りというのは、ここまで体力と精神力を削られる作業なのか。考えを改める必要がありそうだ。


「おっけ〜。この衣装、簡単な手直しで直せそうよ。あ、質問なんだけど聞いていい?」


「どうぞ」


「これって、歴代の聖女の一人が着ていたものでしょ?」


「そうですね。どの時代の聖女が着ていたものかまでは聞いていません。調べれば分かるとは思いますが……」


 ミレニア大聖堂の奥深く、歴代聖女の衣装が保管されている衣装室には、数え切れないほどの聖装が眠っている。

 白や金を基調とした神聖な意匠が大半を占める中で、この漆黒の衣装は明らかに異質だった。まるで、光の中に紛れ込んだ影そのものだ。


「少し手直しして、今風のデザインを取り入れれば、最高の衣装になるはずよ」


「できれば……あまり目立たないようにしたいのです」


「なんで? こんな格好いい衣装、他にないよ? 聖女なのに漆黒って、闇落ちしてるみたいでさ!」


「闇落ちはしません。ただ、色々と事情があるのです」


「ふむふむ……シャドウアウルの素材を持ち込んだのも納得だね。隠密行動用かな。聖女様もこうやって変装してるし、昨夜の一件も……あっ」


 ミラーナが、何かに気づいたように声を弾ませた。


「闇夜に溶ける正義のヒロイン! 聖王国ディオールに巣食う悪を、誰にも知られず退治するのね! うおー、燃えてきた!」


 どうやら彼女の中で、壮大な物語が完成してしまったらしい。


「聖女の衣装に手を加えられるなんて、職人冥利に尽きるわ! あ、そうだ。ひとつ伝えておくことがあるの」


「なんでしょうか?」


「この漆黒の衣装ね、裏地に魔法陣が縫い込まれてるんだけど……効果が分からないのよ。私、魔縫いは専門だけど、見たことのない術式なの。聖装を作っている人間にしか解らない代物で、危険な香りがするわ。しかもね、後から組み込まれた機能もいくつかあるの」


 本職の職人ですら読み取れない術式。

 この衣装には、やはり何か隠された意図があるのだろうか。


「後から組み込まれた機能、ですか?」


「うん。比較的新しい魔法陣で、光を吸収する魔法陣よ。もともと夜間用の衣装っぽいけど、なんで光を吸収する必要があるのかは分からないわね」


 その言葉を聞いた瞬間、ひとつの考えが頭をよぎった。


 聖女の神力は、行使するだけで淡く発光する。

 夜間にそれを使えば、どう考えても目立つ。

 この衣装を着ていた聖女も、同じ問題を抱えていたのではないだろうか。


「月明かりや、周囲の反射光に照らされにくくなる利点もありそうですね」


「なるほど……さすが聖女様。その発想は十分あり得るわ!」


「ミラーナ。私のことは、ソルフィーユと呼んでください。それから、この衣装のことも、私のことも……秘密にしていただけませんか?」


 ミラーナは一瞬、言葉を失った。

 先ほどまでの興奮が嘘のように、浮ついた表情がすっと消える。


 手にしていたメジャーを静かに畳み、作業台の端に置いた。


「……了解」


 短く、しかし迷いのない声だった。


「これは仕事としてじゃない。職人としての約束ね」


 ミラーナはソルフィーユの目を、まっすぐに見つめる。


「この衣装のことも、術式のことも、あなたが聖女だってことも、私の口から外に出ることはないわ。必要なら、名前も履歴も全部消す」


 軽い調子で言いながら、その目だけは冗談を許さない色を帯びていた。


「――ただし」


 一拍置き、ミラーナは小さく息を吐く。


「この衣装の“本来の使われ方”はわからないわ。でも、この魔法陣の術式はかなり複雑で特殊なものなの。もし、何か起きそうなら、すぐに着用を止めて。その時は、職人として、全力であなたの守るから」


 工房の中に、重い沈黙が落ちた。

 その沈黙が、何よりも強い誓約のように感じられた。

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