第17話 悪意の視線と、避けられない接触
蓮の潔癖症が悪化し、二重の手袋と頻繁な手洗いがルーティン化して以来、クラス内の空気は二極化していた。桜庭葵たちのように理解を示すグループと、依然として奇異な目で見るグループ。
その日、給食の時間になり、配膳が始まった。蓮はいつも通り、家から持ってきた除菌シートで自分の食器を念入りに拭き、当番がよそった給食は、できるだけ触れられていない部分だけを選んで食べるか、ほとんど手をつけないかのどちらかだった。
「相変わらずだな、高遠。」
低い声が聞こえた。声の主は、河﨑健介だった。かつて給食の時間に蓮をからかった生徒だ。彼は蓮の席の近くを通りかかり、蓮が手袋越しに食器を拭いている様子を見て、ニヤリと笑った。
「そこまでして食いたいか? 俺らが触った飯。」
蓮は無表情のまま、河﨑の方を見ずに食器を拭き続けた。感情を表に出さず、ただ目の前の作業に集中することで、彼の言葉をやり過ごそうとする。
「おい、無視かよ」河﨑は少し苛立ち、蓮の机に置いてあったペーパータオルの束を掴んだ。
「そんなに汚いの嫌なら、これやるよ!」
河﨑は、ペーパータオルの束を蓮の顔に振りかざすようにして投げつけた。
「健介!」相沢陸が注意する。
ペーパータオルは蓮の机に散乱し、その拍子に、蓮の机の上に置いてあった二層目の手袋が床に落ちた。 蓮の動きが止まり、彼の視線は、床に落ちた手袋に釘付けになった。 土埃の舞う校舎の床に落ちた手袋は、もはや連には、「汚れている」という概念を超えた、絶対的な接触禁止物となった。
「あーあ、落としちまったな。これで手袋なしで飯食えるな!」河﨑は面白そうに笑う。
その時、蓮は静かに顔を上げた。その表情は完全に無表情で、感情の欠片もない。まるで氷のような視線が、河﨑を射抜く。
「……お前の行動は、無意味。」蓮は冷たい声で、淡々と告げた。
「その手袋は、もう使えない。お前がどうしようと、僕のルーティンは変わらない。」
「はぁ? なんだと?」河﨑は拍子抜けしたような、怒ったような顔をする。
「お前が他人をからかうことで、自分の優位性を確認したいだけだろう?」
蓮の言葉は、感情を排した分析のように響いた。
「俺にとっては、お前の悪意も、床の汚れも、対処すべき対象という点では同じ。無価値な情報処理に時間を費やしているだけ」
クラス中が静まり返る。誰も、いつも無口で感情を表に出さない蓮が、これほど冷静に、冷徹な言葉を放つとは思わなかったのだ。
「てめぇ、調子乗ってんじゃねぇぞ!」河﨑が激昂し、蓮に詰め寄ろうとする。
「健介、やめろ!」陸が河﨑の間に割って入る。
「もう十分だろ!」
「陸、やめて!」葵も間に入り、陸を止める。「蓮、大丈夫?」
蓮は表情を変えずに、持参していた予備の新しい手袋を鞄から取り出し、装着する。 感情をシャットアウトし、ルーティン作業をこなす。それが今の蓮の精一杯だった。
「別にいらねぇなら最初から持ってくんなよな、めんどくせぇ…。」
河﨑は悪態をつきながらも、蓮の冷たい視線と言葉に気圧されたのか、自分の席に戻っていった。
給食の間中、蓮は新しい手袋を装着していたが、床に落ちた手袋のことが頭から離れなかった。 防御壁を一つ失った不安と、河﨑の悪意ある行動への対処で、この日の給食は一口も喉を通らなかった。
しかし、誰かの悪意に感情を乱されるのではなく、冷静に対処できたことは、蓮にとって小さな変化の兆しだったのかもしれない。
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