第13話 身体検査の恐怖と、無言のサポート

翌週は、全学年を対象とした身体検査が体育館で行われることになった。 これは、高遠蓮にとって、図書室や体育の授業とは、比較にならないほどの精神的苦痛を伴う、悪夢のようなイベントだった。




「身体検査かぁ……憂鬱だな…。」蓮は下駄箱で靴を履き替えながら呟いた。顔色はすでに青白い。



「そうだね、待ち時間長いしね」桜庭葵は蓮の隣で、彼の顔色を伺っていた。



「私は女子の列に並ぶけど、頑張ってね。終わったら外で待ってるから!」



「……ありがとう。」




体育館は、身体測定の器具が並べられ、各学年の生徒たちでごった返していた。計測ごとに素肌や共用部分に触れることへの恐怖、そして多くの生徒たちの視線や接触への不安が、蓮の神経を極限まで研ぎ澄ませる。 蓮は体操服の下に、清潔な肌着を着用し、鞄には使い捨て手袋、除菌シート、そして新しいポケットティッシュを大量に詰め込んでいた。




まずは、身長と体重の測定から。 蓮は呼ばれるまでの間、常に壁際に身を寄せて、他の生徒との距離を保ち続けていた。



順番が来て、まずは体重計に乗る。裸足で乗らなければならない体重計の表面に、蓮は強い嫌悪感を覚える。彼は持参していた新しいポケットティッシュの束を体重計の乗る部分に敷き詰め、その上に乗ろうとした。





「おい、何やってんだ!」

測定担当の体育教師(蓮のクラス担当の先生とは別の先生)が苛立った声で注意する。



「ティッシュじゃ正確に測れないだろ! 取れ!」



蓮はしぶしぶティッシュを外し、今度は鞄から使い捨ての透明な靴カバーを取り出し、足に被せてから乗ろうとした。



「おいおいおい!」先生が呆れた声を出す。



「靴カバーじゃ体重が分からんだろうが! 裸足で乗れって言ってんだよ!」



「で、でも、汚れてるから……」蓮は震える声で抵抗する。素足で乗るなんて、絶対に嫌だった。



「みんな乗ってるんだ、汚れてないわ! 早くしろ!」



「……。みんな使ってるからこそですよ。」


「汚れてないわ!とりあえず早くしろ!」




蓮は、先生の強い口調と、後ろに並ぶ生徒たちの視線に耐えきれなくなり、泣きそうな顔で靴カバーを外し、素足で冷たい体重計の上に立つ。その瞬間、全身に鳥肌が立った。不特定多数の生徒が乗ったであろう体重計。彼は体重測定が終わるや否や、すぐに足を引っ込めた。


次に身長計。先生が頭の上に当てるバーに触れるのを必死で避けようとするが、先生は「ちゃんと背筋伸ばして!」と有無を言わせず頭頂部を押さえつけた。蓮は息を詰まらせ、頭皮が触れた感触に吐き気を覚える。



「高遠くん、終わり!」



蓮は逃げるようにその場を離れ、計測済みの生徒が待機するエリアへと移動した。腕にボールが当たった時以上の嫌悪感が押し寄せ、手足が震えそうになる。



男子の身体測定は、ここからが本番だった。視力・聴力検査はまだマシだったが、問題は内科検診と血圧測定だった。



内科検診では、医師の聴診器が素肌に触れる。血圧測定では、腕帯が肌に巻き付けられる。どちらも、蓮にとっては受け入れがたい行為だった。



「次の生徒、内科検診へ!」



蓮は呼ばれるたびに、先生や医師、器具との接触を避けようと、ぎこちない動きで対応した。医師が聴診器を当てようとすると、咄嗟に体操服の上から当てさせようとする。



「体操服をめくってくれないと、ちゃんと聞こえないよ」医師が少し困惑気味に言う。



蓮は意を決して、服を少しだけめくる。一瞬の肌の接触に、彼は全身の神経を集中させ、耐え凌いだ。血圧測定の腕帯が腕に巻き付く感触は、拷問のように感じられた。



そして、次の検査で事件は起きた。



「じゃあ、この台に乗って、体のバランスを見るからね」



先生が身長計の隣にある台を指し示し、蓮の背中に触れようと、素手を伸ばしてきた瞬間だった。



「っ、触らないで!」




蓮は反射的に、金切り声のような叫び声を上げ、先生の手を払い除けて数歩後ずさった。体育館中の視線が、一斉に蓮に集まる。静寂が場を支配した。


先生は驚いて固まっている。


「な、なんだってんだ、おい!」



蓮は自分が叫んでしまったことに気づき、顔を真っ赤にして震え上がった。



「ご、ごめんなさい……その、手が……。」



彼は泣きそうな顔で体育館を飛び出し、校舎裏の水道へと走った。共用器具への恐怖心が勝り、まずは校庭の水道で手洗いだけ済ませた。石鹸で何度も手洗いし、先生に触れられそうになった腕をゴシゴシと擦り続けた後、手もまた洗い直していた。



体育館の外で、女子の測定が終わるのを待っていると、葵が駆け寄ってきた。



「蓮、お疲れ様! 大変だったね。」



「……最悪だった。」蓮は心底疲れた顔で呟いた。



「叫んじゃったし……、先生怒ってたかな……。」




葵は蓮の苦労を想像し、何も言わずに蓮の隣にそっと寄り添った。言葉はなかったが、その無言のサポートと、信頼できる葵が隣にいるという安心感が、蓮の張り詰めた神経を少しだけ和らげてくれた。

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