第8話 授業中のハプニング

放課後のホームルームが終わり、クラスメイトたちがざわめきながら下校の準備を始めている。外はまだ明るく、校庭からは運動部の活発な声が聞こえてくる。そんな喧騒の中、蓮は自分の席で、数学のノートをじっと見つめていた。彼の表情は、周囲の明るさとは対照的に、少し青ざめている様子だった。



隣の席の葵が、その蓮の様子に気づいて心配そうに小声で尋ねた。



「ねえ、蓮。さっきの数学の先生、すごい熱心だったね。蓮のノート、褒めてたでしょ?」



「……うん」



蓮は短く答えながら、ノートの特定のページを指先で、まるで触れるのを恐れるかのように、そっとなぞる。そこには、数十分前の授業中、数学担当の田島先生が説明のために触れた跡が残っていた。


授業中、田島先生は生徒たちの理解度を確認して回り、蓮の誤答を見つけた。「ほう、ここはこうじゃないか。いつも真面目だから、すぐ分かるようになるはずだ。よし、ちょっと黒板で説明しよう。」と言って、そのまま蓮のノートを指でトントンと叩き、その手で教卓に戻り、黒板のチョークを掴んだのだ。



蓮はあの瞬間、全身が凍りついたように固まってしまった。固まった原因は、先生がチョーク粉が付いた手で自分のノートに直接触れ、そのまま戻ったからだった。蓮は、他人に自分のものを触れやれたり、他人のものに触れやれるのが「汚れた」、「汚い」って言う言葉が脳内に浮かんでくるからだった。もちろん、先生でも他人なので無理だったのだ。





「先生、蓮のノートに直接触って説明してたから、ちょっとびっくりしちゃった。蓮、平気そうだったけど」葵が言う。



「あのページ……もう使えないな」



蓮はため息をつき、そのページを丁寧に破り取ろうとする。



「えっ、破っちゃうの?」葵が慌てて蓮の手元を見る。



「だって、先生がチョークを触って、汚れた手で触ったところだし、その手で黒板も触った。不特定多数の人が触るチョークに黒板…、バイ菌だらけかもしれない…。除菌シートじゃ完璧には……。」



蓮の潔癖症は根深い。葵は蓮の気持ちを察して、無理に止めることはしなかった。蓮にとって、一度「汚れた」と感じたものは、もう使えないのだ。



「……そっか。じゃあ、その部分は私が自分のノートをコピーしてあげるね。家で書き写せば大丈夫」



蓮の目には感謝の色が深く浮かんだ。



「ありがとう、葵。いつもごめん」



「いいのいいの! お互い様だよ!」



葵は明るく笑い飛ばしたが、蓮の心は少し重かった。自分のせいで、また誰かに手間をかけさせてしまったと感じていたからだ。この体質さえなければ、もっと普通に学校生活を送れるのに。



蓮は静かに破り取ったノートのページを、折りたたんでポケットティッシュに包み、下校途中のコンビニエンスストアのゴミ箱に捨てた。明日からは、万が一に備えて、ノートは必ずコピーを取れるように予備を用意しておこうと、心に決めた。

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