第4話 給食の時間
中学生活最初の試練の一つが、給食の時間だった。
蓮にとって、これは毎日の苦痛だった。
当番が配膳する料理、みんなが共有するトングやスプーン、そして食器。全てが恐怖の対象だった。
「蓮、給食だよー!」葵が元気よく声をかけてくる。彼女は今日の献立がカレーライスだと知って、ご機嫌だった。
「……うん」僕は重い足取りで配膳台に向かった。
今日の給食当番は、健介ともう一人の女子生徒だった。二人は白衣を着てマスクをしているが、蓮にはそれが安心材料にはならなかった。健介がカレーの大鍋から、大きな共用のお玉でカレーをすくっている。そのお玉の柄には、すでに何人もの手の跡がついているように見えた。
僕は自分のトレイを受け取る順番を待つ間、ポケットの中で除菌シートを握りしめていた。
「高遠、ご飯大盛りでいいか?」健介が聞いてくる。
「普通で……」僕は視線をお玉から逸らした。
自分のトレイにカレーがよそわれ、牛乳とスプーンを受け取る。僕はスプーンに触れる前に、持参したアルコール除菌ジェルを手に塗りたくり、スプーンの柄の部分を丁寧に拭いた。
席に戻ると、葵がもう食べ始めていた。
「いただきまーす!……蓮、また拭いてるの?」
「一応ね、汚いかも知れないし…。」
僕はそう答え、カレーを見つめた。他の生徒がよそったカレー。共用のお玉。頭の中では警報が鳴り響いている。
僕は持参した清潔なハンカチを膝の上に敷き、その上でようやくスプーンを口に運んだ。美味しいはずのカレーの味が、不安で半減してしまう。
「ねえ、蓮、一口食べる?」葵が自分のスプーンに乗せたカレーを差し出してきた。
「だ、大丈夫」僕は慌てて首を振る。
葵のスプーンは、彼女の口に入った後だ。それはいくら葵でも無理だ。葵はしょんぼりするが、すぐに笑顔で自分のカレーを食べ進めた。
「そっか、いつか蓮にも私のご飯食べさせたいな」
その日の昼休み、僕はトイレで手を洗い、持参した歯ブラシで歯を磨き、うがいを徹底的に行った。給食の時間は、僕にとって一日で最も疲れる時間だった。
帰り道、葵が僕の顔を覗き込んできた。
「蓮、今日の給食、あんまり食べてなかったでしょ」
「……美味しかったよ」
「嘘。顔が死んでる」葵はプッと吹き出した。
「私、明日から蓮の分のお弁当作ってこようかな?」
「え?」僕は驚いた。
「冗談だよ。でも、蓮が安心して食べられるもの、私が作ってあげたいなあって」
葵の優しさが心に染みた。僕の世界は「清潔」でなければ成り立たないけれど、その「清潔」さの中には、葵の温かさが含まれている。
「……ありがとう、葵」
「どういたしまして!」葵は満面の笑みで答えた。
給食の時間はまだ試練だが、葵という隣の光のおかげで、僕はなんとか毎日を乗り越えられていた。明日は何とかして、一口だけでも多く食べよう。僕はそう決意した。
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