第2話 おやすみ走馬灯も走らない人生
眠りから覚めたまつりの目に飛び込んできたのは、薄明に差し掛かった空。
「が、学校は!?今何時……」
まつりは横たわっていた体を勢いよく起こし、周囲を確認する。視界の端から端まで、丈の長い草が生い茂った草原。遠くに木々や建物らしいものも見えるがすでに日は沈みかけ薄暗く、輪郭しか分からなかった。
ここは……どこだろう。とりあえずさっきまでいた場所じゃないことはわかるけど。
まつりは目を覚ましてから、ずっと右手に握りしめたままのカードを見る。意識を失う前に見たモノクロの光景も、カードに現実からの逃亡を願ったことも、くっきりと覚えている。もちろん、話しかけても答えを返してくれるわけではなかったが、常にじんわりと心を励ますような熱を放っていた。
まつりは立ち上がり、制服のスカートについた草花のかけらを払う。他に持ち物はないかと周囲を探してみるが、私物の学生カバンはどこにも見当たらない。
あのカバンのチャックには友達からもらったお揃いのキーホルダーがついていた。まつりのため息が、一番近くに咲いていた野花を揺らす。
すると、野花からふわりと虹色の粒子が現れ、風に乗り街の明かりの方へと飛んで行った。まるで、あっちに行くといいよ。と告げるように。
「すごい……キラキラしてた……」
おそらく花粉ではない、強いていうのであれば画像加工のエフェクトが実体化したような輝き。現実ではまず見ることはないであろう光景に、まつりの期待は弾む。
手元にあるのは一枚の不可思議なカードだけ。それでも不安はほんの少し和らいでいた。
「よし、とりあえず街を探してみよっか!」
カードに語りかけ、まつりは歩き始めた。
まずは一歩、粒子が去って行った方向を目標にして。
数分後、まつりは周囲をキョロキョロと見回しながら歩いていた。まつり以外に人がいるならば彼女を挙動不審と評しただろうが、幸い誰とも出会っていない。
未だに豆粒ほどの大きさの光を目指して歩く。あと何時間かかるだろう。
カードを手にしたあの時。世界から色が消えて、自分だけが現実から切り離された気がした。恐怖はあるが、それよりも嬉しさと好奇心が勝った。やれ就職だ。進学だ。そんな悩みから解き放たれたのだから。
思い出したまつりの顔に笑みがあふれる。ケーキを前にしてはしゃぐ子供のように。
しばらく歩いた後、まつりはふと足を止めた。草花が、何者かが腰を下ろした後のようにしなっている場所を見つけたのだ。
もしかして、何かいるのかな?
目を凝らすと、草陰越しに白色の物体が見えた。雪玉のような丸いボールがついており、ふりふりと不規則に揺れている。あと十歩ぐらい進めば手が届きそうな距離だ。
多分あれは……ウサギ?
まつりは身を屈め、首を伸ばして様子を伺う。後ろ姿が、実家で飼っていたロップイヤーにそっくりだった。
垂れた耳。ぽんぽんとしたかわいい尻尾。そして鳥のように大きな翼……はロップイヤーにはついていなかったと思うが、異世界ならそれも普通なのだろう。
ウサギはもぐもぐと頬を膨らませて何かを食べているようだった。ここに来る道中で実が成っている木も多くあったから、そのうちのどれかかもしれない。
かわいい……。ちょっとなら触ってもいいかな?
まつりはウサギのようなモンスターにしゃがみながら近づいていく。だがモンスターは食事に夢中で、自身に忍び寄る人間に気づいていない。
一歩ずつ、慎重に。まつりはあと一歩でモンスターを捕まえられる距離までそばに寄っていた。
バリバリと硬いものを噛み砕く音が聞こえるが、きっと種でも入っているのだろう。そう思いつつ震える手を伸ばし、モンスターの頭を撫でようとした時。
「ギィッ!」
「わぁっ!?」
モンスターがまつりの方を振り向き鋭く鳴いた。金色の目には怒りと敵が宿っており、今にも飛びかかりそうな勢いで睨みつけている。
「ご、ごめんなさい!すぐに離れるね……」
踵を返そうとした瞬間、それは視界に入った。
小動物の死骸。頭部は無いが、今まつりの目の前にいるモンスターと同じ容姿だった。先程の物騒な音の正体を嫌でも察してしまう。食べていたものは木の実ではない。おそらくは……。
モンスターはまつりに向けてぺッと何かを吐き出した。
赤黒い肉と白い体毛の付いた、骨らしきもの。……先程見た死骸の頭部。
「きゃああああ!」
脳が情報を処理する前に、まつりはモンスターに背を向け駆け出した。目指す先は反対方向だが、命の危機を前にそんなことは言ってられなかった。
あれはかわいい小動物などでは無い。そして、まつりは気づく。
あの目、睨んでたんじゃない。食べようとしてたんだ、私のこと!
遮蔽物も何一つない草原を走り抜ける。すぐ背後でガサガサと草をかき分ける音が続く。音の主が追いついた瞬間、自分の命は終わるんだとまつりは察していた。
嫌だ!こんなことになるなら異世界に行きたいなんて言うんじゃなかった!
数分前とは掌を裏返しにした感情がまつりの足を動かす。心臓が持ち主に抗議の声を上げバクバクとうるさく鳴る。
草も、花も、誰の落とし物かわからない血がついた布切れも、平等に踏みつけながら走り続ける。周囲の様子など微塵も気にせずに。
だが、 静寂の中で聞こえてくるのは自分の足音と呼吸音、そして鼓動だけ。
……追いかけてくる音がしない?
まつりは足を止め、後ろを振り向く。そこには先程まで自分を追いかけていたモンスターが、ちょこんと何もせずに立っていた。まつりをじっと見つめているが、襲ってくる様子はない。
なんで諦めてくれたんだろう?とりあえず助かったけど……。
不思議に思いながらも安堵した瞬間、まつりの足元でパラリと小石の落ちる音がした。
上から落ちて来たのではなく、下へと落下していく音が。
「……え?」
足元に亀裂が入り、草の根が剥き出しになる。その奥に小さく岩礁が見えた。波が押し寄せ、引いていく。どれだけの高さかはわからない。だが、
ああ、これ絶対に死んじゃう……。
まつりの体がぐらりと傾き、崖から空中へと投げ出される。
待って。と叫ぶも、それで物理法則が待ってくれるなら人間は苦労などしていない。
モンスターはまつりを追うのをやめたわけではなかった。獲物と自分の命を天秤にかけて、自分の命を選んだだけのこと。
まつりがそのことを理解したのは、自分の体が重力に従い落下しようとしている最中のことだった。
死ぬ時は走馬灯が見えるって聞いたことあるけど、何も見えてこない。そんなにからっぽだったのかな。
まつりが自嘲しながら目を閉じたのと同時に、その身体はそびえ立った岩肌に叩きつけられた。
ARCANA RECOLLECTION 御伽屋フィレ男 @fish-and-apple
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