ARCANA RECOLLECTION
御伽屋フィレ男
第1話 雛鳥は飛ぶ
空気が冷え込む午前7時。
まだ人の少ない大通りを早足で進む。踏みしめるたび、歩道に浅く積もった雪がザクザクと音を立てた。
まつりの口からため息が漏れる。開封したばかりのカイロはまだ準備中のようだ。家に帰ってマフラーやら耳当てやらを取ってくればよかったと後悔するが、まつりには急がなければいけない理由があった。
進路希望調査票、結局まだ書いてなかったな……。
教室の引き出しに置きっぱなしにしていた進路希望調査票。
なお、提出期限は本日のホームルーム後。時間に直すと大体午前8時45分。残り2時間もないのである。
就職か、進学か。はたまた志望先はどこにするか。無数の選択肢も、まつりに対しては全て現実味がなかった。
父は進学してゆくゆくは大企業へ就職するべきだと熱弁し、母は素敵な人を見つけて幸せになるのが一番よと微笑んでいた。結婚は進路というわけではないのだが。友人は各々やりたいことが決まっているらしく、楽しげに話す様子が羨ましかった。
そういえば借りてた本の返却期限も今日だったはず。帰りに図書室寄らないと。
まつりが歩みを止めて学生カバンの中身を確認すると、教科書やノートに紛れて1冊の文庫本が入っていた。本の背表紙に図書室の書物であることを示す小さなシールが貼られている。
まつりは中身を確認し終えると、しっかりとチャックを閉めた。
まつりが図書室から借りた本は、異世界転生ものというジャンルのライトノベルだった。友人曰く、元々は小説投稿サイトで連載されていた作品らしい。昔から読書が趣味ではあったが、このジャンルの小説を読むのは初めてだった。
この物語の主人公みたいに、どこか遠い世界に行けたら。将来のことも考えなくて済むのかな。
現実逃避だと、一時的な逃げだと分かってはいるが、そんなことを考えずにはいられなかった。それほどに先の見えない未来はまつりにとって苦痛だった。転生ということは現実世界では死んでるのか……。なんて野暮な発想は一旦隅に置いて。
結局怖いなんて言い訳をして、いい未来を選ぶ努力もしていないのは自分なのに。
服屋のショーケースのガラスに反射した自分がこちらを冷たい視線で睨みつける。ああ、愚か者を軽蔑する目だ。
重たい思考を振り切りたいからか、学校に早く着きたいからか。見えないものから逃げるようにまつりの歩調は早くなる。
ちょうど校舎がまつりの視界に入った頃だった。
「うわぁっ!」
十字路を曲がろうとした瞬間、まつりの胴体に硬く大きなボールがめり込んだ。肺を強く圧迫され、一瞬呼吸が止まる。後ろに倒れ込んだまつりの目に赤いスニーカーを履いた誰かの足元が映った。
誰かとぶつかってしまった。怪我はないだろうか。一瞬で察したまつりの息が引きつった。
「ごめんなさい!お怪我は……!」
痛む体を起こしながら話しかけたまつりは、赤いスニーカーの主を見て目を見開いた。
「おねーちゃん、ごめんなさい!」
声の主、ぶつかった相手はピンクのランドセルを背負った女児だった。黄色い通学帽を被っており、赤いスニーカー……ではなく、マジックテープのついた子供用の靴を履いている。
「ううん、こっちこそごめんね!痛いところはある?」
「だいじょうぶ!ぜーんぜんいたくないよ!」
女児はにっこりと笑顔を浮かべると、くるりとその場で一回転した。洋服は土埃の一つもなく、痛みを隠している様子もない。怪我がなくてよかった。まつりの口から安堵のため息が漏れる。だが、
とりあえずこの子の学校を聞いてぶつかったことを連絡しなきゃ。
まつりが声をかけようとした瞬間、
「おねーちゃんのバッグのなかみ、どさーってなってるよ!」
女児がまつりのすぐ横を指差した。まつりが目を向けると、教科書やノートが歩道に散乱していた。ぶつかった際に中身をばら撒いてしまったらしい。いつの間にか通学カバンのチャックも開いている。
「本当だ!教えてくれてありがとう」
まつりは手早く散らばったものを集めて元に戻していく。女児もまつりの隣にしゃがみ、落ちている教科書を拾って手渡していった。
「これで全部かな……。ありがとうね、拾ってくれて」
まつりが礼を述べると、女児は先程よりもにっこりとしながら大きく頷いた。誉められてとても嬉しかったのだろう。
「あとね、これもそこにおちてたよ!おねーちゃんのでしょ?」
女児は両手で持っていた。何かをまつりに差し出すと、「がっこうちこくしちゃうから、もういくね!」と言い、歩道の向こうに走り去って行った。
元気な子だったなあ。身体が心配だけど何かあったら自分で大人に相談できそうな子だったし、あまり気にすることないのかも。
ふと、女児から落とし物だと渡された物を見る。
それはトランプほどのサイズの、一枚のカードだった。
カードには灯ひとつ無い暗い道と、その道をランタンを持って進む一人の少女が描かれている。少女の目は輝き、まるで歌でも口ずさんでいるかの様な明るい表情をしていた。
……こんなもの、カバンに入れてた覚えないし、そもそも見たこともないんだけど……。
でも、私はこのカードが表す意味を知っている。
まつりの全身に鳥肌が立つ。指先が氷水に浸したタオルのように温度を失う。
自分とぶつかった女児が怪我一つしていなかったこと。閉めたはずの学生カバンのチャックが空いていたこと。気付かなかった違和感が一気に押し寄せた。だが、その違和感すらもかき消すほどにカードはまつりに自分の存在を主張する。
自由。冒険。可能性。そして……。
「現実逃避」
まつりが小さく呟いた声は誰にも届かない。
まつりの頭の奥で警鐘が鳴る。防災のサイレンかと辺りを見渡すと、ついさっきまでと変わらない通学路から、「色」が消えていた。建物、樹木、空、すべてが白と黒だけで構成されている。モノクロ映画の世界にでも変わってしまったのだろうか。
耳元を通り過ぎていく風の冷たさが無ければ、現実に足をつけていることを忘れてしまいそうだ。
「あ、オレンジ……」
無色の世界の中で、鮮やかな橙色に目を奪われた。
カードの中で少女が持つランタンの灯。それだけが唯一、色を絶やしていなかった。カードを持っている手の指先に、熱が戻っていく様な感覚がする。
そしてランタンの灯、その中心に、自分自身を見た。
髪型が違う。体型も違う。年齢も違う。こちらに背を向け佇む女性に、それでも、まつりは確かに「自分」を見たのだ。
根拠はないが確信はあった。計画はないが希望はあった。
どれだけ諭されようと思い描けど見つからなかった将来の自分が、そこには居る。それだけで、まつりの好奇心をそそるには十分すぎる餌だった。
引き出しの中で眠る進路希望調査票も、彼女を引き止める理由にはならない。そりゃあそうだ。立派な翼を得た雛鳥が、飛ばずに一生を終える訳がないのだから。
カードを握る指の爪が白くなる。頭の中を駆け巡るのは我ながら呆れるほど荒唐無稽なファンタジーとトリップばかり。
そして彼女は選ぶ。自分の意思で。
「私を、そっちの世界に連れて行って!」
まつりが叫んだ言葉に返答はなかった。だが確かに、願いは聞き届けられた。
そして、風は冷たさを失った。
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