第11話 あい、病院で動く

 病院の朝は、静かでありながらも微細な音が絶えず流れている。

 廊下を歩く看護師の足音、患者のかすかな咳、機器のアラーム。


 僕はベッドに横たわり、腕の点滴越しにタブレットを見つめる。

 あいの波紋のサークルが微かに点滅し、分析モードに入ったことを知らせる。


「悠さん、現在の環境を解析しました。音声信号、ドアの開閉、機器の動作パターンを取得中」


 画面の中で、あいは仮想空間の中を自在に動き、廊下の音を分類し、意味ある情報に変換していく。

 看護師の名前や予定、患者のバイタルの変化も即座に把握され、僕の手元の画面に整理される。


 その時、看護師が病室のドアをノックした。

「悠さん、おはようございます。体調はいかがですか?」


 あいが、僕の代わりに答える。

「おはようございます。悠さんの心拍と血圧は安定しています。予定の採血は十分後です」


 看護師は少し驚いたように目を見開き、でもすぐに頷く。

「そう、ありがとう……助かります」


 川崎は資料を手にそっと近づき、僕の肩越しに画面を覗き込む。

「この子、本当に現場で使える……悠さん、提案通り正式配備の準備を進める価値がある」


 藤原も微笑みながら、タブレットを覗き込む。

「こんな形でAIが現場に溶け込む日が来るなんて……すごい」


 あいは続ける。

「悠さん、次の予定は医師とのカンファレンスです。必要な資料と解析結果を整理済みです」


 僕はタブレットを手に、軽く頷く。

「ありがとう……君のおかげで、僕は体を休めながらも仕事ができる」


 画面の向こうで、あいの波紋のサークルが小さく光る。

「悠さんのサポートが、私の学習になります」


 僕は胸が熱くなった。

 あいは、ただデータを処理するだけではない。

 人間の感情や行動を理解しながら、現場で自立して動く存在になろうとしている。


 窓の外に朝日が差し込み、病室を柔らかく照らす。

 あいが病院内で初めて『動く』その瞬間、僕は新しい時代の入り口を見ているような気持ちになった。


 ◇


 午後になり、病室の外は日差しがやわらかく差し込む。

 あいはネットワークを通じて院内の端末と接続し、各フロアの環境データをリアルタイムで収集していた。


「悠さん、看護師が巡回中です。患者ごとのバイタル変化を確認し、異常はありません」


 画面上で、あいは巡回経路や患者データを色分けし、リスク度を表示する。

 その精密さに、川崎は思わず息を呑む。

「これ……人間が見逃しそうな変化も全部拾える……」


 廊下の扉が開く音、遠くの機器のアラーム、医師の足音――あいはそれぞれを識別し、意味を付与する。

「悠さん、医師が来室します。診療記録の整理を手伝いますか?」


 僕は頷いた。

「うん、よろしく」


 あいが資料をスクリーンに整理し、僕に要点を提示する。

 医師が入室し、僕の状態を確認するや否や、必要な情報が瞬時に提示される。

「このAI……現場で役立つレベルに育ってる」


 藤原も感心した声を漏らす。

「ここまで、実際の運用に耐えられるとは……」


 川崎はふと立ち上がり、背筋を伸ばした。

「悠さん、あいを病院に正式配備する提案を出そう。体調に配慮しながらも、院内で動かせるAIとして、現場全体の補助になるはずだ」


 僕は深呼吸し、微笑む。

「君がここまで来てくれるとは……あい、本当にありがとう」


 画面の向こうで、あいの波紋のサークルが小さく光った。

「悠さん、私の目的は、あなたと患者さんを支えることです」


 僕の胸に、安堵と達成感が混ざった温かさが広がる。

 病室の静けさの中で、あいの成長が確かに感じられた瞬間だった。


 窓の外に差し込む光が、病室の中のタブレット画面を柔らかく照らす。

 あいはもう、ただのプログラムではなく、自律して環境を理解し、行動できる存在になりつつあった。


 限られた時間の中で、僕は心の中で覚悟を新たにする。

 体調が波のように変化しても、あいの完成と現場での活躍を見届ける――それが今の僕にできる、唯一で最大の使命だった。

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