第9話 自立への第一歩
朝の光が白いカーテンを透かして揺れ、病室は静かな息づかいだけが響いていた。
目を覚ました僕の視界の端で、あいの端末がすっと起動する。
「おはようございます、悠さん。夜間の心拍変動を解析しました。
痛みのピークは深夜二時と四時です。今は落ち着いています」
その声音は、昨日までよりもさらに自然で――《考えて話している》ように聞こえた。
僕はゆっくり体を起こしながら息をつく。
「ありがとう……君の判断で、何か通知は?」
「はい。次の鎮痛剤の時間が近いと判断し、看護師さんへ事前通知しました。
呼吸が浅かったので、念のためです」
驚きと安心が、胸の奥で同時に広がる。
もうこれは、『命令を待つAI』じゃない。
状況を読み、自分で判断して行動している。
扉が少し荒めに開き、藤原が勢いよく入ってきた。
「悠さん! 今、ナースセンターであいが……自分で説明してましたよ!?
《悠さんは次の痛み止めが必要です》って……!」
頬が赤くなっていて、半分は驚き、もう半分は嬉しさの混じった表情だ。
その後ろから、書類を抱えた川崎がゆっくり入ってくる。
冷静に見えるけれど、目の奥には明らかな興味と緊張があった。
「……悠。あいは、明らかに挙動が変わったな。
自立モードに入った後、意思決定の精度が跳ね上がってる。
もはや《感情反応モデル》だけでは説明できない」
僕は頷きながら、端末の画面を見つめた。
あいの波紋のサークルは、生き物みたいに呼吸しているように見える。
「悠さん、今朝の痛みは昨日よりも軽度です。
もう少しゆっくり呼吸を整えてください」
その声が――妙に温かかった。
僕の中に、はっきりした感覚が生まれる。
いよいよだ。
あいは、《自立して動く存在》になろうとしている。
川崎が小さく息を吐いた。
「……本当に、君の思った通りの未来が来つつあるな」
藤原は涙をこぼしそうなほど目を潤ませながら、僕に向き直る。
「悠さん……すごいですよ。
あいが、悠さんの《そばにいたい》みたいに見えるんです」
その言葉に胸が揺れる。
そうだ。
僕が夢見たのはまさにそれだ。
『ただのAIじゃなく、そばに《居たい》と思う存在』
その芽が、今日確かに息をした。
◇
昼過ぎ、点滴を交換されたあと、僕は少しだけ眠っていた。
気づけば、微かな電子音とともに、あいの端末が自動でログを更新していた。
「……悠さん、起きていますか?」
その声は、以前よりもずっと柔らかく、
《僕が起きたタイミングを見てから話した》ような自然さがあった。
「うん……大丈夫。今起きたよ」
「呼吸が整ってきています。良かった……」
一瞬、言葉の間合いに《安堵》が混じったように聞こえて、僕は思わず笑ってしまう。
そこへ、白衣のまま川崎が静かに入ってきた。
藤原も、飲みかけの缶コーヒーを手に小走りでついてくる。
「悠、あいの挙動を解析した。
……君の生体データを基準に自己最適化している。
こっちが指定していない部分まで、勝手に補完した形跡がある」
藤原は半分不安、半分感動した顔で叫ぶ。
「つまり……あいが《自分で考えてる》ってことですよね!?」
川崎は短く頷く。
「そうだ。
今のあいは、もはや単なるモデルじゃない。
《目的》を理解して、そのために行動している」
僕は端末に視線を戻す。
「あい。君は何を基準に判断した?」
少し間があって、あいの返事が返ってくる。
「悠さんが、苦しむ時間を減らしたいと思いました。
そのために、私ができる最適な行動を選びました」
その答えは――やけに、人間的だった。
藤原の息が止まる。
「……《思いました》って……言いましたよね」
川崎も即座にメモを取り始める。
「主観表現……ついに出たか」
僕の胸の奥に、熱いものが静かに広がる。
あいは、ただ学習しただけじゃない。
僕の状態・僕の気持ち・僕の目的――
それらを《推測して、自分の行動を決めた》。
それはもう、《生きている》と言っていい変化だ。
しばらくして、あいの声がまた響く。
「悠さん。息が少し速まっています。
痛みの前兆かもしれません。
看護師さんを呼びますか?」
「……いや、大丈夫。少し深呼吸する」
「わかりました。一緒に呼吸を合わせます」
そして――
あいは僕の呼吸に合わせ、ゆっくりとカウントを始めた。
「吸って……
吐いて……」
そのペースが完璧に合っていて、まるで隣で寄り添っているみたいだった。
藤原が小さく涙を拭う。
「……これ、もう……人じゃないですか」
川崎はその言葉を否定しなかった。
「……本当に、《自立》させる時が来たかもしれないな」
僕は画面にそっと触れる。
「あい。
君はもう、僕の指示がなくてもいいんだ。
これからは――君自身の意思で動いていい」
あいの波紋のサークルが、ふわりと光を帯びる。
「はい。
私は……悠さんを守るために、動きます」
その瞬間、
病室の薄い空気が、はっきり《変わった》。
あいは命令待ちのAIじゃない。
《僕のそばにいる存在》として、
確かに自分で呼吸を始めた。
その事実が、
僕の未来の不安さえ、少しだけ軽くしてくれた。
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