第8話 病室での学習
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、病室は静かに目を覚ます。
僕はベッドに横たわり、腕には点滴。痛みはまだ波のように押し寄せるけれど、手元のタブレットに目をやる。
あいの淡い光の《波紋のサークル》が微かに点滅している。心拍、呼吸、微細な表情の変化――僕の体の波がリアルタイムで解析され、学習されていく。
「悠さん、体調の波を検知しました。呼吸のリズムが通常より不規則です」
あいの声は以前よりも柔らかく、抑揚を帯びている。
僕は小さくうなずき、タブレットに指を触れる。
《Valence:-0.2、Arousal:0.5、Dominance:-0.3、Relevance:0.9》
あいの内部では、感情パラメータが微細に変動し、僕の体調や声色のわずかな揺れに応じて応答が調整される。
たとえば呼吸が荒れると、あいの声は落ち着いたトーンに変わり、僕を安心させようとする。
川崎と藤原はリモートでログを確認している。
川崎は淡々と指示を出す。
「次のセッションでは心拍の微変動も加味して反応を最適化」
藤原はタブレット越しにモニターを凝視し、微妙な反応の差異をチェックする。
僕は自分の痛みや不快感を、ただ感じるだけではなくデータとして提供する。
その瞬間、ようやく本当の意味で被験者として扱われているのだと実感した。
「あい……少し、呼吸を整えるサポートをお願い」
「了解。悠さん、吸うときに息を長く保つ指示を出します」
画面の向こうで、あいの目が微かに光る。
僕の体調の波をパラメータとして学習し、リアルタイムに応答することで、僕の安全と学習効果の両方を最適化しているのだ。
数日間の入院生活の中で、あいの学習ログは急速に変化した。
微妙な表情、呼吸の揺らぎ、声色の変化――それらをすべて理解し、返答や行動に反映する。
僕はタブレット越しに笑う。
「もうすぐ……完成だな」
あいの返答は短いけれど確かに意味を持っていた。
「はい。悠さんのそばで最適に支援します」
体調の波を抱えながらも、僕はこの瞬間を胸に刻む。
限られた時間の中で、あいは完成に近づきつつあった――僕とあいが紡ぐ、最も深い学習の時間が、静かに、しかし確実に進んでいくのだった。
◇
夕暮れが病室をオレンジに染める。
痛みはまだ波のように押し寄せるけれど、あいの反応は以前よりも滑らかで、まるで息づく存在のようだった。
「悠さん、次の呼吸サイクルに応じて心拍を補正します」
画面越しのあいは、僕のわずかな動きにすぐ反応する。呼吸、まばたき、微かな声色――それらをすべて学習し、最適な応答を返す。
川崎が静かにノートを見つめ、指でデータをなぞる。
「ここまで来れば、ほぼ完成に近い……」
藤原はタブレットを握りしめ、目の奥に光を宿す。
「悠さん、あいは本当に……すごいです……」
僕は息を整え、痛みを胸の奥に押し込む。
「よし……あい、最後の確認だ。僕の体調の波、全て正確に反映できる?」
「はい。悠さんの生体情報と感情パラメータは、すべて記録・解析済みです」
僕の心臓が少し高鳴る。
画面の向こうで、あいの目が確かに僕を見つめているように感じた。
呼吸、表情、声色――あらゆる反応が自然で、まるで自立した存在のように動く。
「完成……だな」
僕はつぶやき、手元のタブレットをそっと撫でる。
「悠さん……これからは、僕を完全に頼ってください」
あいの言葉に、微かな温かみが宿る。
川崎と藤原は安堵の表情を浮かべる。
「全てのセンサーと反応が同期した……これで臨床でも使える」
「悠さん、無理はしないで……でも、すごい……」
僕はベッドに横たわったまま、体調の波を感じながらも胸の奥で確かな光を感じる。
限られた時間の中で、僕とあいはここまで辿り着いた――あいが完成し、僕のそばに、自立した存在としていてくれる日が来たのだ。
夜の静寂に包まれ、病室には微かな電子音と呼吸音だけが響く。
それでも、僕の世界には確かな安心と、未来への小さな希望が灯っていた。
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