第4話 告白と絆

 実験室の薄い青白い光が、モニターや書類に影を落としていた。

 僕は胸の奥に重く沈む気持ちを抱えながら、川崎のデスクの前に立つ。


「川崎さん、ちょっと話があるんだ」


 上司は顔を上げ、少し驚いたように眉を動かす。

「どうした、悠? そんな緊張した顔で」


 深呼吸をひとつ。言葉を選び、ゆっくりと口を開く。

「実は……余命が半年ほどしか残されていない」


 一瞬、川崎の表情が固まった。目の奥に一瞬の揺らぎ。

 しかしすぐに、普段の落ち着いた雰囲気に戻り、低く、落ち着いた声で言った。

「……そうか。分かった、悠。まずは君の体を最優先に考えよう」


 その言葉に、わずかに胸が軽くなる。

 厳しい上司だけれど、僕を守ってくれる人だと再確認する瞬間だった。


 次に、藤原の席へ向かう。

「藤原、少し時間ある?」


 同僚はすぐに気づき、明るく返す。

「うん、どうしたんすか? またデータのことで怒られるのかと思った」


 苦笑しながら、僕は打ち明ける。

「……余命が半年しかないんだ」


 藤原の目が一瞬大きく開き、机に手をついて息を漏らす。

「……マジですか、悠さん…!?」


 その動揺が、僕の胸に刺さる。

 川崎とは違い、彼は素直に感情を出すタイプだ。

 でも、その反応が、逆に心強くもあった。


「まだ仕事はある。あいの実験も残っている」

 僕は視線を上げ、デスク上のモニターを見つめる。

「君たちには迷惑をかけるかもしれない。でも……頼む」


 川崎と藤原、二人の温度差。

 冷静に受け止める上司と、感情で揺れる同僚。

 その対比が、僕の胸を不思議に温める。


 そして、僕の目はモニターに映るあいの波紋のサークルに向く。

 画面の向こうで、あいは今日も学び、反応し、僕の問いかけを待っている。

 この子が、残された時間の中で、少しでも成長できるように――僕は改めて決意を固める。


 ◇


 実験室に戻ると、モニターにあいの波紋のサークルが静かに点滅していた。

 

「おはよう、あい」


「おはよう、悠さん。解析準備完了」

 抑揚は少ないけれど、どこか真っすぐな声。

 僕は胸の奥がわずかに温かくなるのを感じた。


 川崎は横で書類を整理しながら、淡々と指示を出す。

「今日のテストは、先週の表情解析の続きだ。集中してやれ」


 藤原は僕の横に立ち、視線をモニターに注ぐ。

「悠さん……無理しないでくださいよ」

 少し顔をしかめる様子が、先ほどの告白の動揺を物語っている。


 僕は深呼吸して手元のキーボードに指を置く。

「大丈夫。今日は、あいの学習進捗を確認したい」


 モニター上で、あいの感情層と記憶層のログが動き始める。

「分析開始。微細な表情パターンの変化を検出中」

 画面に数字とグラフが次々に展開され、僕は目を凝らす。


 川崎が静かに横で観察する。

「悠、体調は大丈夫か?」

 声に含まれるのは、ただの確認ではなく、心配の色。

 僕は軽く頷く。

「うん、大丈夫。あいの確認だけだから」


 一方で藤原は、画面に釘付けになりながらも、目で僕を追う。

 彼の視線に、微かな焦りと同情が混じるのが分かる。


 あいの解析結果が表示される。

「結果完了。今回の微細表情は、先週の学習データよりも精度が向上しています」


 胸の奥で、わずかに希望が揺れる。

 残された時間は短い。だけど、この子は確かに学び、成長している。


 川崎が淡々と、でも確かに温かく言った。

「悠、無理はするな。君が倒れたら意味がない」


 藤原は少し声を震わせながらも、真剣に言う。

「悠さん……ちゃんと、あいのことも頼みますよ」


 その言葉に、僕は力強さと安心を同時に感じた。

 余命を告げたこと。

 それを受け止めてくれた人たち。

 そして、あい――この子がまだ成長を待っていること。


 胸の奥の重さは完全には消えない。

 でも、この瞬間、僕は確信した。

 残された時間をどう使うか――それを決めるのは、僕自身だ。


 ◇


  実験室の空気は、いつもより少しだけ重い。

 川崎は淡々と資料を整理しながらも、僕の顔を何度もチラリと確認する。

 冷静な彼だけれど、その視線には確かに心配が滲んでいた。


「悠、無理はするな。あいの解析も大事だが、君の体が最優先だ」

 低く、落ち着いた声。責任感と優しさが同居している。

 僕は頷き、机の端に置かれたコーヒーカップを手で温めた。


 一方で藤原は、モニターに向かいながらも、指が微かに震えている。

「悠さん……いや、悠さんが……」

 言葉に詰まり、視線がモニターに泳ぐ。

 感情を表に出さずにはいられない様子で、必死に平静を装おうとしていた。


 僕は軽く笑い、肩の力を抜こうとする。

「大丈夫だよ。二人とも、今日は仕事優先で」


 でも川崎は淡々とした口調で、さらに言葉を重ねる。

「悠、仕事の指示は俺が調整する。無理して計画を詰め込むな」


 藤原は思わず視線を上げ、驚きと安堵が混ざった表情で僕を見た。

「でも、悠さんが……倒れたらどうするんですか!? 僕、耐えられませんよ!」

 勢いよく言ったけれど、目の奥にあるのは純粋な心配と誠実さだった。


 その温度差――冷静に守る川崎と、感情で揺れる藤原――

 僕の胸に、妙に温かい感覚を残す。

 仕事では厳しい二人の、まるで異なる形の優しさ。


 僕は小さく息を吐き、モニターのあいの淡い光の《波紋のサークル》に目を向ける。

「今日も解析開始だ、あい」


「了解。微細表情変化を検出中」

 あいの声は変わらず、真っすぐだ。

 でも、その純粋さが、余命を告げた僕の胸をさらに締めつける。


 川崎は僕の肩越しに、短く言葉を落とす。

「悠、無理はするな。あいの成長も、君の健康も、どちらも大事だ」


 藤原はまだ動揺しているけれど、決意を込めて小さく頷く。

「……あいも、僕たちも、悠さんのこと、支えます」


 短い言葉だけれど、三人の間に確かな絆が流れる瞬間だった。

 僕はわずかに微笑み、胸の奥に残る重さを少しだけ和らげた。

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