第3話




 ウルとジャイロ。二人に与えられた任務はまずこの惑星へと無事に到着することだった。

 それは随分、昔の話だ。だからまるでもう誰かから聞かされたお話のように思えた。

 地球からここまで来る道中、幾多の試練が彼らを待ち受けていた。そしてそれを乗り越えた。それは張り詰めた神経下でじっと椅子に座って計器を睨む、といったような困難さだった。

 この惑星の地表へ足を降ろした時おれたちは自分が何か成し遂げたようなそんな充実感に酔いしれた。だがそれは所詮、一つの区切りでしかなく更に大きな始まりの一つに過ぎなかったのだ。この惑星で初めての夜を明かし次の日の朝にはもう跡形も無く消滅している達成感だった。

(ああ……こんなことになるなんて思いもしなかったんだ)

 ジャイロは思った。

 あの日、ウルが拾って来た冷蔵庫の中の生命体。あいつはこの星の至る所に生息していた。探索で地表を歩けば必ず二度三度は遭遇する。

 そいつを初めて見たのは、まだおれたちが与えられた職務を真面目にこなしている頃だった。その時、ウルはおれたち全員から『隊長』と呼ばれていた。

 あの生き物を発見した。外観はよくある単細胞生物そのもので、生態学を専攻していたイワンが独自のスキャナーで解析した。おれたちにはよくわからない専門用語を幾つか述べた。

「……つまり一体どういうやつなんだ?」

 隊長のウルが尋ねた。

「人畜無害の先住民さんですね」

 やや皮肉を込め、イワンはそう言った。組成の殆どは水でおれたちのような知的生命体からはかけ離れた原始的な生体構造だと述べた。

 だがイワンは見抜けなかった。

 この惑星の生態構造はおれたちの拠り所としている知識とは大きくかけ離れていたのだ。そいつは……そいつは見掛けほど単純なやつではなかった。そのことに気付いたのはずっとずっとあとになって、何もかもが手遅れになってからだった。

 あの時イワンは光化グローブを脱ぎ捨て指先で直接そいつに触れた。探究心を抑えられなかったらしい。掌の上に乗せ観察した。

「あは、もちもちしていますよ」

 無邪気にそう言った。

「イワン、今すぐにそいつを捨てろ」

 隊長のウルが命令した。続けた。

「この惑星での不用意な行動は避けろと教わらなかったか? お前は今、長い旅を終えようやくここへと辿り着いたことにより正常な判断力を失っている。普段は誰よりも冷静だが、今は炭酸の抜けたソーダみたいになっちまっている」

 イワンは生き物をゆっくりと足元へ置いた。暫くイワンの周りを無軌道に這っていたがやがて帰るべき場所を思い出したのか、直線的に何処かへ去った。イワンは言った。

「冗談ですよ、隊長」

 だがウルは彫像のよう動かない。

「すいませんでした。以後、気を付けます」

 再びおれたちは探索を開始した。

 惑星への到達を可能にしたのはこの小さな集団の中で絶対的な縦社会を形成したからだ。何よりも優先すべきなのは規律だった。隊長だってわかっていたのだ。イワンが大丈夫だと言ったのなら大丈夫なのだろうと。

 だが大丈夫ではなかった。

 おれたちはあの時、既にある罠へと足を踏み込んでいたのだ。

 イワンが失踪したのはそれから数日が経ってのことだった。グニャグニャになった寝具だけを抜け殻のよう残し、中身は忽然と何処かへ消えてしまった。

「あの馬鹿が」

 みんな揃っての朝食の席で固形食品を齧りながら隊長のウルは言った。

 イワンはそれきり姿を現すことはなかった。誰も、何も、言わなかったがおそらく死んだ。ドームの外は陽が沈めば氷点下まで気温が下がる。残されたおれたち六人は予定されていた発掘作業へとすぐさま移行した。イワンの失踪を母星に伝えたが返って来た答えは「続行」だけだった。それはわかっていた。おれたちは遊びに来たわけではなく、莫大な資金がプロジェクトには費やされていた。

 何かがおかしくなったのはきっとあの探索のあとなのだろう。

 イワン失踪から数日が経過すると、今度は探索へと出たきり定刻になっても戻って来ない隊員たちが出て来るようになった。さっきまでそこにいたのにふらりと途中でいなくなってしまうのだ。そしてもう二度と姿を現すことはなかった。何かが起こっていた。おれたちには想像もつかない何かが。

「原因がわからないのです。ただこれ以上の調査は危険です。一刻も早く帰りの燃料を積んだ補給便をこちらへと送って下さい」

 だが期日になって送られて来たのはやはり食料だけだった。

 やがて母星との通信が途切れた。

 皆、混乱した。

 隊長のウルだけが冷静だった。

 何故なら……何故ならあいつがおれたちの仲間を食糧として連中に差し出していたからだ。

 何もかも気付くのが遅すぎた。ジャイロは呻いた。

 あの時、ああしていれば……。

 皮膚から直接、侵入が可能で、相手に寄生し宿主の脳へと辿り着く生き物。そしてウル、あの野郎は……一度この星に来ていた。

 データベースの記録を遡ると記録が残されていた。前調査隊の一員として、まだ若かったウルはこの地に既に足を踏み入れていた。その時、行なわれた調査は必要最低限の計器だけを設置するという次の段階への道しるべ的なものだった。隊員たちは早々に地球へと帰還した。だがおそらくウルは触れてしまったのだろう、あの生き物へ。

 ウルの脳に巣食った細胞片は徐々に成長し、宿主との比率を入れ替えた。本来ウルだったものと、新たな影響下によるもの。

「どうしても、行きたいんです」

 一度、帰還した操縦士が再び宇宙へと飛び立つのはそうよくある話でもない。

「おれはどうしてもあの星へともう一度、行かなくてはならないんです」

 新人隊員だったウルが、ジャイロたちの部隊の隊長となる頃、そいつはもはや最初の個性からは大きくかけ離れていた。今となってはそれを比較し確かめる術は無い。

 おれたちはそれぞれの夢や希望を抱え、宇宙空間の闇の中へと身を投じてしまった。この時点で既に結末は確定していた。



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