雨天
その日はなんとも陰鬱な空模様だった。
水分をたっぷり含んでいそうな分厚い、重そうな雲が空を覆い、昼過ぎになっても薄暗かった。
どうにか保ってくれよ、と願ったが、残念なことに試合が始まって一時間ほど経った頃に、殴りつけるような雨が降ってきた。ドームの中にいても分かるくらいの大雨。屋根が閉まっているので、試合に影響はないのだが、こんなにいかにも降りそうな空模様だったのに雨具を持ってくるのを忘れてしまっていた僕は憂鬱な気分になった。もし試合が終わっても雨が止まなければ、傘を買わなければならないだろう。余計な出費だ。僕はこの手のミスが多く、家には大量のビニール傘が眠っている。
僕が父から相続した口座には、遺産の他、毎月振り込まれてくるお金がある。金額は学生の頃は三○万ほどで、就職してからは二○万ほどになった。詳しくは知らないのだが、おそらく株の配当金ではないかと思っている。振込人のところに会社らしき名前が書かれているためだ。どこの会社だろうと思って調べてみたが、同名の会社が多くてどこなのかは突き止められなかった。自身の早逝を予感して、将来のために投資をしていたのだろう。
それに加えて僕自身の給料もあるわけだから、ビニール傘を一本買うくらいなんてことないのだが、その日は雨がやんだタイミングで帰ろう、と思った。というのも、その日は随分とひどい試合だったのだ。一回から一挙七点を取られ、その後も二点、三点と複数得点を許し、四回終了時点で既にスコアは○対十二。守れないわ打たれるわで、散々な有様だった。既に何人かの観客は帰り支度を始めている。
六回で相手チームの主砲にスリーランホームランを浴びた瞬間、よしもう帰ろう、と僕は立ち上がった。雨の音は聞こえなくなっている。スマホで天気予報を調べると、この時間帯は曇りになっていた。しかし、またあと一時間もすれば雨が降り始めるようだ。これでは帰る時間にかち合ってしまう。今帰るのが得策だろう。
果たして、外に出ると雨は降っていなかった。空は相変わらず曇っていて、いつ降り出してもおかしくなさそうではあるが、急いで帰れば大丈夫だろう。
球場のトイレでユニフォームから私服に着替え、僕は電車に乗り込んだ。家と球場は、電車で十分ほどの距離だ。運転免許は持っているが、車は持っておらず、あまり運転しない。職場も近いし、そもそも都会に住んでいると、移動手段には不自由しない。
家に着き、ふと窓を眺めた。家の窓からは明かりが漏れている。あの位置はリビングだ。ノリがゲームをしているのだろうか。
我が家は平屋で、玄関の先にあるドアを開けるとすぐにリビングがある。リビングを出ると廊下が続いていて、廊下の右手側にトイレ、脱衣所、風呂があり、左手側に書斎兼父の部屋、反対側に僕の部屋、ノリの部屋がある。廊下を挟むような間取りなので、どこへ行くのもすぐだ。
父の部屋は、本があまりにも多いので、埃を払ってゴミを捨てるくらいの掃除しかできていない。遺品整理をしないとなあ、と思う反面、父の部屋はあのままにしておきたい、とも思う。とりあえず今は、まだほとんど手付かずのまま残してある。
玄関のドアについている鍵穴に鍵を挿し、回す。ガチャリと音がした。そして僕がドアを開けた、その瞬間。
僕と同じくらいの大きさの塊が飛び出してきた。
真っ黒いレインコートのフードをかぶり、ボタンを前まで閉めていたが、僕にはそれがすぐにノリだと分かった。
「ノリ!」
慌てて追いかけようとしたが、家の中から凄まじい異臭が漂っていることに気づき、足を止めて思わず家の中を見た。リビングに続くドアは閉まっている。
はっとして僕がもう一度振り向いたときには、既にノリの姿は消えていた。僕の家の周りはやたらと曲がり角が多くごちゃごちゃしている。どこの角を曲がったのかも分からない。
仕方ない。ノリを探すのはあとだ。それより、この異臭は……。
僕は急いで家の中に入り、玄関のドアを閉め、一度鍵を掛けた。しかし、思い直してすぐに解除した。もしかしたらノリが帰ってくるかもしれないと思ったからだ。
靴を乱雑に脱ぎ、立ちはだかるドアを見る。リビングに続くドアは引き戸になっている。よく見ると、ほんの少しだけ隙間が空いていた。
そこから、異臭が漏れていた。正確に言うならば、とても強い鉄の臭い。
嫌な予感がする。
僕はドアの隙間を覗きこんだ。隙間は非常に狭く、部屋の中はよく見えない。ただ、視界が赤黒い、ような気がする。
嫌な予感は、さらに強くなった。
まさか。そんなはずはない。
どうか、どうか、僕の勘違いであってくれ。
僕はそう強く願いながら、ドアを開けた。
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