タツの回想
父である城戸文昭と過ごした時間は、そう長くはない。
記憶らしい記憶があるのは、六、七歳くらいの頃からだろうか。それ以前の記憶は、随分と断片的で朧気だ。
ともかく家を空けることが多い父だった。研究所に篭もるか、病院にいることがほとんど。病弱だったらしく、家のベッドに臥せっている姿もよく覚えている。
そんな父が、僕が八歳のある日に、ノリを連れてきたのだった。
「彼は、おまえのクローンだ。もうひとりのおまえだよ。兄弟だと思って、仲良くやりなさい」
当時の僕は、クローン、という言葉の意味もよく分からなかった。ただ父から、科学的な技術で生まれた僕の双子の兄弟のようなものだ、と聞かされ、なんとなくそれで納得した。いきなり自分と瓜ふたつの存在が現れるということは恐ろしいことなのかもしれない。けれども僕はまだ幼かったし、元来の素直な性格も手伝ってか、そこまで拒否感を覚えることはなかった。むしろ僕は、ずっときょうだいが欲しかったから、気の合う同い年の男の子であるノリの存在は嬉しかった。
父は僕に強く言い聞かせた。
「いいかい。ノリのことは、誰にも話しちゃいけないよ。お友達にも、学校の先生にも、おじいちゃんやおばあちゃんにも。それから、人の目に触れる場所には、ノリは行けないんだ。家の外で二人で遊ぶのも駄目。家の中だけ、それも窓の近くは避けなさい。分かったね」
「分かったけど、どうして?」
「タツにもいつか分かるときが来るよ。ともかく、お父さんとの約束だからね。約束を破ったら、ノリとは一緒に暮らせなくなるよ」
「それは嫌だ」
「じゃあ、お父さんとの約束、守れるね」
「うん」
実際に、「分かるとき」はやってきた。中学生にもなると、スマホは与えてもらえていなかったけれど、気になることは図書館のパソコンで調べるようになった。そこで僕は、クローン人間の作成が法律で厳しく禁止されていることを知った。父がノリを人目につかないようにしていたのは、ノリが法律で禁止されている技術で生まれた人間だったからなのだ、と理解した。
法律で禁じられている理由を色々と調べたけれど、どれも納得はできなかった。倫理、人道的な理由と言われるけれども、実際のところ、僕もノリも楽しく生きている。それなのに、「倫理観」などという曖昧なもので、ノリの存在を否定してほしくはない。安全性、という理由もあるらしいけれど、少なくともノリは健康だ。第一、どんな研究だって最初はリスクがつきものじゃないか。安全性の問題なんて、あとからとってつけた理由としか思えない。
ただ、そんなことを言う相手は、もう僕にはいなかった。父は僕が小学六年生のときに、病で亡くなってしまったからだ。
結局父は、ノリを作ってからも何かと研究所に入り浸りだったし、病も悪化していたので、家族としての思い出はほとんどないまま旅立ってしまった。そのため、悲しさも好きな絵本のページが一ページ抜け落ちてしまったような、お気に入りの玩具を失くしてしまったような、そのくらいのものだった。薄情だと思われるかもしれないが、それが正直なところだ。
母はいない。僕が小学生になる前に、離婚していなくなってしまったらしい。母に関する記憶はほとんどないが、なんとなく苦手だった、という気はする。
父は家にいないことが大半ではあったが、僕たちのことを放置しているわけではなく、帰ってきたときにまとめて家事をしていた。おかずを作り置きし、温め方などを僕たちに教えた。スマホはなかったけれど固定電話はあったので、困ったことがあればすぐに電話するように、と言われていた。
父が亡くなり、家のことをすべて自分たちでしなければならなくなったけれど、家事のやり方は父から教わっていたし、研究者としてよほど稼いでいたのか、金庫には――父が遺書に暗証番号を書き残してくれていた――お金が山ほどあったので、掃除さえしておけば、食事はすべて宅配でも事足りたので楽だった。光熱費や家賃などは、父の口座から自動で引き落とされるようになっていた。
それに、父の死後、我が家を定期的に訪れてくれるようになった大人がいた。だから僕とノリの二人暮らしは、案外、気楽なものだったのだ。
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