第7話 リソルツィオーネ

「ごめん。お待たせ。起こしてくれても良かったのに」


 テーブルの上には、お母さん作『レタスとトマトの鮮やかサラダ』と『ナス、ズッキーニとパプリカの揚げ浸し』が大皿で置いてある。

 ラップされた料理を前に椅子には二人の姿。


「おかえり、凜。少しは休めたの?」


「りんちゃん、おはよう!」


 二人の声を聞いただけで、冷え切っていた胸の奥に、ぽっと灯がともる。


「ただいま。おはよう。待たせてごめんなさい」


 お母さんが席を立ち、キッチンへ向かう。


「温めなおしてくるので座って待っていてね」


 次々と並べられていく料理。


 ご飯に味噌汁と、鶏肉の黒酢炒め。 

 私の好物で、私が疲れたときに作ってくれる定番だ。

 黒酢の甘酸っぱい湯気が鼻をくすぐり、眠っていた胃袋を容赦なく刺激してくる。


「おいしそー」


「おなかすいたよね」


「では、いただきます」


 二人の顔を見ながら、もぐもぐと箸を進める。

 でも、これだけは訊いておかないといけない。


「で、どうして綾音がいるの?」

「りんお姉ちゃん、どういうこと?」


「なんか馴染んでるけど、あなた、うちの子じゃないでしょ?」

「ひどい…………。妹いびりが過ぎる」


 目に涙を浮かべながら、悲しげに俯く。

 ……なんて名演技だ。

 いやいや、断じて妹ではない。


「あなた、お名前は?」

「みやした あやね。さんしゃいです!」


「宮下さんちは、広瀬さんの家のお隣よね?」

「そうだね?」


 頭が痛くなってきた。


「凜、あやちゃんは、凜に大事な話があって来てくれたそうよ」

「そうなんです。おばさま!」


「えー? 単にお母さんのご飯を食べに来たんじゃなくて?」

「いや、それもある。だって、おいしいんだもん!」


「私もまだ聞いてないのよね。何の話かしら。凜の早帰りと関係あるの?」

「さすが、おばさま。お察しの通りです!」


「りんちゃんには、明日から金管バンドに移籍してもらうことになっていて、その打ち合わせに来ました」

「金管バンド? テニス部の部長はいいのかしら」

「そこはほら。りんちゃんの引き継ぎは完璧ですし、副部長の恵美、ん゛ん、吉田さんもしっかりしてるので大丈夫みたいですよ」


「うち、いまパーカッションが抜けちゃって、ピンチなんですよ。来月の学園祭、このままだとドラムなしになっちゃうの。その後の演奏会も近いのに。りんちゃん! お願いね!」


 何を言っているんだ……。

 怒濤の展開に頭が付いていかない。



 ***



 しっかり心身への栄養補給を終えた夕食の後、話を聞きたがるお母さんには悪いけど、部屋に戻って綾音と向かい合う。

 

 これでやっと落ち着いて話ができる。


「それで? ちゃんと説明してくれるんでしょうね」


「うん」


「まず最初に、りんちゃん、ごめんね」


「おばさまに何をどう話すかとか、りんちゃんの考えがあったと思うけど、ぶち壊しちゃったよね」


「まあね。壊されるとか以前に何をどう伝えていいか悩んでいた段階だから、正確には壊されてはいないけど」


「おばさまへ伝える前に、りんちゃんを起こして相談しようかと一瞬だけ思ったんだけど、部屋に来てみたら可愛らしい寝顔ですやすや寝てたからさ。しばらく鑑賞してたけど、相談に関しては秒で諦めた」


 いや、そこは諦めちゃ駄目なとこでしょ。私の人生かかってるんだから。


「そもそもの話として、真正面から伝えても断られるのがわかりきってるからさ。既成事実を積み上げる方向で?」


「そりゃまあ、普通に考えて断るけど。私、楽器は小学校の鼓笛隊以来、授業でしか触ってないよ」


「大丈夫、大丈夫。生まれたときからティンパニ叩ける人なんていないし」


「小学校の鼓笛隊だって、四、五、六年で三年間もやったじゃない。小太鼓の演奏もグロッケンに棒をつけたやつ、あれなんて言うんだっけ? あれも上手だったよ。沿道の人もみんな注目してた! 少なくとも私のピアニカよりは……。りんちゃん、姿勢いいから格好良くて目立ってたしっ! ぐぬー」


「そりゃ、全力で練習はしたけどさ。今の金管バンドで役に立つような技能じゃないよね?」


「もちろん、大丈夫だよ。わずか数年前! ドラムもスティックも変わってない変わってない」


「いや、そこじゃなくて。小学生の、子供レベルの鼓笛隊って話よ。それも何年も前の」


「鼓笛隊とか子供レベルとか言うからだよ。言葉だけ言い換えてみるから聞いててね」


「『私たちがマーチングバンドを始めたのは九歳。それ以来小学校卒業まで毎日練習してました!』

 ほら、どう? 行ける行ける」


 ビシッと効果音が鳴りそうなドヤ顔で親指を立てる綾音に、私は軽いめまいを覚えた。

 なにがどう行けるのか。詐欺師の手口そのものじゃない。

 けれど、その強引さが今は少しだけ頼もしく、そして温かい。


「やるにしても……。たしか、演奏会が近いって言ってたでしょ? 来月の学園祭はさすがに戦力外としても……。え? 学校のクリスマスミサのトーンチャイムだよね? 秋の全国コンクールじゃないよね?」


「……」


 なんで目を逸らすの?


「まあ、冗談はさておき。りんちゃん、テニス部の件はひどい目に遭ったね。あんまりだよ」


「んー。ものすごく疲れたし、恵美ちゃんにも迷惑かけたけど、私の力不足だよね。遠坂部長は問題なく運営してたわけだから。私には何をどうすれば良かったのか、未だにわからないんだけど」


「綾音もそのために金管移籍なんて冗談を口実にして来てくれたわけでしょ? ほんと迷惑かけっぱなしだ。ごめんね」


「もう済んだことは忘れないと。りんちゃん放っておくといつまでも悩むから。冗談じゃなくて、金管においでよ」


「うん。もう少し気持ちが落ち着いてから、何をどうするかちょっと考えてみる」


「はい、これ」


 ん?

 手渡されたB5サイズの紙を眺める。


「今学期の練習予定表?」


 疑問を浮かべる私に、綾音は可愛らしいウィンクで答える。


「明日の集合は三時半に第二音楽室。初日は手ぶらでいいよ。自前のスティック、まだ持ってれば持ってきてもいいけど。じゃね。また明日、音楽室で!」

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