第5話
夕方、着替えとメイク落としをタオルで器用に丸めて両手で大事そうに抱え、お風呂を貸してもらいに老婆が住んでいる母屋へと向かう。
幸運なことに離れにサンダルがあったので、それを使わせてもらう。当然、悲惨な汚れ方をした靴は洗って干した。
引き戸を開けようと思い、その前に呼び鈴を押そうと探すがなかった。
何も言わず入るのは、さすがにマナー違反だと気が引けたので一応声をかけた。
「ごめんくださーい。おばあさ~ん、入りますよー」
ガラガラと音を立てながら戸が開く。建て付けが悪く、少し開けにくい。
もう一度、念のため声をかけた。サンダルを脱ぎ、高めの上り框に膝をつき、それを揃える。
初めて入る知らない家はなんだか怖い。
しまった。お風呂の場所をきいていなかった。
「んもぉ~、本当にバカ…」
ため息を吐きながら廊下を右へと曲がり、奥へと進んだそのとき
「誰がバカなんだい?」
ビックリした!
持っていたタオルを落としそうになった。
老婆とは違う男の人の声。まさか、老婆以外の人物が住んでいるとは思ってもみなかった。
「だ、誰ですかっ!」
「そりゃあこっちのセリフだ」
お決まりのやり取りのあと、声の主が現れた。
第一印象は
”むさくるしい”
ところどころ白髪が混ざった髪を一つに結び無精髭。作務衣のような服を着ていて靴下は履いていない。今の時代に、いかにも変わり者の格好だ。
少しつり目で、おそらく引きこもりなのだろう。色白だ。
外にも出ずにゲームやPCいじりばかりしているであろう猫背。
この容姿から察するに私と同年代ではないのか。
昔見ていたアニメの話とかしたら盛り上がるかもしれないが、したくない。
なんだろうこの感じ…なんか…なんかイヤだ!
生理的にイヤというより近づいてはいけない感じ。
壁に寄りかかってこちらを見つめる男に、とりあえず謝ろうと思い声をかける。
「あ。スミマセン。私、先日この島にやってきて、おばあさんにお世話になってます。佐藤ヒサエと申します。今、離れをお借りしてて、お風呂に入りにこちらに来たんです。誰もいないと思ってたからビックリしちゃって」
「そうだったんか」
だったんか?
それだけかい?
私は自己紹介したのに?
あなたナニモノ?おばあさんとどういう関係?と訊きたかったが、そういう雰囲気ではなかったので黙った。
「死にたい人やろ?」
一瞬なにを訊かれたのかわからず止まった。
数秒考え「そうです」と答えるのもおかしいと思い、微笑んで誤魔化したが、早くその場を離れたそうな空気が相手にも伝わったのだろう
「風呂はそこ真っ直ぐ行きゃあわかるけん、ゆっくり入りい~」と、すんなり教えてくれた。
男が言った通り、風呂の場所はすぐにわかった。
床が軋む脱衣所で、少しばかり警戒しながら裸になり風呂場のガラス扉を開くと水色のタイル張りの二畳ほどの広さがある風呂場が現れた。
予想通り古びてはいたが、きちんと掃除が行き届いており不快感はなかった。
悪いがシャンプーも石鹸も使わせてもらうことにした。
もし風呂椅子があったとしてもソレは使わないだろう。他人が裸で使っている椅子など、使いたくないし使われたくないだろう。
シャワーは付いていなかったので湯船のお湯を浴びる。我が家と同じだと、変な親近感が沸いた。
昨日から落としていない僅かに顔に残っているヨレヨレのメイクを落とし、頭を洗い、体を洗う。
あんまりお湯を使うのも良くないと思い、遠慮がちに浴びた。
湯船に浸かる。いい湯加減で思わず
「ふぅわ~」と声が出た。
昨日からの疲れが癒やされていくようで幸せを感じた。
——なんか、旅行みたいになってるじゃん。
ここへ来る前より気持ちが晴れているのがわかる。
——ただ環境が変わっただけだから…根本的にはなにも変わってないからな。
自分に言い聞かせるように呟き、湯船から出た。
風呂から帰る時にはさっきの男はいなくなっていた。
トイレにでも行っているのだろうか。女の風呂上がり姿を見るのは失礼だと隠れているのだろうか?いや、そんな気遣いはしなさそうだな。おかげですっぴんでも堂々と帰った。
離れへと戻る途中、ふと思った。
「なんで水道があるのに老婆はわざわざ川の水を汲んでいたのだろう?」
翌日、自然と目が覚めると七時四十分だった。
起きる時間が体に染み付いている。あぁ、いやだいやだ。
のろのろと起き上がり、洗面台でキッチンに置いてあったマグカップに水を注ぎ、口をゆすぐ。洗顔料なしで顔を洗うと小鼻の辺りに自分の皮脂を感じ、軽く後悔した。
化粧水を塗り、顔全体に薄くBBクリームを延ばす。
自宅で身支度する時はいつもテレビをつけっぱなしだったので、何もない静けさがすごく不自然だった。新聞がないのもなんとなく不安になる。しかし、今の立場上そんなことを言ってはいられない。
髪を手櫛で整えて、寝ていた時と同じ長袖のTシャツとジャージ姿で外へ出る。
干した靴を触るとまだ完璧に乾いてはいなかったので、サンダルをつっかけて出かける。
日差しを浴び、伸びをする。たったこれだけですごく健康的になった気がする。
川…もとい、老婆を探して歩く。
歩く、野原、歩く、公民館のような建物、歩く、石碑、歩く、森。
そうだ、この辺だった、いるかなぁ。
いた。
もう水を汲み終わってこちらに歩いてきている。
手を振ると気付いたみたいでニコニコしていた。
「おはようございますっ!」
「あ~、おはようねぇ~。よく眠れたか~い?」
「はい。おかげさまで。あんなにいい部屋で暮らせるなんてありがたいです」
「いいのよぉ~う」
「食品までいただいてしまって、ありがとうございました!美味しくいただきました」
「あぁ~それはよかったよ~う。足らなくなったら、いつでも言ってもらっていいからね~え」
会話が途切れたので、そこで桶に気付いたテイを装い、話しかける。
「あ、重たいからお水持ちますよっ」
「いいのよぉ~」
そう、水!このことも訊きたかった!
「あの、おばあさん。家に水道があるのに何でわざわざ川に汲みにいくんですか?ちょっと昨日から気になっちゃって、今日は絶対に訊くぞ!って思ってました」
「この水はね~え、私が使うんじゃなくてツキナ様にお供えするのよ~う」
出た!ツキナ様!
恐る恐る、尋ねてみる。
島に来る前の私だったら絶対にスルーしてしまう話題だが、なんだか訊いておかないといけない気がした。
「あのーー、その、私を選んだっていう、ツキナ様ってなんですか?」
「あぁ~、そうだったわね~え、一緒に行きましょうか」
一緒に!
行くッ!?
怖い怖い怖い!
宗教絡みは怖い!
洗脳とかされるのかしら。
お金取られるのかしら。
壺とか印鑑とか買わされるのかしら~?もう、今更そういうのいらないんですケド~!
ハッ!もしかして、昨日の食べ物はこうやって騙し取られた人のお金で購入されたモノなのかしら!
この心配が顔に出たのだろう、老婆が
「そんなに不安にならんでもい~よぉ~」と相変わらず間の抜けたセリフを発した。
私をそのツキナ様のところに連れて行く気満々な老婆のあとを水を抱え、一歩下がってついて行く。
もう一つ思い出した。
老婆の名前だ。
「あの、私、自分の名前も言ってなくて、おばあさんの名前も聞いてないんですけど
「ハナだよ」
全て言い終わる前に答えてくれた。
ハナ…ハナちゃん。なんてかわいい名前。猫みたいな名前だと思ったが、さすがに口に出すことは憚られた。
「私はヒサエです。なんか私の方がおばあちゃんみたいな名前ですね」
へへっと照れ笑いしていると老婆が
「いいじゃあないの~」とニコニコしていた。
さっき歩いてきた道の石碑の横に細い道があり、老婆はそこへと入っていった。
あの石碑は目印だったのか…。
少し歩くと道の両端を背の高い竹が覆い、こんなに天気がいい日でも薄暗く不気味な雰囲気を漂わせていた。
「もおすぐだよぉ」
さらに奥に進むと、人が一人ほど入れそうな大きさの祠があった。
「さ、お水を変えてちょうだいねぇ」
祠の前で屈み、格子状の扉を開け中の水入れを取り出す。先ほど汲んできた水で入れ物をすすぎ、新しい水を入れて元の場所へと戻す。
中に鏡が置いてある。なんだ、普通の神社とさほど変わらないじゃないか。
祠の中に加工されていない、赤ん坊ほどの大きさの石があり、そこに何か文字が彫ってあるが、よく読み取れない。いや、読もうと思えば読めそうなのだが、老婆に「興味がある」と思われるのが怖かった。
結構古いものなのかもしれない。
神社と違ったのはお皿に米ではなく、何かの植物の種らしきものをお供えしていたことだ。
「おばあさん、この種ってなんですか?」
「あ~あ、それはねえ、この島の人たちにとって大事なものなんだよぅ。だからお供えしてるんだよう」
「そうなんですねぇ」と、納得しながら島の人たちという言葉に引っかかった。
「さぁ、お祈りしましょうねぇ」
そう言われて祈る体勢をとったが、いざ何を祈ればいいかわからなかった。
ここへ来る前だったらそれはもう煩悩の塊のような祈り(と言うよりもお願い事だが)があったが、死ぬ決意をした人間はあまりそういう欲望がなくなるのだなと妙に納得した。
今更お金がもらえても使い道がないし、健康って真逆のことだし。
思い残したことを頭の中に浮かべるとかかな…?世界平和とか?自分が不幸なのにそんなこと祈るわけないだろう。一通り頭の中で色んなことを思い浮かべる。
——あ!あのことを考えながらお祈りしよう——
その時、鏡に何か映った気がしたが「自分の影が映ったのかな?」と、気にはしなかった。
帰る途中、もう一つ気になっていることをきいた。
あの男のことだ。
「あの、おばあさんのおうちにいらっしゃる男の人は…息子さんですか?」
「はあ~?」
「あ、いえ、スミマセン。なんでもないです」
関係が深くないのに不躾な質問をしてしまったと反省した。そりゃあ、引きこもりの息子の話はしたくないだろう。私だってそうだ。
帰宅(もう自分の家だと勘違いしている)して洗濯をした。
死ぬために来たのだが、少しの着替えは用意していた。下着は二日分、フェイスタオル二枚、Tシャツとスカートを一枚ずつ、と今着ている服。
下着とタオル、昨日着ていた服も洗った。
外には物干し台が設置してあり、助かった。
洗濯機がないため脱水が難しい。必死の力で絞って干した。タオルはライブ中、盛り上がってるみたいに振った。
干し終わったタイミングで塀の外から男女が楽しそうに話す声が聞こえてきた。
他にも人がいた!
昨日の男とは明らかに違う男だ。鋤を筋肉質な肩に担ぎ、二人とも動きやすそうな格好をしている。
すごく気になる。
悪いと思ったが、あとをつけることにした。
見失わないように十数メートル後をつけ歩く。
もし他の村人に見られても怪しまれないように、散歩をしているテイを装う。
男女は仲良さそうに談笑しながら歩く。
三十代ぐらいだろうか?
男の方は日焼けして短髪、野球部員みたいな容姿。女の方は、肩まで伸びた髪をギリギリ一つにまとめているが後ろ毛が出ている。大きい花のイラストがプリントされているネイビーのTシャツを着て、デニムの丈は少し短めだ。
恋人?友達?血縁関係かもしれない。
先ほど行った祠がある場所の目印の石碑を通り過ぎ、数メートル歩いた先にある細い道を右へと曲がる。
緩やかな傾斜を登ると開けた場所に野原が広がっていた。
気付かれないように二人をこっそりと見守る。
あれ?畑がある。
野菜とか作ってるのかな?
あ。おばあさんが加工品ばかり持ってきてくれたのは野菜がないわけじゃなくて私が食べやすいような物をわざわざ持ってきてくれたってことなのね。
そう思うと改めてありがたい気持ちになった。
もしかしてこの男女は自分達が食べる分だけ作っているのかもしれないし。
まあ別になんの問題もなさそうだが。
…いや、違う。
おばあさんは“この島では食べ物ができない”と言っていた。
さらに奥へと進む2人のあとを、興味本位でついていった。
二人の足が止まって、慌てて自分の足の動きを止める。
目的の場所はここか。やはり畑が広がっている。
——しかし、違和感がある。
花畑だ。
そうか、花を育てていたのか。もしかしたら島の名産品としてこの花をどこかに卸して生計を立てているのかもしれない。
それにしてもキレイな花だ。花弁がフレアスカートのようにヒラヒラしていてかわいらしい。色も華やかで南国を思わせる。
私の好きなポピーに似てる。
話しかけてみて、感じのいい人だったら一本ぐらいお裾分けしてもらえないかしら。
そんな呑気なことを考えながら花をじーっと観察する。
……あれ…。
コレ、NHKなんかのドキュメンタリー番組で見たことある。
この花を紹介している人の目元にはボカシが入ってたなぁ。
あぁ、アレだ。
——ケシの花に似てる。
そう思った瞬間、大して暑くもないのに汗が噴き出てきた。
ヤバいものを見てしまった。
ここに来たことを知られたらタダでは済まない気がして、二人に見つからないように足音に気をつけながら後退り、急いでその場を離れた。
かなり歩いたのに、全然遠のいた気がしない。
怖くて後ろを振り返れない。もし振り返って真後ろに二人が立っていたら…と想像し、鳥肌がたった。
気持ち早足で歩いていると、公民館らしき建物の階段に老婆の家にいた男が座っているのを見かけた。一体何をしているのだろう。
今日もむさくるしい。
前を通る時、話しかけられたくなかったが、案の定、話しかけられた。
「お、昨日のお風呂の人!なんか、顔色悪いけど、どした?」
「いや、なんでもないです」
なんでニヤニヤしてるんだよ!
「見た?」
ニヤニヤした顔で、いきなり何だ。失礼な奴め。
平静を装ったが、そうはいかなかった。
「え?何をですか?なにも見てませんよ。私はただ散歩をしてただけです」
無意識に早口になり、声が震える。
「畑、見たろ」
さっきから心の中を見透かされているかのようだった。
よく考えれば昨日のやりとりだっておかしいではないか。
この男。ナニモノ。
「安心しろ。俺は誰にもなんも言わん」
安心していいのだろうか。こんな胡散臭い男を。
いや、ダメだろう。
まず、素性がわからないではないか…と。心の中で呟いた直後
「俺はこの島のもんじゃない。ヒサエさんと一緒。他所から来たんじゃあ」
昨日伝えた私の名前、覚えていてくれたんだ。
一瞬、信用しそうになったがそう簡単にはいかない。人間は信じられない。そう自分に言い聞かせた。
人目も憚られるので、公民館らしき建物の裏手にある小さい公園で喋ることにした。
ちょうどベンチがあり、私は砂を払って座る。
二人とも周囲に人がいないか慎重に確かめてから話し始めた。
「まず、信じてくれんでもいいけど島の人には俺の姿は見えとらん」
え。いきなりそんな突飛な話されても…
「てことは、今のこの状況を見られたら、私一人で喋ってるっていうことになるんですか?」
「まぁ、そんなもんや」
「マジか」
そんなの絶対に見られたくないではないか。
こんな島に来たってだけでも変人扱いされそうなもんなのに、ベンチで延々独り言ってかなりのものだろ。
騙されている気もするが、とりあえず、何もかも受け入れて聞いてみよう。
「あの畑で育ててるもん見たやろ?」
「はい」
今度は素直に答えた。心を読まれているのなら、嘘などついても無意味だろう。
「実はな、あれを他所に売ってその金でこの島は成り立っとる。ちなみにアレは普通のケシより数倍効果が強い特殊なもんらしい。…ヒサエさん、祠は見たかい?」
「はい。おばあさんと一緒に行きました」
「どうも、そこの神さんと契約してそんなもんが出来たそうだ。その代わり、この島では食物になるようなもんが育たん。木や竹はあんだけ生えとるのに」
やはり、おばあさんが言っていたことは本当なのか。
こんなに自然豊かな島だから、作ろうと思えば野菜なんか腐るほど作れそうなものなのだが。
神様と契約ってどうやって?
ただ単に作る人がいないんじゃないの?
竹林はあったから筍は生えてくるのでは?
「生えてきても食べられんのよ。小さい竹の状態で生えてくんのよ」
なんだそれ。そしてやっぱり心を読まれているな。
シナチクも無理かな?
「オエてんのよ。もう竹の話はよかやろ」
それもそうだ。
「だからその金で食べ物やら日用品やら買っとる。月に一度そのやりとりの為に船が入ってくる」
「だからおばあさんがくれたのは加工品ばかりだったのね」
「そいうこったな~」
なんだかドえらいことを知ってしまった。
「誰も警察には言わないんですか?あ、でもそれで生活してるんなら言えないか…」
「いや、国ぐるみでやっとるからもうどうもならんよ。医療用に使うらしい。モルヒネが効かない患者に施す最終手段って話やったよ」
「なんか、一言に悪いこととも言えないんですね」
「そういうこっちゃあ。悪いことのように見えても、そのおかげで助かっとる人もおるってこったなぁ」
どうして私なんかにこんな、たいそうな話を教えてくれたのだろうか。
「教えちゃって大丈夫…ですか?命狙われたりしませんか?」
不意に心配になり恐る恐る訊いてみたが
「だから、俺のことは他の奴らには見えんって言うたろ~?」
そうだった。
「なんで教えてくれたんですか?私だったら見ず知らずの、自分にはなんの得にもならない人にそんな情報教えませんよ」
少し間があって男は答えた。
「見ず知らずじゃないからや」
なんだか照れくさそうに一つに束ねた髪を弄んでいた。
ドキリとした。
見ず知らずじゃない?一体どういうことだ。
「それってどういう…」意味と言おうとして阻まれた。
「今まで見てきたから、ヒサエさんがここに来た理由はなんとなくわかる。」
ん?ちょっと待て。見てきたってなに?怖すぎるんですケド!
「でも、本当にもう戻れんのか?俺はヒサエさんに生きていて欲しい。そうしないと俺は…いや、ヒサエさんはまた生まれ変わっても同じことする!」
それは一体、どういう意味なのか?
どうして私の来世とこの男が関係するのか私にはわからないが、とにかく生きろという。アシタカじゃあるまいし。
「でも私はもう戻れない。」
そう言い放ってしまった一瞬、男が悲しそうな顔をしたのが気になったが続ける。
「今まで私のことを見てきたのなら、よく知ってると思うけど」
前振りを置いて話し出す。
「あなたの期待を裏切るようだけど、私のなにがわかるの?生きていても嫌なことしかないのよ?ねぇ、この先なにか良いことあるの?私はそう思わない。だから死ぬ覚悟でやってきたし、戻っても私の居場所はないの」
なぜ私は出会って間もない男に、このような話をしているのか。おかしなことだとはわかっているのに、次々と言葉が口をついて出てくる。
「せいぜい、死ぬまでの何日かでいい思い出でも作るわ。今はまだわからないけど、そんなに長くはないでしょうから」
そう一気に吐き出すと胸が苦しくなった。
ひどく動揺して自分の服の裾を強く握った。
目の前の男の顔をまともに見ることができない。きっと、呆れているだろう。
「ごめんなさい。帰りますね」
なんとも重苦しい空気に耐えられずつい、帰ると言ってしまった。
本当はもっと話したかったのに。握りしめていた手が震えていた。
肩を落としトボトボと歩き、やっと玄関の前に着いた。
いつもより遠く感じたのは気が滅入っているからだろうか。
洗面台で手を洗い、うがいをする。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、畳の部屋で足を伸ばして座る。
畳の縁を見つめてぼーっとしているとさっきの出来事が蘇ってくる。
馬鹿だ馬鹿だ私は馬鹿だ!
今まで「死ぬな」なんて言ってくれた人いなかったじゃないか!
それをあんな風に…!
そういうところだ!
だから誰からも嫌われるし、何事も上手くいかないんだ!
寝っ転がり、子供が駄々をこねるように手足をばたつかせる。
しばし自己嫌悪に陥る。いつもこうだ。
初めて会った時は、むさくるしくてすごくイヤな感じがしたんだけど、実はいい人なんじゃないか。
私は人を見る目がない。
彼も本当は色々苦労しているのかもしれないな…。私と歳が近そうだから、もしかして氷河期世代の苦労を知っているのかも。
仲良くなれたらそれなりに楽しいのかなぁ。
でもなぜだろう。彼との間には透明な壁で隔たれている感が拭えない。
そして他の人からは姿が見えないって信じられないでしょ。
私のことを今まで見てきたってことは、もしかして私の過去のことも知っている?
守護霊みたいなものなのかしら?小さい頃、霊感的なものがあったことがわかって出てきてるのかしら?
「俺の姿、見えてるんだろ~?」ってノリかな?
でも、見えてたのはナビコという男の人だけで、あの出来事以来、幽霊らしきものは何も見えなかったし、心霊番組で紹介される心霊写真を見ても
「は?どこに写ってんのよ?アレはただの服のシワでしょ」って言ってのけるほどの何も感じない人間だったし。
どうせからかわれてるだけだろうなぁ。
でもその割に、話の内容は冗談で話すことじゃなかった。もしコレが冗談ならば、あまりにも子供染みているだろうし。
つーか、まだ名前も聞いてないじゃん。
「ハァ~」とため息を吐き、冷たいペットボトルを額に当てる。
目をつぶると花畑の様子が浮かんできてハッとする。
「ケシの花…」
呟いて思わず口に手を当てる。誰かに聞かれたらどうするのだ。
あんなものを育ててるなんてね。
村の人たち、悪い人に見えないのに。まぁ、お金がなきゃ生きていけないしね。
天井をぼーっと見つめる。
「神様…祠…」
今度は誰にも聞こえないような細い声で呟いた。
もし、言っていたことが本当ならどんだけ強い神様だよ。
明日、一人で行ってみようかな。うん。なんか行かなきゃ行けない気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます