第3話

 キャッキャッキャーという甲高い鳥の声で目が覚めた。

 一瞬ここがどこだかわからず焦った。外であることすら忘れていたので、非常に焦った。

 なぜ私は穴ぐらに居る?

 しかも外…?ていうか、まず何時?

 条件反射でスマートフォンを覗く。

 焦りながら起き上がると、昨日羽織ったカーディガンが肩からずり落ちる。

「あぁ、そうだった。はぁ~、私、あぁそうね」

 ぼんやりした頭で全てを思い出し、自分で自分を納得させ、ペタリと座りなおす。

 いっときジッとしていたが、こうしていても仕方がないので立ち上がる。

 靴は予想通り乾いておらず、非常に不快な感触だったが、裸足でウロつくわけにもいかず仕方なく足を突っかけた。

 歩くたびにグギュっグギュっと変な音がした。スニーカーじゃなくサンダルの方が良かったのかと少し後悔した。


 暑くもなく寒くもなく、風もなく、上を向くと木々の間からは太陽がのぞき、映画の主人公のような気持ちになった。

 体の色がグレーのすずめサイズの鳥がいる。

「おはよう」と話しかけると「だれだおめぇ」と返されたので、とりあえず自己紹介をしてみた。

「お見知りおきを」と言うと「へんなやつ」と、飛んでいってしまった。

 あーあ、色々聞けるチャンスだったのに。


 目を覚ますために顔を洗おうと水辺を探した。

 ボートで来られるぐらいだから、大なり小なり川があるはずだ。昨日だってそんなに歩いていないし。


 鬱蒼としている森を鳥や小動物の様々な声を聞きながら五分ほど歩くと、水が流れる音がかすかに近づいてきた。

 それにしても朝というものはこんなに心地いいものだったのか。

 今まで感じたことがなかった気がする。キラキラしてるじゃないか。


 朝は苦手だった。早く寝ても全然スッキリ起きられることがなかった。

 私は眠ることが好きだった。

 なのに、なぜ夜になるといつまでも起きているのだろう。

 寝ることが好きならばさっさと寝てしまえばいいのに、ダラダラとテレビをつけっぱなしで本を読んだり、意味もなくクロスワードなんかしてみたり、はたまたネットサーフィンしすぎて寝付けなくなったり。


 なにしろ私はだらしないのだ。

 やっている作業をパッと終わらせられないのだ


 結局気持ちのいい朝なのに考えることは鬱屈としているのねと自分に呆れながら歩いていると水辺があった。

 幅一メートルほどの小川だ。

 私が住んでいた地域ではこのような川を見たことがない。絶対ゴミが落ちていたし。こんなメルヘンチックな川って存在するのかと感心しながら手をつけてみると、とても冷たい。

 透き通ったとてもキレイな水だ。コレなら飲むこともできそうだと思い、手のひらで掬い口まで少量運ぶ。口当たりが柔らかく、飲みやすかった。

「あぁ~ペットボトル持ってくればよかった」

 そんな独り言を呟いていると、十メートルほど先の草かげが動いて身構えた。

「え、ちょっ、野犬とか…まさか熊…?私、食われるのかな?話す余裕があるかな」

 恐怖で動けないでいると草かげから正体が見えた。


 老婆だ

 見事な老婆だ。

 十人中八人が認識するザ・老婆。

 白髪の髪を頭の上にお団子に結いあげ、紺色に白いカスリ模様が入ったモンペのような作業着を着ている。

 昭和の野良仕事バージョンの老婆がこちらを見ている。


 こ…怖い。

 この場合、顔が怖いとかそういうのではなく”得体が知れないから怖い”のソレだ。

 老婆の顔自体は人懐こそうな顔をしている。二重の大きな目で、左の眉毛の上にイボがある。

 ご近所さんだったらきっと、”よくは知らないが挨拶は交わす”くらいの関係だろう。


「新入りさんかね~~?」

 固まっている私に老婆は声をかけてきた。

「新入り?」と一瞬頭の中で考えたが、すぐ返事をしないと失礼に当たると思い——そういうところも小心者だ——

「あ。はいっ」と答えた。


「なんか食べたかね~?」と問われたのでつい

「いえ、食べてないですっ」と答えた。


——もしかして救世主?


「あんたぁ、じゃあ食べるもんはどうするの~?」

 ダメだ…笑ってはいけないと思いつつ、この「~」のあとに疑問符がくるしゃべり方ウケる。

 笑いを堪えつつ

「昨日こちらに着いたばっかりなの、で持参してきたものを食べてます。あと少しは残ってるので、それでやりくりしようかと思ってます」とニヤニヤしながら答える。

 結果、愛想良く、感じのいい女だと思われたらしい。

 こういう勘違いのされ方もいかにも、人間関係が不器用な人間代表みたいで私らしいではないか。


「夜はどうやって寝たのぉ~?」

 ププププっ

 だめだウケる。

「穴ぐらがあったので、そこで横になってたらいつの間にか眠ってました」と照れ笑いのようにして答える。

「あらぁ、それは大変だぁ~ねぇ。こっちについてきな~」


 え。本当に救世主なんじゃ…

 普段は人間に対して非常に警戒心が強いが、今の状況ではそんなことも言っていられないと思い、ついて行くことにした。

 もし、ついて行って殺されたとしても、その時はその時だ。

 ——ていうか死にに来たんだし。


「スミマセン、その前に自分の荷物を取ってきていいですか?」

「あぁ、いいよ~。急がんでいいからね~」

「ゆっくりいいよぉ~」という言葉を背に受けながら、急いで荷物を取りに穴ぐらへと戻る。

 森の中に靴から発せられる変な音が響いて恥ずかしかった。

 昨日過ごした穴へとたどり着いた私はカロリーメイトの箱と飲みかけのジャスミン茶、寒さを凌いだカーディガンをバッグに突っ込み、急ぐ。カーディガンがバッグから飛び出ている。


「待っててくれ老婆!今すぐ向かう!」

 瀕死の恋人の元へと向かう青年の気持ちだ(立場的には瀕死なのは私の方なのだが)。

 なぜなら、今の私の状況を救ってくれるのは彼女しかいないからだ。いなくなられては困るので走った。


 しかし、私は青年ではなかったのですぐに息が切れ、結局歩いて向かった。

 一分走り四分ほど歩くと先ほどの場所が見えてきた。


 いたいた、老婆。待っててくれた。

 水を汲んでいるようで、草かげから白髪頭のお団子がちょこんとのぞいていた。

「遅くなってスミマセン!」

「いいよぉ~、毎日特にすることもなし、急ぐことないよ~」

 田舎暮らしってこういうものなのだろうか。我が家もまぁまぁの田舎だったけれども、誰もこんなにゆったり生きてはいなかった気がする。

「さて行こかね」

 そういって水が入った桶を抱えて老婆が歩き出したので慌てて

「持ちますっ」と老婆から桶を奪い一緒に歩いた。

 桶を奪う際、水がちょっとこぼれて靴にかかった。

 グギュ。

 しばらく歩くと森を抜け、開けた土地が見えた。

 コンクリートで舗装されていない道、野原、見渡す限りの山々、令和の時代とは思えない風景が広がった景色を物珍しそうにキョロキョロしながら歩くと、築五十年ほどのところどころ古ぼけた平屋の日本家屋が姿を現した。

さすがに屋根は瓦だが、戸袋が木でできている。リフォームする前の我が家と一緒だなぁと、親近感を抱いた。

門もあり、玄関まで飛び石が敷いてある。おまけに、ちゃんと塀で囲われていて、庭などバーベキューに十人は余裕で呼べそうな広さだった。


 母屋と離れがあり、敷地はかなり広い。テニスコート三面分はありそうだ。

 母屋に向かって左側の離れへと案内された。母屋とは五メートルほど離れていて、昔、書生さん辺りが使ってそうなイメージ。誰にも邪魔されず、いかにも集中できそうだ。

「こっち使っていいよお~」

 え?

「離れの方は島に辿り着いた人が使っていいようにしてるのよぉ~う」

 ん?

 人がこの島に辿り着くテイでいらっしゃる…?


 ちょっと奇妙に思えてきたが、数日(今のところそれぐらいで死のうと思っているので)といえども穴ぐら生活はかなりキツい。なので、離れを使わせてもらえるのはありがたいと思った。

「本当にいいんですか?見ず知らずの私なんかが寝泊まりさせていただいていいんですか?」

「いいよ~。ツキナ様が選んだからいいのよ~」

 すごくあっさりしたものだった。

 何かが選んだとか聞こえたが気のせいか?


「あとで食べ物も持ってくるからね~」

 え?

 得体の知れない私なんかに食べ物まで恵んでくれるの?

 一体ここはどうなっているのだろうか?

 夢ではあるまいな。

 国の援助を受けているとかそういう地域?

 そんなもん今の日本にある?


 案内してもらった離れに上がり、持ち物を整理し、興味津々で部屋を廻る。

 六畳一間。トイレと小さい洗面台もある。おまけに小さいコンロと冷蔵庫もついている。小さめのやかんもある。なかなか良い。狭いビジネスホテルなんかよりも快適そうだ。



 こうしている間もこの島についての考えは止まない。

 老婆とのやり取りはえらく慣れた感じだった。もしかしたら何人もこの島に来ているのかもしれない。

 それと何かが選んだ…とか言ってたな。

 こういう場合、昔話だと私、食べられて終わるのよね。

 こんなに親切にするのも怪しいわ。宿も食べ物もって…後でものすごく請求されたりして。

 まぁ、死ぬから良いんだケド。

 他に村人はいないのかな?さっきの老婆はこの島の噂を知ってるのかな?

「ダメだ、こんなことを自分だけでずっと考えててもなんの解決にもならないじゃないか」

 そう思って畳にごろんと横たわった時だった

 ドンドンと引き戸を叩く音がする。急いで起き上がり引き戸を開けると老婆がいた。


「コレ、食べなさいねぇ~。若い人はこういうのでい~い?」

 そう言いながら、私の目の前に差し出されたビニール袋にはカップ麺やお菓子、パスタやそのソース、ペットボトルのジュースなどが詰められていた。

「え!え!こんなにたくさん?ありがとうございます!」

 本当にびっくりした。老婆=野菜類だと思っていたら、まさかの加工品。

 しかもコンビニで買えるやつ。

 あ、もしかしたらこの離れにはフライパンとか包丁がないのかな?

「あの…ッ、お金をお支払いしますっ!」

「そういうのはいいのよ~う。この島は食べ物ができないからねぇ。こんなものしか無いのよ」

「ダメです!払わないとッ!」

「いいのよう、ツキナ様が選んだんだから」

 出た!やっぱり言ってる!

 この押し問答が二~三度続き、結局私が折れて、そのまま受け取った。


 老婆が帰ったあと、さらに色々な疑問が浮かび上がってきた。

 まず、この様々な加工品はどうやって手に入れたのか?なぜお金はいらないというのか?あとツキナ様ってなにーー?


「やっぱり私、食べられるのかぁ。まぁ、死にに来たんだからいいけど。怖い殺され方とかされたくないなぁ。おっかしいなぁ…安らかに死ねるって噂だったんだけど…」

 そんなことを思いながらビニール袋からじゃがりこを取り出し、食べる。

 カリッボリボリボリ

 カリッボリボリボリ。

 いつもの味で安心した。止まらん。あっという間にカップが空になった。


 そういえば、ふと思ったが老婆の名前すら聞いてなかったし、自己紹介もしてないな。


 明日きいてみようかな。

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