第3話 魔法薬の限界

粗方の料理を平らげた後とあっては、確かに彼の提案を断るわけにはいかない。

けれど待ってほしい。


いくら天才魔法調薬師たるユネリでも、できないことがある。

それが記憶というか精神に作用させる魔法薬だ。

騎士は脳筋が多く、魔法士と相容れないことが多い。つまり犬猿の仲だ。

それをかい摘んで説明するのは骨が折れそう。つまり非常に面倒くさい。


しかしお礼として求められているのを無碍にするのも後味が悪い。


「貴女の懸念はわかるつもりだ。けれど、それは杞憂にすぎないよ。使う対象は俺の元恋人で、記憶を取り戻すための薬だから。つまり元々あったものを復元するだけでいい」

「いやいやいやいや……」


流石にユネリは声を上げた。

必然的に食べる手も止まる。


使う対象が元恋人ってことは、すでに他人じゃない!?


え、この人、こんな奇抜なエプロンつけてて、ユネリ好みの凄い料理作れて、王太子の筆頭近衛騎士で美形なのに、ヤバい人なのか!?!?


ただでさえ精神に作用する魔法薬の作製のためには上司以上の許可が必要と言っても、相手がこれでは下りるわけがない。

こんな特濃の犯罪臭しかしない輩の頼みなど、誰が聞くというのか。この見かけに騙されたならともかく。

それこそ黒鉄騎士団の出番である。ここに犯罪者がいますよーというやつだ。


しかも、だ。

記憶を取り戻すということは、すでに記憶を失っている状態なわけで。それが事故なのか病気なのかは分からないが、もちろん故意にしろ未故意にしろ、復元魔法というのは難易度がとても高い。時間に作用することもあるので、そちらについても作製には上司以上の許可が必要になる。


元来魔法薬というものは、あまり複雑な機能を持てない。それが魔法薬という媒体の限界だ。

治療する、補強する、修復するという行為を、魔法薬を使うことで有効とできる範囲が限られているといえば良いだろうか。


たとえば腕の怪我を治療するという行為においていえば、魔法薬でも魔法陣でもどちらでも可能だ。ただしコスパを考えた時に魔法薬を作るためにかかる材料や時間、その費用と労力は圧倒的に魔法陣に劣る。

すでに確立された魔法陣であれば、スクロールという巻物一つで事足りてしまう。スクロールの材質や使う魔法インク、線を描く作成者の腕に効果が左右されるくらいだろう。

魔法薬においては複雑な効能にはそれだけ材料が必要になる。そして材料同士の効能を合わせる材料、反応を促す材料、抽出する腕と……スクロール以上に効果に左右される要素が天井知らずで膨れ上がる。

だから治療薬といった魔法薬を依頼する者は少ない。魔法陣の発明のない稀有な病の治療薬とかならばなんとか存在するが、それも眉唾物が多いのが現状だ。


さて、そこで今回の依頼に戻って、改めて考えてみよう。


許可のいる記憶を復元させる魔法薬。

まず調薬レシピがない。材料が不明。至適分量、時間、調整温度、湿度、天候――諸々。試行錯誤して条件を突き詰めてレシピ作りをしていかなければならない。つまりとても時間がかかる。


あらゆる面で受け入れ拒否である。

瞬殺で一択。

いくら調薬の天才で仕事に関して面倒がらないユネリでも、『指名持ち』でも、お断り案件なのがおわかりいただけたであろうか。


そして、それをルミナトスに説明するのは本当に面倒だ。


ユネリは思考を放棄して、夕食を完食することにした。

気を取り直してもきゅもきゅしだしたユネリを、何故かルミナトスは優しい目で見つめてくる。


いや、最初から優しい人のようだとは感じていた。今はさらに陽だまりのような温かさが加わっている。

初対面の相手に向ける眼差しでないことだけは理解できた。

そして同じだけ嫌な予感がした。悪寒のような震えが背筋を這う。

別にルミナトスから危害を加えられようとしているわけでもないというのに、いったいなんだろう。名状しがたい感覚にひたすら居心地が悪い。


「王太子に呼び出しを受けただろう? 貴女は来なかったから俺が迎えに行ったんだ。それで回廊で騎士たちに絡まれて、その後に行き倒れた貴女を発見した。なぜ、自宅に連れて来たと思う?」


身じろぎするユネリに構わず、楽しそうにルミナトスが告げてくる。


「貴女は俺と初対面だ。最初は俺が誰かも分からなかったね。だけど俺は貴女の偏食を把握している。食べられないものが多くて、もう一週間も碌な食事ができていなかった。それをどうして知っていると思う?」


彼の表情とは対照的に、ユネリはどんどん追い詰められていった。感覚では恐怖体験中である。

呪いの人形が段々近づいてくるような、ジワジワ感が恐ろしい。


「貴女は意識を失っていたのに、寝室にいたよね。初見でこの家の複雑な魔法鍵を解除できる? ここのクセの強い調理器具だって完璧に使いこなせるよ?」


小さな家だが、ユネリの持てる知識を総動員して強固な要塞になっている自宅である。

彼の言うとおり簡単に侵入できないが、安全防御システムは玄関の魔法鍵の解除と同時に無効化するようになっている。

そして調理器具。そこには魔石を仕込んで、特別仕様になっていた。初見でこれほどの料理を披露するのは難しいことは魔石を仕込んだユネリがよく理解している。なぜなら、あれらの使い方をユネリはよく知らないのだ。一度軽い気持ちで湯を沸かそうとして、火すらつけられなかった。


「ねえ、頭のいい貴女にならわかるでしょう? いや、ユネリ」


とろりと蜂蜜を流し込んだような濃厚な音声が鼓膜を揺らした。

彼が、彼女の名前を呼ぶのは初めてだ。

だと言うのに、不思議と聞き慣れている気がした。途端に嫌な予感は警鐘レベルに引き上げられた。鼓動が荒れ狂って、これ以上聞きたくないと拒否する。


けれど、ルミナトスは無情に続けた。


「俺の元恋人である貴女の記憶を取り戻す魔法薬を作ってほしい」


ユネリが元恋人?

まさかの自分自身へ使う魔法薬だった!?


そうなってくるとユネリの中で倫理感が少し軽くなる。自分で作って自分だけが飲むのなら、それは実験と変わりないからだ。


そして懇願めいてはいるが、これはある意味命令だ。王太子の呼び出しもきっと同じ内容だったのだろう。王太子付きの筆頭近衛騎士の頼みである。しかも王太子に呼び出されたこのタイミング。無関係と断じるほうがむずかしい。


「そもそも貴女が記憶を消す魔法薬を飲んだのが悪い。元恋人である俺に関する記憶を、どうしても思い出して欲しいんだ」


なるほど。

ルミナトスの元恋人がユネリなら、きっと記憶を消す魔法薬を作って服用した。

そして消した記憶は目の前の男のことらしい。


目の前の男と恋人だった記憶はユネリにはないので、本当に消してしまったのかもしれない。言いがかりの線も捨てきれないが、冷静に見えるルミナトスの言葉や目線の端々から抑えられた怒りや悲しみは伝わっている。


だから失くした記憶を打ち消すように復元することを、この男は頼んできているに違いない。


ああ、面倒だ――と、ユネリは心の中で慟哭した。



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