第1話 行かないという選択

ユネリは焦る気持ちを宥めつつ、ぽてぽてと先を急いでいた。

王城の回廊はどうしてこんなに長いのか。小柄なユネリがどんなに足早に動いたってちっとも前に進んだ気にならない。


いや、そもそも敷地が広すぎるのが問題だ。王城と一口に言っても、敷地内に城はもちろんのこと王立図書館も王立教会も、王立騎士団詰所も王立魔法研究所も王立魔法調薬所もあるってどういうことか。およそ王立と名のつくものを一緒くたに集めてしまったのだろうけれど。いや、その精神はキライじゃない。むしろ面倒がなくて好きだ。

そのおかげでこうして王太子に呼び出されても、歩いていける範囲にはいるし。


王太子のいる執務棟はもちろん王城の一角にある。対してユネリの職場である王立魔法調薬所は一般人の立ち入りが禁止されていることもあり、城から最も遠い西に位置する。間には庭園という名の広大な庭が広がっており、それらすべてを囲うほどの回廊が張り巡らされているのだ。

王太子のもとへはせ参じるためには、その庭園を突っ切って、果てのような長い回廊を進み執務棟に辿りつかねばならない。

なんて長い道のり。なんて面倒。


そこまで考えてはたとする。

歩いていける範囲にいるからよくないのでは?

王立魔法調薬所始まって以来の天才であるユネリ・アップグレナー。十八歳。彼女は歴代最年少の特級調薬師にして、究極の面倒くさがりなのだ。調薬に関しては僅かも妥協を許さない代わりに私生活はゆるゆるだった。


目深にかぶった魔法士兼魔法調薬師を示す白のローブの隙間から空を見れば城壁の向こうには茜色が広がる。約束の時間などとっくに過ぎている。だってそれは正午過ぎだった……すでに就業時間が迫ってきている。日が沈んでしまえば、帰らなければ。

今日こそはちゃんとした夕飯を口にするのだ。


朝と昼どころかここ数日、いやここ数年? まともに食べた覚えがない。


もともと調薬に集中してしまえば寝食は忘れてしまう。最近はとくに集中して仕事に詰めていたから? 体感的には一週間ほどは、きっと碌なものを食べていないのだ。魔力も枯渇スレスレ。魔法士として自殺志願者ほどに危うい状況である。


ところどころ自分の記憶に自信がないところがあるのは、ユネリの悪い癖だ。何かに集中していると、口にしているものの記憶がない。ただ気が付けば飲食の残骸がユネリの周囲に散らかっているので、自分の仕業かと納得するだけなのだ。


王太子は以前に調薬を依頼されてからの顔馴染みだ。複雑な境遇で腕はピカイチのユネリを何かと気にかけてくれるので、今日の約束を反故にしても叱りはしないだろう。同僚たちに仕事を押し付けられて永遠に仕事にキリがつかないことも知っている。断るのが面倒で押し付けられた仕事をこなしていた結果だ。


まあ代わりに無茶な要求をふっかけてきそうではあるが。


王族特有の高慢さはあるものの、なぜかユネリには発揮されない。というより、こちらの無礼を許してもらっている。それをいいことに、わりと好き勝手やっているのが現状だ。

ユネリが面倒くさがりだと理解しているから、このまま帰ってしまってもきっと許してくれるだろう。

約束の時間になっても現れない彼女に、勝手に忙しいと推測してくれるだろうし。


ぐるぐると言い訳を並べたてて思い悩んでいたが、よし帰ろうと決断する。

だが、結果ユネリは自分の決断ではどうにならない状況になってしまった。


決断して踵を返した瞬間、後ろからやってきた騎士たちが歩みを止めた。二人の騎士は本来城を守る警備の者たちだ。今は単純に移動中でどこかへ行こうとしていたようだ。


けれど魔法士とは相性が悪い。

騎士は魔法士を他人を前で戦わせて後方に隠れる無能と称し、魔法士は騎士を集団で突撃するしか能がない脳筋と嘲る。

こうして廊下ですれ違う時には注意が必要だ。今は他の人の姿がないので助けてくれそうな者もいない。そして足を止めてまでこちらを凝視しているのだから。


「そんなに急いでどこに行くんですかー?」

「フードを目深にかぶった不審者だなあ。城内だってのに、顔がよく見えない」


俯き加減で横を通り抜けようとしたユネリの前に二人が立ちはだかった。

ハズレ騎士だ。

騎士だって全員が魔法士にうざ絡みしてくるわけじゃない。用心して魔法士たちはローブを脱ぐこともある。

ユネリは目を隠したいのでローブが手放せないので、こうして騎士に絡まれることが多くなるだけで。そして経験上相手をせずに逃げるよりもさっさと捕まったほうが話が早いのだ。ユネリはいつでも面倒事が少ないほうを選ぶ。


「城内での私闘および揉め事は禁止されています」


ユネリが落ち着いて告げれば、騎士二人はニヤニヤと下卑た笑いを向けてくる。

品性どこやったんだと言いたくなるが、こういう騎士も一定数いることは否めない。


「なんかいっちょまえに正論かましてくるんだけど。俺たちは不審者を相手にしているだけだろ?」

「そうそう。それにバレなきゃいいんだよ」


そう言って一人がユネリのフードを掴んで上へと持ち上げる。首が締まって藻掻くユネリを騎士が嘲笑した。手慣れているから、普段もこうやって魔法士を虐めているのだろう。

騎士だからと言って品行方正とは限らない。


「ぐぅっ、は、なして……っ!」

「とりあえずさっさとフードは脱げよ」

「目上の者に対する決まりだよな。それでお前はどこの不審者で――」


騎士たちがフードを掴んでユネリの金色の髪があらわになった。涙に滲んだ特殊な色に輝く虹彩を覗き込んで、二人はげっと息を飲んだ。


「ば、万物創成の魔女!?」

「馬鹿、お前早く手を放せ! 特級魔法士に敵うはずないだろっ」


ユネリのフードを掴んでいた騎士が慌てて手を放すけれど、ユネリはすでに動いていた。


「もう遅いよ」


騎士二人に向かってローブのポケットに忍ばせておいた小瓶の中身をぶちまけていた。ドスンと回廊の床に尻もちつきながら、ユネリは顔を顰めるしかない。


「うわっ」

「なんだこれ!?」

「特級呪液」

「「はあっ!?」」


揃って真っ青になりながら、騎士たちは逃げ出した。呪いというのはすべからく発動条件が必要になる。特級呪液の場合はより厳密に、『ユネリに危害を加えたら』という条件をつけている。そして呪いは常に解呪方法とセットになっているものだ。

ユネリの呪いはすべからく危害を加えた者への心からの謝罪で解けるようになっている。だというのに、一度も解かれたことがない。

呪われた騎士たちは簡単に解呪して欲しいと頼むわけにもいかないのだろう。騎士がたどり着ける先は、せいぜい医務室だ。


彼らは今夜からきっかり一週間悪夢を見続けるだろう。夢の中では殺してくれと思うような辛いものでも、目覚めればなかったことになる。寝覚めは最悪で泣き叫ぶほどの余韻を味わうだろうけれど。あくまでも可愛いイタズラだ。

これにこりたら、大人しい魔法士には手を出さないことである。自衛のためならわりとえぐいこともする。そうでないと自分自身を守ることもできないし、自分も含め根暗な魔法士は陰険な者が多いので。


慌てふためく騎士たちを見送りつつ、ユネリは立ち上がった。

その瞬間、くらりと視界が揺れた。

それが始まり。

プツンと糸が切れるように意識が遠のいた。

ブラックアウト、暗転――。


なんといおうとも現実は変わらない。

ユネリは城の回廊の真ん中で、意識を失ったのだった。

ついに空腹のあまり、行き倒れたのである。


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