第6話 濡れた手紙

「ここはまだ、沈んでいない」

——2022年5月17日、最初の手紙にはそう書かれていた。


差出人不明。封筒は古びた茶封筒で、宛名は手書きだった。

都内在住の会社員・秋元悠真(仮名・30代)は、その日を境に、**“濡れた手紙”**を定期的に受け取るようになる。


「手紙の紙が、湿っていたんです。べちゃっとしていて……郵便受けの中が濡れてた。最初は雨にでも濡れたのかと思ったんですが、中の紙まで染みていて……その文字だけ、くっきり見えるんですよ。“ここはまだ、沈んでいない”って」


秋元氏はこれを奇妙なイタズラと考え、破って捨てたという。

だが、次の週にも、また届いた。


二通目の手紙は、より湿っていた。

封筒の内側には小さなカビが生え、文字はにじんでいたが、以下のような文章が読み取れた。


「足元に気をつけて。ここでは深くなるのが早いから」


以後、毎週火曜の午後になると、“濡れた手紙”がポストに届くようになった。

そして毎回、内容が少しずつ増え、明らかに受け取り手(=秋元氏)に向けた言葉であることが分かっていく。


三通目では「君はまだ覚えていない」と書かれていた。

四通目では「壁が薄くなっている」、五通目では「水音がするだろう?」と続き、

六通目には、こうあった。


「そろそろ、君の部屋にも届く。中に入れてあげて」


秋元氏の部屋では、そのころから奇妙な現象が報告され始める。


秋元氏は、ある日風呂場で異音に気づいた。


「水を流してないのに、ポタポタと音がする。最初は天井裏かと思った。でも、どうも床下から水音がしてる。何かが濡れてる音というか、壁の裏で、水がゆっくり染み出してるような……」


やがて、壁紙の一部がぶよぶよと膨らみはじめる。

クロスを剥がすと、そこには水滴がびっしりと浮かび、“紙片”が貼り付けられていた。

それは郵送された手紙の文面と同じ筆跡・内容だった。


秋元氏は恐怖を感じ、管理会社に相談するが、「設備に異常は見られない」との回答。

防犯カメラにも、ポストに手紙を投函する人物の姿は映っていなかった。


2022年7月5日、秋元氏のもとに最後の手紙が届いた。


「おかえり。いまから沈むよ。

開けてくれて、ありがとう」


その日、秋元氏は忽然と姿を消した。

室内には荒らされた形跡はなく、玄関も施錠されていた。

ただし、リビングの中央に、直径約1.2mの“水たまり”が残されていた。


水は澄んでおり、深さはわずか数センチ。

だが、驚くべきはその水面に、**明らかに“階段のような構造”**が映っていたことだ。


写真を見た専門家の鑑定では「反射によるものではなく、実在しない映像が写っている可能性がある」とされ、現在も水は証拠物件として保管されている。

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