その翡翠き彷徨い【第67話 言えなかった言葉】

七海ポルカ

第1話



 このおよそ二年の旅のうちにすっかり手慣れた。


 自分の大弓の具合を整えつつ、ミルグレンは塀の上に腰掛けて足を揺らしている。

 エドアルトも自分の大剣を傍らに抱え込んだまま、塀にもたれかかりじっとしていた。


「ちょっとエドアルト! 

 ちゃんと待ち合わせ場所、間違えずにメリク様に伝えたんでしょうね⁉」


 何か考えに耽っていたエドアルトはこつんと弓で軽く頭を叩かれ我に返る。


「あ……うん。伝えたよ」

「ふーん。まあそれならいいけどさ。このままじゃ日が傾いちゃうね」

 ミルグレンはエドアルトが彼女を待たせると怒って手がつけられなくなるが、メリクにはどれだけ待たされても全然気にならないらしい。

 これだけメリクに優しく出来る人間が、その他の人間にはちっとも優しく出来ないのか、本当にミルグレンという少女は謎である。


「ま、いいけどね! 私、野宿も好きだもん♪」


 エドアルトは振り返る。

 そういえば、ミルグレンは色々と五月蝿い少女だったが王宮育ちの割には野宿になることが多い旅にも、あまり文句は言ったことがない。

 身体を洗えなかったりするのは嫌らしいが、宿で泊まりたいとかこんな道端で眠れるかとか、そういうことは聞いた事がなかった。

「女の子にしちゃ珍しいよな」

「そぉ?」

「いや、普通嫌がるだろ……道端で眠るとか」


「私別段そうでもないよ。へへっ、あのね、野宿のとき火を起こすでしょ?

 あの光が好きなんだ~。

 正確に言うとね、火を見つめてそれに照らされるメリク様の顔が好きなんだ!

 すっごく綺麗で優しくて、私は側で寝そべってずっとそれを見つめるの。

 見つめていられるから、野宿は大好き。

 メリク様がずっと側で私を守ってくれてるのが分かるんだもん。

 城でふかふかのベッドに寝るより全然幸せなのー」


「……はいはい。愛が溢れてますねぇ」


 呆れて言ったエドアルトの背をミルグレンが蹴っ飛ばして来る。

「ちゃんと聞けッ!」

「いて! 聞いてるってば!」

「うーん……でもそうだね。安心出来るから好きになれるわけで。普通だと野宿は安心出来ないものよね」

「まぁ普通はな」


 普通旅人にとって野宿は大変だ。

 夜通し獣や不死者を警戒しなければならないし、火の番もしなければならない。

 普通は野宿は出来るだけ避けるべき手段なのだ。


 しかしメリクとエドアルトとミルグレンの三人の場合、野宿の負担は三人平等だぞと口では言っていても、三人の中で一番年下で唯一女の子であるミルグレンには、メリクもエドアルトも自分達と同じ負担を強いたりはしなかった。


 彼女が疲れていると思えばメリクは何も言わず寝ずの番を続け、彼女を朝まで眠らせてくれたし、エドアルトもそういうメリクに倣った。


 ミルグレンは自分のそういう立場をよく理解していた。


「メリク様もエドアルトも、火の番とか見張りとか、私には随分甘くしてくれるもんね。

 私が野宿好きでいられるのも二人がいて守ってくれるから。料理とかもほとんど出来なくても怒ったりしないでしょ。

 だから私、野宿で不安になったり大変だと思わないようにメリク様とエドアルトにそうさせてもらってるのよ。

 だからエドも、ありがとね」


「お、おう。なんかお前にそう言われると全身が痒くなるな……」


「素直にどういたしましてっていいなさいよ」

「いて! 背中を蹴るなってば!」

「だって蹴りやすい所にあるんだもん♪」

 無邪気に笑ってミルグレンは身軽に塀の上から飛び降りた。

 すっかり陽も落ちた。


 身体が冷える前にちゃんと上着を着込んだミルグレンを見て、エドアルトは気付かれないよう小さく息をついた。

 頭の中では、ずっとある一つの事実をいつ、どうやって彼女に言い出そうか考え込んでいた。




 メリクはもう自分達の元には戻って来ないのだということを。




 エドアルトは文句一つも言わず、バットを飛ばして遊びながらメリクを待っているミルグレンの姿に耐えきれなくなっていた。


 ……メリクが発ってすでに一週間経った。


 エドアルトはよく知っているが、エドアルトと出会う前にすでに随分長く一人旅をしていたメリクの足は速い。

 三人旅の時はミルグレンに無理をさせるようなことは一度もしなかった。

 そうとは口には出さなかったが、メリクは彼女が翌日の旅に支障が出るほど疲れる前に今日はここで休もう、と口にしていた。

 ミルグレンが加わる前、エドアルトがメリクに同行していた時も、後になって思えば随分気を遣って足を進めてくれていたんだなと思う。


 メリクは一人だと風のように早いのだ。

 


(一週間あれば……メリクならすでにもうアルマナ地方には入っていて……)



 アルマナ地方最大の都市はオーレスンだ。

 オーレスン以北は大きな街は存在しない。

 メリクの消息を掴むのは確実に困難になるに違いない。



 エドアルトは身を起こした。


「ミルグレン、一度宿に戻ろう。いくら何でも遅いし……メリクはここで待つ約束忘れて、先に宿に戻ってるかもしれないよ」


「メリク様は約束忘れたりしないわよあんたじゃないんだから。

 でもそうね、あんたが場所言い間違った可能性は存分にあるわ。

 だから一度宿を見て来てよ。私はここで待ってるから」


 ミルグレンは遠くの景色を眺めている。

 彼女はこの先もメリクと歩んで行けると信じて疑っていないのだ。


「……待ち疲れただろ」

「お尻は痛いけど全然平気よ。それに私メリクさま待つのは好きなの。

 姿が一番初めに見えた時の嬉しさも」


 本当に嬉しそうにそう話した彼女の姿にエドアルトは辛そうな表情を浮かべると、拳を一度握りしめて心を決めたようにミルグレンの腕を掴んで引いた。


「――戻るぞ」


「 ちょ……っ、……なに?」


 腕を引いて村の方へ強引に戻って行くエドアルトにミルグレンは驚いていたが、数歩行った所で異変に気付いたようだ。


「ちょっと待ってよ……何⁉ エドアルト!」

「……。」

「放してよ!」

 バッ、とミルグレンがエドアルトの手を振り払った。

「何よ突然……」

 エドアルトは背を向けたままだ。


「聞いてるでしょ。答えなさいよ! 

 エドアルト、あんたなんかが私に嘘つき通せるとでも思ったの⁉

 メリク様はどこ⁉」


 夕暮れが終わって行く。

 夜はすぐそこだ。


 エドアルトはゆっくり振り返る。

 まっすぐにミルグレンを見据えた。

 ミルグレンはその彼の表情に、僅かに語尾を緩める。


 エドアルトは嘘をつくのが苦手な性格をしている。

 人を騙そうとなんか絶対に出来ないし、嘘をついていれば顔にすぐ出る。

 落ち着きが無くなるし、居心地が悪そうにするから悪い事なんか少しも出来ない人間なのだ。

 そのエドアルトが、落ち着いている。


「……なによその顔は……」


「――メリクは来ないよ」


 エドアルトはやはり、はっきりと言った。


「……はあっ⁉」


「ミルグレン。だから一度宿に戻ろう。サンゴール王国の現状を思えば薦められないけど……サンゴールに戻るなら俺がちゃんと最後までそこに連れて行く。

 でももし、ミルグレンがいいって思ってくれるならアリステア王国へ行こう。

 あそこならまだ不死者の侵攻は始まってないし、君にとっても親戚関係にある。

 俺の母親もいるから、必ず君を安心して暮らせるようにはするから……」


 ミルグレンは呆気に取られた表情で返す言葉もなく口を開けていた。

 そしてしばらくの沈黙の後。


「…………あんた、何言ってんの?」


 それがようやく出た一言だ。

「だから、宿に戻って今後の事を考えよう。二人で」

 二人で、という単語にミルグレンの色々こんがらがっていた思考が一気に解けた。


「はあっ⁉ 何言ってんのよ! 何の冗談よっ!

 ふざけないでよメリク様はどこよ!」


 今度はエドアルトが口を閉ざした。

 ミルグレンが駆け寄る。

 そして彼女は強くエドアルトの身体を揺すった。


「メリクさまはどこ⁉ どこへ行ったの⁉ 早く教えて!」


 もう彼女はメリクに置いていかれたという現状を把握したようだ。

 そして即座に追いかけるという結論に達している。


 ミルグレンのメリクに対する決断にはいつも微塵の迷いもない。

 まだちゃんと恋愛、などと胸を張って言えるような気持ちを持った事がないエドアルトは、彼女のその強い気持ちにいつも驚かされる。


 ……でも、メリクはそうじゃない。


 メリクはミルグレンの気持ちを知らないわけじゃない。

 そういう彼女の強い思いをちゃんと知っていた。


 知っていて……置いて行ったのだ。


『そうだよ。捨てる』


 そう願ったわけじゃないだろう。

 でもそうする以外に考えられなかったのだ。

 ミルグレンがどれだけメリクを欲しても……メリクがサンゴール王国を離れる時、彼は彼女を連れて行かなかった。

 たった一人で国を出た。

 それが全てなのだ。



「……わから、ない……」



 エドアルトはうなだれて首を振った。

 もう分からない。

 北に向かった、ただその一つ以外は。

 そして自分達が追うことを、メリクは望んでいない。

「何で? ねぇ、なんで?」

「分からない、俺には説明出来ない……」


 メリクの心の内は、メリクだけが知っている。

 これは彼と、彼の魔術の師である第二王子だけにしか分からない領域のことなのだ。


 首を振るエドアルトにミルグレンは怒鳴った。


「分かんないのはこっちよッ!」


 言って、彼女は額を押さえる。

「なんで……? ほんとになんで……? だって――……どうして?」

「ミルグレン……」

 エドアルトがミルグレンに近づこうとすると、彼女は首を振って叫んだ。


「やだ! 近寄んないで!」


「ミルグレン、俺が、話せることは全部話すから……一度宿に」

「いつ? ……一週間前、メリク様が近くの村の様子を見に行くって出て行ったって言ってたわよね? あれは嘘?」

「ミルグレン」

 ミルグレンはこちらに伸ばされた手を振り払い、眼を強く見開いた。


「答えなさい! エドアルト・サンクロワ! 

 あの時、メリク様がもう戻らないことを知っていたの⁉」


「……。……知ってた、よ……」


 知っていた。

 見送ったからだ。

 メリクは自分達を置いて行ったけど、でも、黙って姿は消さなかった。

 全てを話して、去った。

 エドアルトを見込んでくれたのだ。彼はそう思っている。

 だからどんなに辛くても、この役目から逃げてはいけない。


「……知ってたよ、俺は……」


 ミルグレンがつかつかと近づいて来ると、いきなりエドアルトの頬を右手で張った。

 パアンと乾いた音が鳴る。

 ミルグレンは気性が激しいので、言い合いになると殴られることなどしょっちゅうだったが、今のは食らったことのない、本気の一撃だった。


「なにそれ⁉ なんで? なんでそれを私に言わないの⁉

 言うなって、メリク様がそう言ったの? それともあんたが、」


 エドアルトは身じろぐこともなく、俯いてただ答える。

「……俺、だよ」

 言ったのはメリクだが、もはやそんなことはどうでも良かった。

 メリクがそうした方がいいと言って、エドアルトもそうした方がいいと思ったのだ。



「……なにそれ……」



 ミルグレンの大きな瞳から涙が込み上げて来る。


 これは、……見たくなかった。

 エドアルトは眼を閉じる。


「……何で? なんで止めてくれなかったのよ! 

 私が――、私が一体、どんな気持ちでっ……、

 どんな気持ちでサンゴールを出て来たか――」


 メリクの為なら何でも出来た。

 でも、サンゴール王国での生活を捨てることに何の躊躇いもなかったわけじゃない。

 国を出たとき何がなんでもメリクに会うぞとそうは思ったけど、会えるという確証は何もなかったのだ。

 怖かった。

 本当は、一人で国を出たことも怖かった。

 アミアカルバはどうしただろう。

 どう思っただろう。

 怒っているだろうか悲しんだだろうか。

 勝手なことをしたことは分かってる。

 でもミルグレンにとって、それはしなくてはならないことだったのだ。


 全てを全部一人で受け止めて、何も言わずにメリクは国を去った。

 そういう彼を愛する自分は、同じように彼を追わなくてはならなかった。


 メリクが自分を置いて行くことは、理解は出来る。

 彼はいつだって自分を犠牲にしてミルグレンのことを守ってくれた。


 自分は必ず彼と共に行くと言ってきかないし、そうである以上メリクは黙って行くしかない。それは分かる。

 そうして欲しくないというミルグレンの感情とは別の領域でだ。


 でも彼は言った。

 幸せに思う限り側にいていいと言ってくれたのだ。

 だからミルグレンは最後までそうする。

 メリクの側にいることは置いて行かれた今でもミルグレンの幸せだ。

 だから追えばいいのだ。

 幸せである限りそうしていいと、メリクも言ったはずだから。


 ミルグレンが許せなかったのは、エドアルトがそれを邪魔したことだった。

 メリク以外に心を許さない彼女が唯一、この二年の間にメリク以外に心を開いたのが彼だった。

 彼はメリクを慕っていた。

 自分と同じなのだ。

 だから彼の存在は、いつしかミルグレンにとって邪魔ではなくなっていった。

 

 誰よりも、自分のメリクに対する想いがどれだけ真剣かを、彼だけは理解してくれていると思ったから。


「エドアルトなら……あんたなら、分かって……、

 分かってくれると、思って……っ

 なのに、なんで……っ、

 サンゴール――サンゴールなんかに戻るはずがないじゃない!

 バカッ! 

 あの国はメリク様を傷つけ尽くした国なのよ!

 私はメリク様と――……」



 ミルグレンはその場に崩れて両手で顔を覆った。



 メリクが自分から去ったこと。

 それを、エドアルトが嘘ではない心で、一週間も黙っていた。

 二人の間でどんな遣り取りがあったのか、ミルグレンはもう感じ取ってしまったのだ。


 メリクが自分で去った。

 サンゴールからある日忽然と消えた時と同じように。

 エドアルトはそれを容認した。

 二人の男がそうするべきだと、同じことを思ったからだ。


 どちらも誠実で、嘘偽りのない、自分の為に人を欺かない人間が。


「メリクさまと、ずっと一緒に……、

 ゆるしてくれるなら……、

 わたしはどこへでも行くのに……、……っうっ……うう……」


「……ミルグレン……」



「一緒に、一緒にいたいよお……っ! 

 うう――……」


 エドアルトは自分の目から零れた涙に、唇を噛み締めて顔を背けた。

  

 なにしてる。

 ここで自分が泣いたりしたら、誰もミルグレンが頼れなくなる。

 彼女との別離を、メリクが好きで望んだんじゃない。


『彼女はこの世で一番大切な女性だ』


 ただ、ミルグレンが今一番一緒にいたいと泣くことと、

 同じ強さでメリクも想いを向けているのだ。


 永遠に分かり合えなかったという、魔術の師へと。

 国の為に死んだという彼と、

 同じ終着点に行かなければならないとその不思議な縁に導かれて。


 それは誰も邪魔出来ない。


 苦しみ続けたメリクがその犠牲の代わりに得た、それは彼だけの権利だ。


 どれだけ自分がメリクを慕っても、

 ミルグレンが彼を好きでも、それを邪魔することはしてはいけないのだ。



「サンゴールになんかいかない……っ うう……っ、

 アリステアなんかにも行かない! 

 ……うう……わたしは、

 ……わたしはメリクさまとずっと一緒に行くの!

 行くんだから……、っ……わああああ――――っ」


 ミルグレンはその場に踞って、泣き崩れた。



 出会ったとき、メリクは一人、大陸を彷徨っていた。



 この世界でそういう彼を知り、想っているのはもうエドアルトとミルグレンだけだ。

 自分が強くなければミルグレンは本当に一人になる。


 エドアルトは彼女に駆け寄って抱きしめた。

 ミルグレンは違う、と言って首を振ったがエドアルトは力を緩めなかった。


 彼女こそメリクがこの世に残した形見そのものだと思ったから。

 彼女を見れば、側にいれば、

 エドアルトは彼女の中にメリクのあの優しさや強さ、

 彼女に幼い頃からどんな言葉を与えて守って来たかを、

 はっきりと感じ取ることが出来るから。


 そう、だからこそミルグレンも、これほどメリクという人間を慕ったのだ。


 エドアルトはミルグレンを抱きしめた。

 もうここにはいない……その人を抱き寄せるつもりで。




【終】

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